講話 11 – 111
気づき地球は、その内部に不可視の偉大な“霊力”( Spiritual Force)を備えており、創造と再構築を行い、形として具現しています。
(ヨハネによる福音書 1:3、マルコによる福音書 4:26-29、13:31、ルカによる福音書 8:11-15、ローマの信徒への手紙 1:20、8:19-22、コロサイの信徒への手紙 1:16-17、創世記 1:1-2、詩編 104:24,30、イザヤ書 45:18、ヨハネの黙示録 22:1-2)
講話 11 – 112
気づきこの偉大な“霊力”は、あなたたちの中で“キリスト”として個別化され、“愛”を中心に据え、その栄光と力のすべてによって、“無限の命”を表現しています。なぜなら、“力”の支配は“愛”にあるからです。神は“愛”であり、“愛”は神なのです。
(ヨハネによる福音書 1:14、14:10、15:5、マルコによる福音書 12:30-31、ルカによる福音書 10:27、17:21、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、エフェソの信徒への手紙 2:18、ヨハネの手紙一 4:8,16、イザヤ書 61:1、創世記 1:27、ヨハネの黙示録 22:1-2)
講話 11 – 113
気づき“わたし”は、弟子たちに、密かに奥義を教えましたが、あなたたちにも、同じように教えているのです。
(マタイによる福音書 7:6、マルコによる福音書 4:11,34、13:10-11、ルカによる福音書 8:10、ヨハネによる福音書 3:11、16:12-13、ダニエル書 2:22、エゼキエル書 2:9、ヨハネの黙示録 1:1、2:17、3:12、10:7、14:3)
(編集者補足)
『ディヴァイン・ヒーリング』という書物の本質は、まさに聖書のエッセンスを伝えているものといえます。本講話11-113では、それが明確に示されています。このことについて、聖書の中には、どんな関連の聖句があるのかを以下に例示してみます。しかし、聖書の解釈は、読む人によって、また状況によって、さまざまなインスピレーションが与えられるものであり、万人に一様なものではないでしょう。あくまでも参考例です。
聖なるものを犬に与えてはならない。また、豚の前に真珠を投げてはならない。豚はそれを足で踏みつけ、犬は向き直って、あなたがたを引き裂くであろう。」(マタイによる福音書 7:6)
そこで、イエスは言われた。「あなたがたには神の国の秘義が授けられているが、外の人々には、すべてがたとえで示される。(マルコによる福音書 4:11)
たとえを用いずに語ることはなかったが、ご自分の弟子たちにはひそかにすべてを説明された。(マルコによる福音書 4:34)
こうして、まず、福音がすべての民族に宣べ伝えられねばならない。
連れて行かれ、引き渡されたとき、何を言おうかと心配してはならない。その時には、あなたがたに示されることを話せばよい。話すのはあなたがたではなく、聖霊なのだ。(マルコによる福音書 4:34)
イエスは言われた。「あなたがたには神の国の秘義を知ることが許されているが、他の人々にはたとえを用いて話すのだ。それは、『彼らが見ても見えず、聞いても悟らない』ためである。」(ルカによる福音書8:10)
よくよく言っておく。私たちは知っていることを語り、見たことを証ししているのに、あなたがたは私たちの証しを受け入れない。(ヨハネによる福音書3:11)
言っておきたいことはまだたくさんあるが、あなたがたは今はそれに堪えられない。しかし、その方、すなわち真理の霊が来ると、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれる。その方は、勝手に語るのではなく、聞いたことを語り、これから起こることをあなたがたに告げるからである。(ヨハネによる福音書16:12-13)
神は奥義と秘義を啓示し/闇にあるものを知り、光が御もとに宿ります。(ダニエル書2:22)
私が見ていると、手が私に差し伸べられており、その手には巻物があった。(エゼキエル書2:9)
イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストに与え、それをキリストが天使を送って僕ヨハネに知らせたものである。(ヨハネの黙示録1:1)
耳のある者は、霊が諸教会に告げることを聞くがよい。勝利を得る者には、隠されているマナを与えよう。また、白い小石を与えよう。その小石には、これを受ける者のほか誰も知らない新しい名が記されている。(ヨハネの黙示録2:17)
勝利を得る者を、私の神の神殿の柱としよう。彼はもう決して外へ出ることはない。そして私は彼の上に、私の神の名と、私の神の都の名、すなわち、神のもとから出て天から降って来る新しいエルサレムの名を、そして、私の新しい名を書き記そう。(ヨハネの黙示録3:12)
