講話 11 – 9

“実在”には、始まりもなく、終わりもありません。“実在”は、人間によって創造されたものではありません。それに反して、人間が、自らの意識の中で、時間と空間を創り出しているのです。これこそが幻想なのです。時間も空間も、始まりも終わりもない、“全きもの”を理解せず、認識もしないのです。唯一の“全きもの”があるだけであり、今この瞬間も、この“全きもの”が、自己自身を現しているのです。これこそが、“実在”なのです。“わたし”は“実在”と一つであり、“実在”もまた、“わたし”と一つなのです。これこそが、すべてが可能となる“キリスト意識”の悟りなのです。

(マタイによる福音書 5:48、19:26、マルコによる福音書 10:27、13:31、ルカによる福音書 1:33、17:21、ヨハネによる福音書 1:1、8:58、10:30、14:6,20、17:3,21-23、使徒言行録 17:28、ローマの信徒への手紙 8:21,38-39、コリントの信徒への手紙一 2:10、8:6、13:12、コリントの信徒への手紙二 3:18、5:7,17、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、エフェソの信徒への手紙 1:10、3:19、4:6、フィリピの信徒への手紙 4:13、コロサイの信徒への手紙 1:17、コレヘトの言葉 3:11、箴言 8:23、詩編 90:2、ヨハネの黙示録 1:8、21:6、22:13)

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