人の内なる神の霊は「わたしはある」(I am)です。旧約聖書を読むと、モーゼが燃える柴を見たとき、そこから語られた声は、「わたしはある」という言葉であったことを知るでしょう。この“言”こそ、預言者たちに授けられ、群衆にも伝えられた「力の秘められた“言”」でした。彼らはそれを口にしましたが、その意味は理解していませんでした。しかし、それを理解できた者は、預言者たちの叡智に入ることができたのです。
(マタイによる福音書 16:15-17、22:32、マルコによる福音書 14:61-62、ルカによる福音書 20:37-38、22:67-70、ヨハネによる福音書 1:12-13、8:24,28,58、10:34、11:25、13:19、14:6,9、18:5-6、使徒言行録 3:22、7:30-32、17:28、ローマの信徒への手紙 1:20、8:15-16、11:25-26,33、コリントの信徒への手紙一 1:24-25、2:10、コリントの信徒への手紙二 3:17、4:6、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、4:6、エフェソの信徒への手紙 1:17-18、3:4-5、4:6、フィリピの信徒への手紙 2:6、コロサイの信徒への手紙 1:15-17,26-27、テサロニケの信徒への手紙一 1:9-10、ヘブライ人への手紙 1:1-2、11:6、ヤコブの手紙 4:8、ペトロの手紙一 1:21、ヨハネの手紙一 5:20、創世記 28:16、出エジプト記 3:13-15、申命記 6:4-9、18:15、イザヤ書 42:8、43:10-11、45:3、55:10-11、箴言 2:6、9:10、詩編 25:14、46:11、119:18,130、ヨハネの黙示録 1:8、21:6、22:13)
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