第七の天使がラッパを吹き鳴らすとき、神の秘義が成就する。それは、神がご自分の僕である預言者たちに良い知らせとして告げられたとおりである。(ヨハネの黙示録10:7)
彼らは、玉座の前、また四つの生き物と長老たちの前で、新しい歌を歌っていた。この歌は、地上から贖われた十四万四千人の者たちのほかは、誰も覚えることができなかった。(ヨハネの黙示録14:3)
講話 11 – 114
気づき“わたし”を信じる者は、今や“わたし”の弟子です。一方、“わたし”を信じない者は、“父”の独り子“キリスト”を認めることによる、大いなる報いを失ってしまうのです。
(ヨハネによる福音書 1:12、3:16、8:24、12:48、14:6、15:5-6、マタイによる福音書 10:32-33、16:16、マルコによる福音書 8:34-35、16:16、ルカによる福音書 9:23-24、12:8-9、ローマの信徒への手紙 10:9、ヘブル人への手紙 11:6、申命記 6:4、ヨハネの黙示録 3:5、22:12)
講話 11 – 115
気づきすべての被造物は、唯一者である、“父”の思考の現れです。“父”は、鉱物、植物、動物、そして人間を通して、息吹を与えられています。“意識”が自己を認識することによって、「“わたし”は“在る”」を悟ります。“意識”が認識するものは何であれ、それが現実となります。これは、不変の“命の法則”なのです。
(ヨハネによる福音書 1:3-4、14:13-14、マルコによる福音書 11:23-24、ルカによる福音書 8:25、17:6、コロサイの信徒への手紙 1:16-17、ヘブライ人への手紙 11:3、創世記 1:1、2:7、詩編 33:6、104:24、ヨハネの黙示録 4:11、21:6、22:13)
講話 11 – 116
気づき“意識”は、自らが“神の意識”の顕現であると認識しなければなりません。“父”がご自身の内に“命”を持たれているように、“父の子”にも、同じ“命”を授けられたのです。
(ヨハネによる福音書 1:1-4、5:26、14:10-11、マルコによる福音書 1:11、9:7,35、コリントの信徒への手紙第二 13:14、エフェソの信徒への手紙 2:18、コロサイの信徒への手紙 1:19,27、フィリピの信徒への手紙 2:6、創世記 1:26-27、ヨハネの黙示録 1:8、21:6、22:13)
講話 11 – 117
気づき“父”は、“宇宙”とその中にあるすべての存在を“意識”しておられます。“父”の“意識”は、“宇宙の創造原理”であり、その“意識”は、人の子の内にも確立されているのです。“父”は“子”を知り、“子”は“父”を知ります。“キリスト”は神の子であり、あなたたちは、“わたし”の兄弟姉妹なのです。
(ヨハネによる福音書 1:1-3,12、10:14-15、14:10,20、17:21、マタイによる福音書 12:50、マルコによる福音書 1:11、9:7、ルカによる福音書 8:21、10:22、コリントの信徒への手紙二 13:14、コロサイの信徒への手紙 1:27、エフェソの信徒への手紙 2:18、詩編 24:1、創世記 1:27、ヨハネの黙示録 3:21、21:7)
講話 11 – 118
気づき“命”だけが、“意識”をもっているのです。「“わたし”は“命”である」。
(ヨハネによる福音書 1:4、10:10、11:25、14:6、マルコによる福音書 10:45、ルカによる福音書 9:24、12:23、ローマの信徒への手紙 8:2、使徒言行録 17:28、コリントの信徒への手紙二 3:17、創世記 2:7、詩編 139:13、ヨハネの黙示録 1:18、21:6、22:1)
講話 11 – 119
気づき形あるものに“命”があると思い込み、その形あるものは“実在”である、などと言ってはなりません。“命”は形あるものを創造しますが、形あるものからは独立しているのです。
(ヨハネによる福音書 1:1-4、4:24、マルコによる福音書 4:26-29、ルカによる福音書 12:23、17:21、コリントの信徒への手紙二 3:17、4:18、コロサイの信徒への手紙 1:16、ヘブライ人への手紙 11:3、ローマの信徒への手紙 8:11、創世記 1:1-2、2:7、詩編 104:24、ヨハネの黙示録 4:11、21:6、22:13)
講話 11 – 120
気づき心の働きによって、“命”に制約を与え、心を超えた全体なるものへの道を閉ざしてはいけません。
(ヨハネによる福音書 1:1-3、マルコによる福音書 10:15、ルカによる福音書 10:21、18:17、ローマの信徒への手紙 12:2、コリントの信徒への手紙一 2:9,14、フィリピの信徒への手紙 4:7、エフェソの信徒への手紙 3:19、箴言 3:5-6、イザヤ書 55:8-9、詩編 139:6、 ヨハネの黙示録 3:20、21:5、22:17)