講話 7 – 41
気づき神の子が“天”においても“地”においてもすべての力を持っていることを“わたし”は証明しなかったでしょうか。“わたし”を死者の中から蘇らせたこの同じ“霊”があなたたちの中にも宿っており、“わたし”を蘇らせたようにあなたたちも蘇らせるのです。
(マタイによる福音書 28:18、ヨハネによる福音書 10:37-38、14:16、ローマの信徒への手紙 8:11、コリントの信徒への手紙一 6:14、15:20-26、コリントの信徒への手紙二 4:14、フィリピの信徒への手紙 2:9-11、エフェソの信徒への手紙 1:19-20、ヘブライ人への手紙 1:1-3、ダニエル書 7:13-14)
講話 7 – 42
気づきあなたたちも“わたし”と同じ経験をすることになるでしょう。そのために、“わたし”はあなたたちを助けるために来たのです。
(ヨハネによる福音書 12:47、14:16-17、15:26、16:33、使徒言行録 1:8、ヘブライ人への手紙 2:18、4:15-16、申命記 31:8、エゼキエル書 36:27、エレミヤ書 31:3)
講話 7 – 43
気づきあなたたちについて “わたし” が語る言葉と “わたし” の心の思いは、“父”を喜ばせます。
(ヨハネによる福音書 8:29、12:49-50、14:23、ヘブライ人への手紙 1:9、ヨハネの手紙一 3:22、詩篇 34:13、51:17、119:14、145:18)
講話 7 – 44
気づきあなたたちはこうして、すべての“命”を貫いて躍動している “わたし” の“父”の最高の表現となり、“光”を放ち、深い内奥の“安らぎ”を現し、無意識のうちに“神性”を現すことができるようになります。
(ヨハネによる福音書 8:12、14:23、15:5、マタイの福音書 5:14-16、フィリピの信徒への手紙 2:15、4:6-7、コリントの信徒への手紙一 3:16、コリントの信徒への手紙二 4:6、フィリピ信徒への手紙 2:15、ヤコブの手紙 3:17、出エジプト記 33:19、イザヤ書 6:3、詩篇 145:18-19、イザヤ書 65:24、ハバクク書 2:14)
講話 7 – 45
気づきこの内奥の“安らぎ”は、深い謙虚さの受容によるものです。しかしこの謙虚さは崇高なもので、「われ自らは何事も為しえず、わが内に常に留まり給う“父”こそ御業(みわざ)を為し給う」というものです。
(ヨハネによる福音書5-19,30、14:10、15:5、コリントの信徒への手紙二 3:5、フィリピの信徒への手紙 2:13-16、4:13、エゼキエル書 36:27、詩篇 46:10、イザヤ書 40:28-31、ヨハネの黙示録 3:18、4:11、7:12、22:13)
講話 7 – 46
気づきこうしてあなたたちは、無意識のうちに“神性”を現すようになります。どこに行っても、何を語ろうとも、何をしても、あなたたちは無意識のうちに“神性”を現すようになります。そうして、あなたたちの言葉と行為によって、他の人びとが助けられるのです。
(マタイによる福音書 5:14、ヨハネによる福音書 8:12、14:23、フィリピの信徒への手紙 2:13-16、4:8、ペトロの手紙一 2:12、コリントの信徒への手紙一 10:31、出エジプト記 33:19、ハバクク書 2:14、イザヤ書 6:3、詩篇 121:1-2)
講話 7 – 47
気づきこの“光”は隠されることはできません。なぜなら、“愛”と“叡智”は、すべての身振り手振り、一言一句に表れ、伝わっていくからです。こうしてあなたたちは、インスピレーションに満たされた魂となるのです。
(マタイによる福音書 5:14-16、ヨハネによる福音書 1:4、8:12、コロサイの信徒への手紙 4:6、テモテへの手紙二 1:7、コリントの信徒への手紙二 4:6、エフェソの信徒への手紙 5:8-9、ペトロの手紙一 2:9、4:11、詩篇 119:105、箴言 3:5-6、6:23)
講話 7 – 48
気づき『聖書』の言葉の本当の価値は、神からの賜物を受けとることができるように、あなたたちの理解力を深めることなのです。これらの賜物は、あなたたちの心の紐解(ひもと)かれ方によって授けられるのです。
(マタイによる福音書 7:7-8、13:11-12、マルコによる福音書 4:24-25、ルカによる福音書 11:13、ヨハネによる福音書 14:26、16:13、ヤコブの手紙 1:5、コリントの信徒への手紙一 2:10-14、12:4-11、テモテへの手紙二 3:16-17、エフェソの信徒への手紙 1:17-18、4:11-12、ペトロの手紙一 4:10、ヤコブの手紙 1:5、ローマの信徒への手紙 4:3、イザヤ書 55:8-9、箴言 1:7、2:6-7、9:10、詩編 25:14、119:18,105、ヨハネの黙示録 3:20)
講話 7 – 49
気づき“信じる”という言葉は、『聖書』の中で、まちがった解釈をされてきました。“信じる”という言葉は、深く理解するということであり、この深い理解が、真の知識をもたらすのです。その理解が深まるにつれて、あなたたちを通して働かれている、“父”を意識するようになるのです。“父”があなたたちに授けて下さった賜物を、自然に開花させなさい。それらは今、あなたたちが、気づくことを待っているのです。あなたたちは、インスピレーションによって、“神聖な賜物”を、開花させることができるのです。
(ヨハネによる福音書 1:12、14:12,21、マタイによる福音書 6:33、マルコによる福音書 9:23-24、ルカによる福音書 8:50、ヘブライ人への手紙 11:1、コリントの信徒への手紙一 2:10-14、12:7、ローマの信徒への手紙 12:2,6、エフェソの信徒への手紙 1:17-18、ヤコブの手紙 1:5,17、箴言 2:6、3:5-6、詩編 23:1-6、25:8-9、27:1、121:1-2、ヨハネの黙示録 2:17、3:8)
講話 7 – 50
気づき啓示によって書き記されてきた『聖書』は、すべての書物の上に位置づけられています。これまで何百万人もの人びとが、“真理”の言葉によってインスピレーションを受け、高められてきました。
(テモテへの手紙二 3:16、ペトロの手紙一 1:23、マタイによる福音書 24:35、ヘブライ人への手紙 4:12、ローマの信徒への手紙 1:16、出エジプト記 24:4、申命記 31:9、歴代志上 29:29、詩篇 1:2、19:7-8、119:105、119:160、箴言 30:5、ヨハネの黙示録 1:1、19:10、22:18)