講話 14 – 41
気づき神の赦しは、自然に生じるものであり、神の“永遠の愛”の流入によって、すべての過ちが瞬時に消し去られるのです。ゆえに、後悔や悲しみ、自責の念によって、神の“神聖な贈り物”を妨げてはならないのです。
(マタイによる福音書 6:14-15、マルコによる福音書 11:25、ルカによる福音書 15:20、6:37、ローマの信徒への手紙 3:23-24、コリントの信徒への手紙二 5:17、エフェソの信徒への手紙 1:7、ヨハネの手紙一 1:9、ミカ書 7:19、イザヤ書 1:18、箴言 28:13、詩編 103:12、ヨハネの黙示録 3:19、21:4)
講話 14 – 42
気づきこのことを理解すると、神の“愛”に開かれた心の内に、神の“愛”が流れ込み、やがて、それは肉体に現れます。もしあなたたちが、後悔し、嘆き、悲しんでいるならば、心は、影で満たされてしまいます。しかし、神の“愛”があなたたちを満たすとき、影の居場所はなくなり、消滅してしまうのです。
(マタイによる福音書 11:28-30、マルコによる福音書 12:30、ルカによる福音書 1:78-79、ヨハネによる福音書 8:12、15:9、ヨハネの手紙一 4:16-18、ローマの信徒への手紙 5:5、イザヤ書 1章18、箴言 4:18、16:24、詩編 34:5、ヨハネの黙示録 21:4)
講話 14 – 43
気づきそのための唯一の条件は、神に心を開き、神が“永遠の愛”で、あなたたちを満たしてくださるようにすることです。
(マタイによる福音書 5:6、7:7-8、マルコによる福音書 11:24、ルカによる福音書 11:9-10、ヨハネによる福音書 15:4-5、エフェソの信徒への手紙 3:17-19、コリントの信徒への手紙二 6:17、使徒言行録 2:38、申命記 6:5、箴言 3:5-6、詩編 34:8、51:10、ヨハネの黙示録 3:20)
講話 14 – 44
気づき慈悲深い者は幸いです。 “わたし”は、彼らの中に、永遠に留まるからです。
(マタイによる福音書 5:7、ルカによる福音書 6:36-37、ヨハネによる福音書 14:23、マルコによる福音書 11:25、エフェソの信徒への手紙 4:32、ミカ書 6:8、ホセア書 14:2、箴言 11:17、14:21、詩編 18:25、37:21、ヨハネの黙示録 21:3)
講話 14 – 45
気づき喜びなさい、あなたたちの報いは、“天”において増えるからです。“天”とは、あなたたち自身の、外にある場所ではありません。“天”は、あなたたちの中にあり、この報いは、あなたたちの中で増えていくのです。あなたたちの報いは、即座に与えられ、あなたたちと共にあり、永遠に増えていくのです。
(ルカによる福音書 17:21、マタイによる福音書 5:12、6:19-20、ヨハネによる福音書 14:23、コリントの信徒への手紙二 4:16-17、イザヤ書 30:15、箴言 11:18、詩篇 16:11、ヨハネの黙示録 22:12)
講話 14 – 46
気づきあなたたちの中で、“世の光”は輝くのです。ゆえに、その“光”を、単なる言葉ではなく、あなたたちの行動によって現しなさい。
(マタイによる福音書 5:14-16、マルコによる福音書 4:21、ルカによる福音書 8:16、ヨハネによる福音書 8:12、ヤコブの手紙 2:14-17、フィリピの信徒への手紙 2:14-15、ミカ書 6:8、箴言 4:18、詩編 37:6、50:23、ヨハネの黙示録 22:5)
講話 14 – 47
気づき言葉は、教養のない人の心を惑わせますが、行いは、その人の本質を明らかにします。心の内から語り、心の内で感じなければならないのです。
(マタイによる福音書 7:16-17、12:33-34、マルコによる福音書 7:20-23、ルカによる福音書 6:44-45、ヤコブの手紙 2:14-18、箴言 4:23、23:7、詩編 19:14、51:6、ヨハネの黙示録 2:23)
講話 14 – 48
気づきこうして、あなたたちは、“天”におられる“父”の栄光を讃えます。“天の王国”は、あなたたちの内にあるのです。「“わたし”と“父”は一つである」という“真理”は、これを悟るとき、なんと輝かしい“真理”であることか――。
(ヨハネによる福音書 10:30、14:10-11,20、ルカによる福音書 17:21、マタイによる福音書 5:16、6:33、ローマの信徒への手紙 8:9、コリントの信徒への手紙二 13:5、エレミヤ書 31:33、箴言 3:6、詩編 46:10、73:23-24、139:7-10、ヨハネの黙示録 3:20、21:3,22、22:3-5)
講話 14 – 49
気づきあなたたちは、“神の民”として語られる存在であり、世界のすべての人びとの中にあって、すべての民族の父である神と、その御子である“キリスト”、すなわち、すべての魂に宿る“一人子キリスト”に対してのみ、忠誠を誓う人びとなのです。
(ヨハネによる福音書 1:14、14:23、マルコによる福音書 3:35、12:50、ルカによる福音書 8:21、コリントの信徒への手紙第二 5:17、ペトロの手紙一 2:9、ガラテヤの信徒への手紙 3:26-28、出エジプト記 19:5-6、イザヤ書 43:1、箴言 3:5-6、詩編 100:3、ヨハネの黙示録 21:3)
講話 14 – 50
気づき“わたし”の弟子になるためには、あなたたちは、“普遍的”(Universal)でなければなりません。神への忠誠以外に、いかなる忠誠もあり得ません。他のどんな忠誠も、あなたたちの内にまします、“父なる神”の、真の表現を、制限してしまうのです。
(マタイによる福音書 6:24、15:5、ルカによる福音書 9:23、14:26-27、マルコによる福音書 8:34-35、10:29-30、ローマ人への手紙 12:2、ヤコブの手紙 1:8、出エジプト記 20:3、申命記 6:5、ヨシュア記 24:15、箴言 3:5-6、詩編 73:25、ヨハネの黙示録 3:15-16)