講話 9 – 131
気づき幼子の心には、母親以外のことは何もありません。あなたたちの心も、“天の父”以外のことは、すべて空にしなさい。そうすれば、“父”は、あなたたちの心を完全に満たしてくれるのです。
(マタイによる福音書 5:8、6:6,21,24、18:3-4、22:37、マルコによる福音書 10:15、ルカによる福音書 10:27、11:34-36、18:17、ヨハネによる福音書 14:23、使徒言行録 7:55、15:9、ローマの信徒への手紙 8:14-15、コリントの信徒への手紙一 3:16、13:1-3、コリントの信徒への手紙二 6:16、ガラテヤの信徒への手紙 4:6、エフェソの信徒への手紙 3:17、フィリピの信徒への手紙 4:7、コロサイの信徒への手紙 3:2、ヘブライ人への手紙 12:2、申命記 6:5、箴言 3:5-6、23:26、詩編 73:25-26、131:2、ヨハネの黙示録 3:20、14:4)
講話 9 – 132
気づきこの“真理”の栄光は、あなたたちを“神の愛、平安、調和、強さ”、そして“全能なる臨在の力”へと解放します。この“安らぎ”の中に、“力と自由”があるのです。
(マタイによる福音書 5:9,16、マルコによる福音書 11:22-23、12:29-30、ルカによる福音書 1:37,78-79、ヨハネによる福音書 8:32、14:6,27、16:33、17:22-23、使徒言行録 1:8、ローマの信徒への手紙 8:37-39、15:13、コリントの信徒への手紙一 1:24、コリントの信徒への手紙二 3:17-18、エフェソの信徒への手紙 3:16-19、フィリピの信徒への手紙 4:7-8、ヘブライ人への手紙 13:20-21、ヤコブの手紙 1:2-4、イザヤ書 26:3、箴言 3:17,24-26、詩編 29:11、ヨハネの黙示録 1:8、21:3-4,6,23-24、22:1-5,13)
講話 9 – 133
気づきあなたたちは、波に向かって「静まれ」と言うことができるのです。そして、波は静まるでしょう。けれども、その静けさは、“父”を認めることによって、まず、あなたたちの心の内になければならないのです。あなたたちの心と魂は、“父”のみによって満たされなければならないからです。
(マタイによる福音書 6:21,33、8:26、マルコによる福音書 4:39-41、ルカによる福音書 8:24-25、ヨハネによる福音書 14:1,23,27、15:5、使徒言行録 17:28、27:34、ローマの信徒への手紙 15:13、コリントの信徒への手紙一 14:33、コリントの信徒への手紙二 10:5、13:11、エフェソの信徒への手紙 3:17、フィリピの信徒への手紙 4:6-7、ヘブライ人への手紙 13:20-21、イザヤ書 26:3、ハバクク書 2:20、箴言 3:5-6、4:23、詩編 46:11、131:2、ヨハネの黙示録 1:8、3:20、21:6、22:13)
講話 9 – 134
気づきあなたたちが、“父”に喜ばれることを行うことができるのは、心と魂を、常に、“父”に明け渡しているときだけなのです。
(マタイによる福音書 6:6,22-23、22:37-38、マルコによる福音書 3:35、 12:30、ルカによる福音書 11:9-10,28、ヨハネによる福音書 14:23、15:4-5、使徒言行録 13:22、16:14、ローマの信徒への手紙 12:1-2、コリントの信徒への手紙一 2:12、3:16、10:31、コリントの信徒への手紙二 3:18、エフェソの信徒への手紙 3:17、5:10、フィリピの信徒への手紙 2:13、コロサイの信徒への手紙 3:23-24、ヘブライ人への手紙 13:21、ヤコブの手紙 1:5、4:8、イザヤ書 55:6、箴言 3:5-6、4:23、詩編 37:4-5、51:12,19、145:18、ヨハネの黙示録 2:10、3:20)
講話 9 – 135
気づきあなたたちを愛されている“天の父”との絶え間ない語らいほど、甘く、愉悦(ゆえつ)に満ちたものはありません。それを理解し、味わうことができる者だけが、実践し、体験することができるのです。
(マタイによる福音書 6:6-8、7:7、マルコによる福音書 11:24、ルカによる福音書 18:1、ヨハネによる福音書 15:5-7、17:3、使徒言行録 2:42、17:27-28、ローマの信徒への手紙 8:15,26-27、コリントの信徒への手紙一 2:10-12、コリントの信徒への手紙二 13:13、エフェソの信徒への手紙 3:12、6:18、フィリピの信徒への手紙 4:6-7、テサロニケの信徒への手紙一 1:9、5:16-18、ヘブライ人への手紙 4:16、イザヤ書 55:1-2,6、箴言 8:34、15:8、詩編 16:11、23:1-6、27:4、63:1-2、73:28、145:18、ヨハネの黙示録 2:7、3:20)
講話 9 – 136
気づき楽しみや訓練、経験としてではなく、心からの“愛”をもって行いなさい。あなたたちの中には、“真理”の実践を、トレーニングとして、経験として、それによって得られる楽しみのために、また、何らかの代償を得るために行っている人が、なんと多いことか。
(マタイによる福音書 6:1-8、7:21、22:37-38、マルコによる福音書 12:33、ルカによる福音書 6:46、10:27、ヨハネによる福音書 4:23-24、13:34-35、14:15、使徒言行録 8:18-21、ローマの信徒への手紙 12:9、コリントの信徒への手紙一 13:1-4、コリントの信徒への手紙二 9:7、ガラテヤの信徒への手紙 5:6,22-23、エフェソの信徒への手紙 6:6、フィリピの信徒への手紙 1:9-10,15-17、ヘブライ人への手紙 10:22、ヤコブの手紙 2:14-17、ヨハネの手紙一 4:7-8、ミカ書 6:8、箴言 16:2、詩編 51:19、139:23-24、ヨハネの黙示録 2:23、14:12)
講話 9 – 137
気づき“わたし”の言葉を心にとどめておきなさい ―― あなたたちの心の内を、“万軍の主”の御心と一つにしなさい。これが何を意味するのか、深く考え、黙想し、瞑想しなさい。そうすればするほど、深く理解し、やがて、“万軍の主”の似姿として造られた、“わたし”のようになるときがやって来ます。 “わたし” は、“万軍の主”の子であり、そのご命令を行います。 “わたし” の中で、“父”の御心が、成されるのです。あなたたちが、“わたし”を見るとき、あなたたちは、“父”を見るのです。“わたし”は、“神の愛”であり、“愛なる父”の独り子だからです。
では、“至高者の聖所”に入りましょう。
(マタイによる福音書 3:17、5:8,48、6:10、22:37-39、マルコによる福音書 3:35、12:30、ルカによる福音書 6:40、ヨハネによる福音書 1:14、10:30、14:9-11、使徒言行録 17:28-29、ローマの信徒への手紙 8:29、コリントの信徒への手紙二 3:18、コリントの信徒への手紙二 3:18、ガラテヤの信徒への手紙 4:19、エフェソの信徒への手紙 5:1-2、フィリピの信徒への手紙 2:5-8、コロサイの手紙 1:15,27、ヘブライ人への手紙 1:3、ヨハネの手紙一 3:2、4:8、創世記 1:26-27、出エジプト記 6:5-6、箴言 23:26、詩編 17:15、27:4、42:1-2、ヨハネの黙示録 1:5-6、3:21、5:5-6、21:7、22:13)