講話 2 – 96

たとえ息子がどんなことをしようとも、“父の愛”は、その過ちを消し去ってしまいます。それほどまでに、“父の愛”は大いなるものなのです。このことは、人生のすべてにおいて、真実なのです。過ちは、“真理”に気づいたときに正されるのです。過ちというものは、さまざまな状況から立ち上がり、自己を回復するための経験なのです。過ちは正されれば消え去ってしまいます。“真理”は、初めからそうであったように、“真理”のままなのです。

(マタイによる福音書 6:14、18:21-22、ルカの福音書 15:11-32、ヨハネによる福音書 3:16、8:32、ローマの信徒への手紙 5:8、8:1、コリントの信徒への手紙二 5:17、使徒言行録 3:19、エフェソの信徒への手紙 1:7、2:8、コロサイの信徒への手紙3:13、ヘブライ人への手紙 8:12、イザヤ書 1:18、エレミヤ書 31:34、ミカ書 7:19、箴言 28:13、詩編 103:12、ヨハネの黙示録 21:1-4、22:1-7)

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