講話 7 – 21

気づき

“わたし” の言葉は“天”からのものであり、神の豊かな富と叡智を注ぐ“唯一なる神の霊”からの啓示なのです。

(テモテへの手紙二 3:16、ペトロの手紙一 1:21、使徒言行録 2:33、ヨハネによる福音書 1:1-14、3:34、14:26、コリントの信徒への手紙一 2:10,13、ヤコブの手紙 1:5、3:17、詩篇 19:1-2、7-11、箴言 2:6)

講話 7 – 22

気づき

これらの言葉を通じて、あなたたちもインスピレーションを受けることができるのです。 “わたしの言葉”は天からのもの、内なるものです。外なるものは決して触れることができない領域である“至高の意識”から来ています。しかしその領域は、外なるものを通じて外にそれ自身を現すことができます。そのとき、外なるものは内なるもののようになるのです。

(ヨハネによる福音書 1:14、6:63、14:10-11,26、17:16、マタイによる福音書 5:16、ローマの信徒への手紙 8:29-30、コロサイの信徒への手紙 3:16、エフェソの信徒への手紙 1:17-20、3:16-19、コリントの信徒への手紙一 2:10、コリントの信徒への手紙二 4:18、ヤコブの手紙 1:5、イザヤ書 55:10-11、詩篇 42:7、箴言 4:23)

講話 7 – 23

気づき

これらの言葉はあなたたちのために録音され、書き起こされています。したがって、あなたたちは静かな一時(ひととき)にそれらを吸収し、瞑想することができます。そうすることによって、あなたたち自身の言葉にすることができるのです。これらの言葉を死すべき感覚を超えたレベルに高めることによって、以前には持っていなかった悟りと力を得ることができるのです。

(詩篇 1:1-2、119:11,130、箴言 2:1-5、4:20-22、ヨシュア記 1:8、ヨハネによる福音書 14:26、15:7、コリントの信徒への手紙一 2:16、テモテへの手紙二 2:15、ヤコブの手紙 1:22、マタイの福音書 24:35)

講話 7 – 24

気づき

啓示を受けることは、すべての人びとに可能なのです。まさに今でさえ、あなたたちは、 “命”に隠された奥義が理解できるように、“わたし の言葉”を通じてインスピレーションを受けているのです。

(詩篇 42:1-2、箴言 2:6-7、4:23、ダニエル書 2:19-22、ヨハネによる福音書 14:16-17,26、16:13、エフェソの信徒への手紙 1:17-18、3:16-19、コリントの信徒への手紙一 2:10、ヤコブの手紙 1:5、フィリピの信徒への手紙 4:8)

講話 7 – 25

気づき

ゆえに、 “わたし” の言葉は、あなたたちの内に秘められている偉大で栄光に満ちた“真理”を学ぶための手段となるのです。

(ヨハネによる福音書 8:32、14:6、17:17、コリントの信徒への手紙二 3:18、エフェソの信徒への手紙 1:17-18、ヘブライ人への手紙 4:12、ヤコブの手紙 1:5、申命記 30:11-14、詩篇 43:3、51:6、119:105、箴言 2:1-5、15:33、イザヤ書 55:10-11)

講話 7 – 26

気づき

語られた言葉によって生じる奇蹟は、肉体感覚を通じ、その時々の言葉で語られるにすぎないのですが、それを“永遠にして霊的なもの”にされる神の奇蹟の使者によるものなのです。

(ヨハネによる福音書 1:1-3,14、ヘブライ人への手紙 1:1-3、4:12、詩篇 33:6、119:89、箴言 15:1、30:4-5、イザヤ書 40:8)

講話 7 – 27

気づき

“わたし”の中で語られるのは“父”です。死すべき感覚、死すべき肉体を通して語られ、これらの言葉を“永遠”にして“常在”なる“実在”とされるのです。

(ヨハネによる福音書 8:28、12:49-50、14:10,26、17:5,8,21-23、ヘブライ人への手紙 1:1-2、コリントの信徒への手紙一 2:13、マタイによる福音書 17:5、詩篇 33:6)

講話 7 – 28

気づき

今、内なる領域にいる人びとは、死すべき肉体からすでに去りましたが、今までどおりに生きています。彼らも“わたし”の言葉を聴き、それによってインスピレーションを受けているのです。

(ヘブライ人への手紙 12:1、ルカによる福音書 20:38、マタイによる福音書 10:28、22:32、ヨハネによる福音書 11:25-26、コリントの信徒への手紙一 15:51-52、サムエル記下 12:23、詩篇 115:17、ヨハネの黙示録 2:11)

講話 7 – 29

気づき

悟りによって、あなたたちの誰もが、今、死すべき感覚を超えた高次の意識の領域に入ることができるのです。

(ヨハネによる福音書 8:32、14:6、ローマの信徒への手紙 12:2、コリントの信徒への手紙一 2:9-10、2:14、エフェソの信徒への手紙 1:17-18、ヨハネの黙示録 3:20、箴言 2:6、4:23、詩篇 119:99-100)

講話 7 – 30

気づき

わたしが“パン”という言葉を用いたとき、わたしはこの言葉に聖なる霊的な意味をもたせたのです。すなわち、あらゆる物事においてあなたたちを支える霊的な糧となる“真理”という意味を込めていたのです。

(マタイによる福音書 4:4、6:11、マルコによる福音書 11:9、ルカによる福音書 11:3、ヨハネによる福音書 6:5,11,35,48,51,63、コリントの信徒への手紙一 10:17、詩篇 23:1、78:24-25、箴言 9:5、申命記 8:3)