講話 4 – 61
気づき人の心を知るのは“内なるキリスト”です。“神の御心”を知るのは“神の霊”をおいて他にありません。
(コリントの信徒への手紙一 2:11、ヨハネによる福音書 14:26、ローマの信徒への手紙 8:27、マタイによる福音書 11:27、詩篇 139:2、箴言 15:19)
講話 4 – 62
気づき“キリスト”はすべてを見極めます。しかし、“キリスト”を説明できる者はいません。偽りを見抜くのは“キリスト”です。“真実”を知るのは“キリスト”です。“キリスト”は全能なるがゆえに、世の無智を消滅させます。
(ヘブライ人への手紙 1:3、4:12-13、ヨハネによる福音書 8:12、イザヤ書 40:28、ヨブ記 38:4、ヨハネの黙示録 19:12)
講話 4 – 63
気づきあなたたちの周りには、今この瞬間、およそ25万人の魂がわたしの話を聴いており、その多くがあなたたちに混ざっています。
(マタイによる福音書 5:14、18:20、ヘブライ人への手紙 12:1)
講話 4 – 64
気づきあなたたちはわたしの声をこの物質界で聴いていますが、内なる次元でもわたしの声は聴かれています。またさらに高い霊的次元でも、今まさに自己の内なる “キリストの真理”に目覚めつつある多くの人びとにも、わたしの声は聴かれているのです。
(詩篇 139:7、ヨハネによる福音書 10:27、14:26、コリントの信徒への手紙二 2:10、イザヤ書 40:28、マタイによる福音書 11:15、ヨハネの黙示録 3:20)
講話 4 – 65
気づき“わたし”は“神のキリスト”です。世が始まる前に実在していた“神の霊”、まさにそれなのです。存在するようになったものはすべて、“わたし”を通して創られたのです。
(箴言 8:22-23、ヨハネによる福音書 1:1-3、コロサイの信徒への手紙 1:16-17、イザヤ書 9:6、ヘブライ人への手紙 1:2、ヨハネの黙示録 1:8)
講話 4 – 66
気づきもしあなたたちが自己の内奥に深く探し求めるならば、柔和さにおいて最も偉大であり、謙虚さにおいて最も高貴である方について学ぶことができるでしょう。
(マタイの福音書 5:5、11:29、23:11-12、フィリピの信徒への手紙 2:3-7、箴言 15:33、サムエル記第一 16:7)
講話 4 – 67
気づき全体との関係性を理解するにつれて、あなたたちの個性は明確になっていきます。
(箴言 18:15、ローマの信徒への手紙 12:4-5、マタイによる福音書 22:39、エフェソの信徒への手紙 4:16、詩篇 139:14、コリントの信徒への手紙一 12:12-14,27)
講話 4 – 68
気づきあなたたちの想念が聖なる敬虔さに満たされるにつれ、心は澄みきり、心の内奥の中心は“光”に満たされます。もっとも弱き者、もっとも低き者、もっとも柔和な者は、“全宇宙”を味方にすることができます。
(マタイによる福音書 5:3,5、11:29、コリントの信徒への手紙一 1:27、ヨハネによる福音書 14:16、箴言 9:10、詩篇 34:18、51:17、イザヤ書 40:29)
講話 4 – 69
気づきあなたたちが誰であれ、何であれ、“キリスト”があなたたちの内に宿っていることを忘れてはなりません。外側からしか聞くことができない死すべき感覚の無智によって、“キリスト”はしばしば隠されています。しかし、“内なるキリスト”に目覚めれば、全能なる“厳かで静かな声”が、あなたたち自身の内から発せられるのです。この目覚めは、あなたたちがありとあらゆる存在と一つであること、ありとあらゆる存在である神と一つであることの悟りなのです。
(コロサイの信徒への手紙 1:27、ヨハネによる福音書 14:20、15:4、コリントの信徒への手紙二 6:16、イザヤ書 42:6、詩篇 139:7、列王記上 19:11-12)
講話 4 – 70
気づき見よ、これこそが死んだにもかかわらず蘇り、失われたものの、今や探し出された“わたし”の息子なのです。
(ルカによる福音書 15:24、マタイによる福音書 20:19、エフェソ人への手紙 2:4-5、ヨハネによる福音書 5:24、サムエル記第一 2:6、ヨブ記 19:25)