講話 14 – 31

気づき

“わたし”が語っていることを、深く学ぶならば、あなたたちの目から、ヴェールが取り除かれるでしょう。 “人の子”(the Son of Man)は、あなたたちが「分離はある」という信念を克服することを、あなたたちに寄り添いながら、待っているのです。

(マタイによる福音書 6:22-23、13:16-17、マルコによる福音書 4:11-12、ルカによる福音書 24:31、ヨハネによる福音書 8:12,31-32、14:20、コリントの信徒への手紙二 3:16-18、エフェソの信徒への手紙 1:18、4:13、ガラテヤの信徒への手紙 3:28、イザヤ書 6:1-10、箴言 4:7、詩編 51:10、119:18、ヨハネの黙示録 3:18)

講話 14 – 32

気づき

“キリスト”には、自由がありますが、“キリスト”は、神の“永遠の独り子”として、人類の中に生きているのです。“キリスト”の強大な“力”は、すべての存在を、“一つの家族”として調和させるでしょう。すべての魂の内なる“霊”は、その“存在の源”を認識させることになります。

(ガラテヤの信徒への手紙 3:28、5:1、エフェソの信徒への手紙 2:13-16、4:4-6、コロサイの信徒への手紙 1:19-20、3:11、マタイによる福音書 12:50、マルコによる福音書 10:45、ヨハネによる福音書 8:36、14:6、イザヤ書 11:6-9、箴言 3:5-6、16:9、詩編 36:9、82:6、133:1、ヨハネの黙示録 21:3)

講話 14 – 33

気づき

この気づきの中に、自由があります。内なるものは、外なるものに現れます。これが「御心が天になるごとく、地にもなりますように」ということなのです。

(マタイによる福音書 6:10、マルコによる福音書 14:36、ルカによる福音書 22:42、ヨハネによる福音書 14:23、ローマの信徒への手紙 12:2、フィリピの信徒への手紙 2:13、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、イザヤ書 6:8、箴言 3:5-6、16:3、詩編 40:8-9、42:1、ヨハネの黙示録 21:3)

講話 14 – 34

気づき

人は、人によって、何度も何度も、傷つけられます。人は、自分自身の愚かさによって、十字架に懸けられるまでは、“神のキリスト”による大いなる“絶対合一”に、目が開かれることはないのです。

(マタイによる福音書 16:24-25、マルコによる福音書 8:34-35、ルカによる福音書 23:34、ヨハネによる福音書 13:34-35、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、ローマの信徒への手紙 5:8、6:6、エフェソの信徒への手紙 2:14-16、4:3-6、コリントの信徒への手紙二 5:17、イザヤ書 11:6-9、箴言 14:12、詩編 23:1、133:1、ヨハネの黙示録 7:14)

講話 14 – 35

気づき

“わたし”自らが語っているのではなく、“わたし”に常に留まり給う“父”、万生万物の“父”であり、万生万物である御方が、語っておられるのです。“わたし”の内におられ、“わたし”のために語られる御方です。“父”の内にある“命”が、“子”にもあるのです。

(ヨハネによる福音書 5:19、10:30、14:9-10、17:8,21、マルコによる福音書 13:11、マタイによる福音書 10:20、ルカによる福音書 12:12、コリントの信徒への手紙二 13:3、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、イザヤ書 59:21、箴言 8:35、詩編 33:6、36:9、104:30、119:50、ヨハネの黙示録 3:21)

講話 14 – 36

気づき

あなたたちの心から、個人的な感覚を手放しなさい。そうすれば、あなたたちは、神の栄光、永遠に君臨する神の独り子を見るでしょう。

(ヨハネによる福音書 3:16、14:6、マタイ福音書 6:33、16:24-25、マルコによる福音書 8:34-35、ルカによる福音書 9:23-24、コロサイの信徒への手紙 1:15-16、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、コリントの信徒への手紙二 3:18、フィリピの信徒への手紙 2:9-11、ハバクク書 2:20、イザヤ書 6:1-5、箴言 3:5-6、詩編 19:1、46:10、 ヨハネの黙示録 5:13、11:15、21:23)

講話 14 – 37

気づき

パーソナリティ(現象我・個性・人物・性格)とは、外側から被せられた、仮面に過ぎません。パーソナリティにしがみつく限り、幻想の中に生きることになるのです。

(マタイによる福音書 16:24-25、マルコによる福音書 8:34-35、ルカによる福音書 9:23-24、ヨハネによる福音書 12:25、コリントの信徒への手紙二 4:18、5:17、コロサイの信徒への手紙 3:9-10、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、ローマの信徒への手紙 12:2、エゼキエル書 18:31、詩編 39:6-7、51:10、ヨハネの黙示録 3:17-18)

講話 14 – 38

気づき

多くの人びとが、イエスのパーソナリティにこだわり、その結果、すべての人びとの内にある、“永遠のキリスト”を、見いだすことができなくなっています。これを告げるために、“わたし”は来たのです。かくてあなたたちは、“神のキリスト”こそが、普遍的なものであることを理解することができるのです。

(ヨハネによる福音書 1:1-3、8:58、14:6、マタイによる福音書 17:5、マルコによる福音書 9:7、ルカによる福音書 9:35、17:21、ガラテヤの信徒への手紙 3:28、コリントの信徒への手紙二 5:16-17、コロサイの信徒への手紙 1:15-17、エフェソの信徒への手紙 4:4-6、ヘブライ人への手紙 13:8、イザヤ書 9:6、30:15、箴言 8:22-23、詩編 2:7-8、46:10、ヨハネの黙示録 1:8、3:20、5:13、21:6、22:13)

講話 14 – 39

気づき

あなたたちの仕事は、あらゆる方法で癒やしの媒体となるように、キリストに協力することなのです。

(マタイによる福音書 10:7-8、マルコによる福音書 16:17-18、ルカによる福音書 9:1-2、10:9、コリントの信徒への手紙一 3:9、ヤコブの手紙 5:14-15、ヘブライ人への手紙 13:8、イザヤ書 53:5、箴言 3:7-8、詩編 103:2-3、ヨハネの黙示録 22:2)

講話 14 – 40

気づき

“霊”こそが、唯一の“実在”であることに目覚めなさい。この“霊”が、あなたたちの魂と肉体に、生命力を与えている、唯一の“力”なのです。あなたたちは、神の中で生き、動き、存在しており、神は、あなたたちの中に、生きておられのです。神が、神ご自身を、あなたたちの中で、表現されておられるのです。この事実を完全に理解することが、今、解脱を得るということなのです。これこそが、「永遠の“命”の真理」への道なのです。「“わたし”は“父”のうちにあり、“父”は、“わたし”の中におられることを、あなたは知らないのか」

(ヨハネによる福音書 14:10-11、15:5、マルコによる福音書 12:29-30、マタイによる福音書 6:22-23、ルカによる福音書 17:21、コロサイの信徒への手紙 1:16-17、3:16、コリントの信徒への手紙二 3:17、13:5、使徒言行録 17:28、エフェソの信徒への手紙 2:18、エレミヤ書 23:24、箴言 3:5-6、詩編 46:10、139:7、ヨハネの黙示録 1:8、21:6、22:13-14,17)