講話 14 – 51

気づき

ゆえに、もしあなたたちが、兄弟に対して「おまえはただの乳母ではないか」、「おまえはバカだ」などと言うならば、 あなたたちは、“愛の法則”に背く罪を、犯してしまうことになるのです。

(マタイによる福音書 5:22、ヤコブの手紙 3:8-10、ヨハネの手紙一 4:20、エフェソの信徒への手紙 4:29-31、レビ記 19:18、箴言 15:1、詩編 34:13-14、ヨハネの黙示録 2:20-23、3:19、21:8、22:14-15)

講話 14 – 52

気づき

あなたたちが“天の父”に祈るときは、あなたたちに不満を抱いている人びとを、まず思い浮かべなさい。そうして、心の中で、彼らと和解をするのです。そうすれば、“父”はあなたたちの話を聞いてくださるのです。

(マタイによる福音書 5:23-24、6:14-15、マルコによる福音書 11:25、ルカによる福音書 11:4、ヤコブの手紙 5:16、コリントの信徒への手紙二 5:18、レビ記 19:18、箴言 15:1、28:9、詩編 66:18-19、ヨハネの黙示録 2:4-5、3:19,20)

講話 14 – 53

気づき

心の中で和解して初めて、赦しと解放があります。そのとき、あなたたちの心は本性を現し、“愛”そのものである“父なる神”が、あなたたちを祝福されるのです。

(マタイによる福音書 5:23-24、6:14-15、ヨハネの手紙一 4:16、コロサイの信徒への手紙 3:13-14、ガラテヤの信徒への手紙 5:22、ローマの信徒への手紙 5:1、コリントの信徒への手紙二 5:18、エフェソの信徒への手紙 4:32、イザヤ書 1:18、箴言 10:12、15:1、16:6、21:21、28:13、詩編 34:18、103:8-12、ヨハネの黙示録 3:8,19-20、21:4、22:14)

講話 14 – 54

気づき

あなたたちの心の内には、“父の家”に入るための鍵があります。“父の家”には、あなたたちのために蓄えられた恵みがあるのです。

(ヨハネによる福音書 14:2,23、ルカによる福音書 12:34、17:21、マタイによる福音書 6:20-21、コロサイの信徒への手紙 3:1-2、エレミヤ書 31:33、箴言 4:23、詩編 37:4、51:10、ヨハネの黙示録 2:17、3:8,20-21、21:7、22:14)

講話 14 – 55

気づき

不正直な言葉を、付け足してはなりません。それは、何の役にも立ちません。そうした言葉が、“父”のもとに届くことはありません。真意ではないこと、本当には感じていないことを言うのは、祈りではないのです。

(マタイによる福音書 6:7、15:8、ヨハネによる福音書 4:24、ヘブライ人への手紙 4:12、ヤコブの手紙 1:26、ローマ人への手紙 12:1、アモス書 5:21、イザヤ書 29:13、箴言 12:22、詩編 51:17、66:18、ヨハネの黙示録 3:8,15-16、14:5、21:8、22:15)

講話 14 – 56

気づき

あなたたちが祈るとき、“わたし”の言葉を思い浮かべるならば、あなたたちは、心の内で密かに祈り、赦し、赦されることになるでしょう。なぜなら、“わたし”を愛するすべての人びとの心に、“わたし”は宿っており、“神の力”を心得ているからです。

(マタイによる福音書 6:6,14-15、22:37、マルコによる福音書 11:25、ルカによる福音書 6:37、11:2、ヨハネによる福音書 14:23、ローマの信徒への手紙 5:5、エフェソの信徒への手紙 4:32、イザヤ書 1:16、箴言 3:5-6、4:23、詩篇 51:10-11,17、119:11、ヨハネの黙示録 3:20)

講話 14 – 57

気づき

もしあなたたちが、“神の御心”を語るならば、すべてが可能となり、あなたたちの言葉が、あなたたちのもとに虚しく戻ることはなく、与えられた目的を成し遂げます。では、“神の力”はどこに宿られているのか、それを考えてみなさい。

(マタイによる福音書 21:22、24:35、マルコによる福音書 11:23-24、ルカによる福音書 21:33、ヨハネによる福音書 14:12-14、15:7、ローマの信徒への手紙 1:16、エレミヤ書 1:9-12、イザヤ書 55:11、箴言 18:21、詩編 33:9、107:20、119:89、ヨハネの黙示録 1:16、3:8、19:15)

講話 14 – 58

気づき

心を清くしなさい。そうすれば、“わたし”と語ることができます。 “わたし”は、“父の御心”を行うからです。

(マタイによる福音書 5:8、マルコによる福音書 7:21-23、ルカによる福音書 6:45、ヨハネによる福音書 5:19、7:17、14:10、ヘブライ人への手紙 10:22、サムエル記上 16:7、箴言 4:23、詩編 24:3-4、51:10、ヨハネの黙示録 3:20)

講話 14 – 59

気づき

多くの人びとは、友人には親切であり、敵は憎みます。 “わたし”には、敵は存在しません。すべての人びとが、“わたし”の友です。“わたし”のようになるためには、“わたし”と同じようにしなければならないのです。

(マタイによる福音書 5:44-47、マルコによる福音書 11:25、12:31、ルカによる福音書 6:27-28、ヨハネによる福音書 13:34-35、ローマの信徒への手紙 12:14,20、コリントの信徒への手紙一 13:4-7、レビ記 19:18、申命記 10:19、箴言 25:21-22、詩編 145:9、ヨハネの黙示録 3:19)

講話 14 – 60

気づき

“愛”があれば、誰もが敵ではなくなります。これを受け入れるならば、これがいかに真実であるかを目の当たりにします。利己心や無智が消え去るとき、“愛”、すなわち、“真理”が現れます。“愛”である“父の家”に、敵は存在しません。すべての人びとが、“愛”と“平安”の中で、暮らさなければなりません。そうでなければ、そこに入ることはできません。天国に入るためには、天国を携えて行かなければならないのです。

(マタイによる福音書 5:43-44、マルコによる福音書 11:25、12:31、ルカによる福音書 17:21、ヨハネの手紙一 4:7-8、ローマの信徒への手紙 12:9-10,18、コリントの信徒への手紙一 13:4-7、レビ記 19:18、申命記 10:19、箴言 10:12、25:21-22、詩編 34:14、ヨハネの黙示録 21:27)