講話 3 – 51

気づき

ゆえに、“わたし”はその“命”であり、天においても地においても、すべての権能が“わたし”に与えられています。「あなたたちはまず、“神の国と神の義”を求めなさい。そうすれば、求めたものに加えてすべてのものがあなたたちに与えられます」

(マタイによる福音書 6:33、ヨハネによる福音書 14:6、コロサイの信徒への手紙 1:16-17、フィリピの信徒への手紙 4:13、詩篇 24:1)

講話 3 – 52

気づき

“意識”は、“命”が表現される程度を決定します。“わたし”は自分が“神の命”であることを意識しています。「“わたし”は“神のキリスト”です」「“わたし”は、“わたし”の内で働き給う“父”の真の息子です」。

(ヨハネによる福音書 10:30、14:9-11,20、フィリピの信徒への手紙 2:5-8、4:13、ヨハネの黙示録 1:8,14、5:13、22:13,16、イザヤ書 41:4)

講話 3 – 53

気づき

“キリスト意識”は、天においても地においても、すべてを父が支配していることを明らかにします。これこそが真の“キリスト意識”です。

(マタイによる福音書 28:18、詩篇 110:1、エフェソの信徒への手紙 1:20-23、コロサイの信徒への手紙 1:16-17、ヨハネによる福音書 14:9)

講話 3 – 54

気づき

“わたし”がかつて地上に生き、今も生き、さらに世の終わりまでも、あなたたちと共にいるのはこのためです。すなわち、すべての人びとが “キリスト意識” を認識し、実現し、これによってわたしたちが一つになるためです。

(ヨハネによる福音書 14:23、17:21-23、マタイによる福音書 28:18-20、ヨハネの手紙 一4:12、エフェソの信徒への手紙 4:4-6、ガラテヤ人への手紙 3:28)

講話 3 – 55

気づき

“真理”に目覚め、“真理”を現すことによって、わたしたち全員が一つになれるよう、“わたし”は忍耐強く待っています。あなたたちは、真実については口論をしません。偽りについてのみ口論をするのです。生きている、生活をしているという事実ではなく、自分の信念や考えについてのみ言い争うのです。死すべき運命の人間は、肉の世界から大いなる世界への出口を求めています。そのために、死すべき者は自分自身と言い争うのです。しかし、“キリスト”は決して言い争いません。“キリスト”は知っているからです。ゆえに、真実と偽りを見分けるのはたやすいことなのです。

(ヨハネによる福音書 8:32、14:6、17:21、ヨハネの手紙一 4:16、ローマの信徒への手紙 1:25、マタイによる福音書 7:20、詩篇 85:10-11、ヨハネの黙示録 19:6、21:5、22:17)

講話 3 – 56

気づき

聖なる言葉は「“わたし”は在る」(I am)です。「“わたし”は『“わたし”は在る』である」(I am that I am.)です。これを理解できる者はほんのわずかでしたが、預言者たちは時代を超えてこの永遠の秘密を知っていました。しかし、すべての人が理解するようになります。なぜなら、“子”が“父”を明らかにすることは“父”の命令であり、それによってすべての者が“父”を知るようになるからです。“わたし”の“父”の御心を行う者は、“わたし”の母であり、“わたし”の姉妹であり、“わたし”の兄弟なのです。

(出エジプト記 3:14、ヨハネによる福音書 8:58、ガラテヤの信徒への手紙 4:6、マタイによる福音書 12:50、ヨハネの黙示録 1:8,14、22:13)

講話 3 – 57

気づき

“キリスト”の力に目覚めれば覚めるほど、“キリスト”の力は“愛と叡智”でなければならないことがはっきりとわかります。わたしが、「律法を滅ぼすために来たのではなく、律法を成就させるために来た」と言ったのは真実でした。なぜなら、“わたし”は“天の偉大な力のメッセージ”を地上に、すなわち、内なる“キリストの力”を外なるものにもたらしたからです。この力は“愛と叡智”であり、調和と平和といったすべての良きものの構築者です。それは永遠に存続しますが、不調和は “命”ではなく死である無智の中にのみとどまります。

(マタイによる福音書 5:17,38、ヨハネの手紙一 4:8、ヨハネによる福音書 1:4、13:34、ヤコブの手紙 3:17、ローマの信徒への手紙 10:4、13:8-10、ガラテヤの信徒への手紙 5:14、ヨハネの黙示録 21:4)

講話 3 – 58

気づき

一日のうちのわずかな時間でも、沈黙の中に成長する一時(ひととき)に充て、あなたたちの存在全体に静謐(せいひつ)と調和をもたらすことをわたしは望んでいます。これは、社会問題や戦争の噂に囲まれたあなたたちの日々の生活の中では、とても大切なことです。

(ハバクク書 2:20、詩篇 46:10、マタイによる福音書 6:6、ヨハネによる福音書 15:4、ヤコブの手紙 1:5,17-19、フィリピ人への手紙 4:6-8、ヨハネの黙示録 22:13-14,17、イザヤ書 30:15)

講話 3 – 59

気づき

まず、神に満たされた静かなる“臨在感”、生き生きと脈動している静謐を意識するようになるでしょう。常に躍動している“神の臨在”という内なる沈黙のなんと美しいことか、それはあなたたちの生活における“神の強大なる力と調和の表現”です。この静謐は、あなたたちの内に、秀逸で健全な判断力と、明晰な洞察力を育み、その結果があなたたちの身体と環境に反映されていくでしょう。

(詩篇 46:10、ヨハネによる福音書 14:27、マタイによる福音書による 6:6、イザヤ書 32:17、ヤコブの手紙 1:17-19、ローマの信徒への手紙 12:2、ヨハネの黙示録 22:13-14,17)

講話 3 – 60

気づき

肉体の心(心臓)の中の静寂は、“霊”の心と一つになり、血液の完全な循環をもたらします。

(詩篇 46:10、コリントの信徒への手紙一 6:19-20、エゼキエル書 36:26、箴言 3:7-8、ヤコブの手紙 5:14-15、ヘブライ人への手紙 9:11-14、ヨハネの黙示録 21:4、22:1,2,13-14,17)