“キリスト”の力に目覚めれば覚めるほど、“その力”は、“愛と叡智”でなければならないことがはっきりとわかります。なぜなら、“キリスト”は神の子だからです。「律法を廃止するために来たのではなく、成就させるためである」とわたしが言ったのは、真実でした。“わたし”は、“天にある大いなる力のメッセージ”を地に、すなわち、内なる“キリストの力”を、外にもたらしました。この力は“愛と叡智”です。それは、調和や平和といった、すべての良いものを築き上げるものです。それは永久に存続しますが、不調和は、 “命”ではなく、死である無智の中にのみとどまります。

(マタイによる福音書 5:17,38、マルコによる福音書 12:30-31、ルカによる福音書 11:20、17:21、ヨハネによる福音書 1:4,14、13:34-35、14:27、コロサイの信徒への手紙 1:16-17、2:2-3、エフェソ人への手紙3:17-19、ヨハネの手紙一 4:8、ヤコブの手紙 3:17、ローマの信徒への手紙 10:4、13:8-10、フィリピの信徒への手紙 4:7、コリントの信徒への手紙一 13:13、ガラテヤの信徒への手紙 5:14、イザヤ書 9:6、11:2、箴言 3:13-17、詩編 46:10、85:10、119:165、ヨハネの黙示録 21:3-4)

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