講話 13 – 1

気づき

神の“命”を、あなたたちの内なる“キリスト意識”として見なさい。そうすれば、「わたしは“命”である」ということが、実感されるのです。

(ヨハネによる福音書 14:6、ルカによる福音書 17:21、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、コロサイの信徒への手紙 3:3、コリントの信徒への手紙二 5:17、エフェソの信徒への手紙 2:5、フィリピの信徒への手紙 1:21、詩編 36:9、イザヤ書 60:1、ヨハネの黙示録 3:20、21:6、22:1)

講話 13 – 2

気づき

“命”は、“意識”です。それは、神ご自身の自己顕現です。他にはありえません。“キリスト”は、“父”の一人子なのです。

(ヨハネによる福音書 1:1-3,14、3:16、14:9-10、マルコによる福音書 1:11、9:7、ルカによる福音書 3:22、10:22、コロサイの信徒への手紙 1:15-17、ヘブライ人への手紙 11:3、イザヤ書 9:6、ヨハネの黙示録 1:8、3:14)

講話 13 – 3

気づき

あらゆるものが存在する世界を治める“キリスト”こそが、偉大なる人なのです。この“キリスト人”(Christ-man)は、すべての個人の中に存在しており、どこにも分け隔てはないのです。これを実感することができたら、あらゆるものが一体であり、分離も区別もない“実在”の完全性を理解することが、いかにすばらしことかが理解できるでしょう。

(コロサイの信徒への手紙 1:17、3:11、ガラテヤの信徒への手紙 3:28、エフェソの信徒への手紙 4:6、ローマの信徒への手紙 8:38-39、ヨハネによる福音書 14:6、ルカによる福音書 10:22、17:20-21、詩編 139:7-10、エレミヤ書 23:24、ヨハネの黙示録 1:8、21:6-7)

講話 13 – 4

気づき

“聖なる種”の成長が、あなたたちの中に現れています。密かな働きが、進行しているのです。忍耐強く待ちなさい。時季が来れば実が成るように、あなたたちの内なる“キリスト”は、“神の果実”として、完成品として、結実するのです。

(ガラテヤの信徒への手紙 5:22-23、ヨハネによる福音書 15:4-5、マルコによる福音書 4:26-29、13:28-29、ルカによる福音書 8:11-15、13:18-19、コリントの信徒への手紙一 3:6-7、コリントの信徒への手紙二 5:17、ペトロの手紙一 2:2、ローマの信徒への手紙 8:18-19、イザヤ書 40:31、61:3、詩編 1:3、ヨハネの黙示録 3:10、22:12)

講話 13 – 5

気づき

あなたたちが気づいていなくても、あなたたち一人ひとりの中で、不断の御業(みわざ)が進行しています。大いなる“真理”に停止はなく、人類全体の至る所で、絶え間なく上方へと向かう動きがあります。これがあなたたちの中で働いている、“キリスト”なのです。

(ヨハネ福音書 15:5、マルコによる福音書 4:26-32、ルカによる福音書 13:20-21、17:20-21、フィリピの信徒への手紙 2:13、コロサイの信徒への手紙 1:29、エフェソの信徒への手紙 2:10、3:20、ローマの信徒への手紙 8:28、エレミヤ書 29:11、イザヤ書 55:11、詩編 139:7-10、ヨハネの黙示録 3:20、22:12-13)

講話 13 – 6

気づき

そうです、あなたたちの質問に答えますが、これらの講話が完了したら、それは出版されることになるでしょう。そうすれば、世界中の人びともまた、これらの講話を手にすることができます。

(マタイによる福音書 28:19-20、使徒言行録 1:8、マルコによる福音書 16:15、ローマの信徒への手紙 1:16、コリントの信徒への手紙二 1:13、4:2、イザヤ書 52:7、55:11、詩編 96:3、ヨハネの黙示録 1:3、10:11、14:6、22:10)

講話 13 – 7

気づき

今日、“霊的な力”(Spiritual Forces)は、数千年前と同じように、より高次の知識と“叡智”を世界にもたらすために、活用されています。分離や差別を見いだすのは、人間の想念の中だけです。しかし、“キリスト”である“神の霊”は常に変わらず、人間の想念の闇を貫通して進む種子なのです。

(ヨハネによる福音書 1:5,9、マルコによる福音書 4:22、ルカによる福音書 8:17、11:33-36、コリントの信徒への手紙二 4:6、エフェソの信徒への手紙 3:19、5:8、ガラテヤの信徒への手紙 3:28、コロサイの信徒への手紙 2:9、イザヤ書 60:1-3、箴言 4:18-19、ヨハネの黙示録 3:18、22:16)

講話 13 – 8

気づき

土は、植物の種を覆っている物質です。同じように、人類も、“神の霊”を覆っている物質です。人類は成熟しつつあり、やがて、“内在している霊”こそが唯一の“実在”である、と気づくようになるでしょう。

(コリントの信徒への手紙一 3:16-17、コロサイの信徒への手紙 1:27、ヨハネによる福音書 14:20、15:5、マタイによる福音書 13:31-32、マルコによる福音書 4:26-32、ルカによる福音書 8:15、17:20-21、エフェソの信徒への手紙 4:13、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、エゼキエル書 36:26-27、イザヤ書 61:3、ヨハネの黙示録 3:20、21:3)

講話 13 – 9

気づき

この偉大なる働きを手助けする最善の方法は、“感覚”(五感)の扉を閉じることです。「汝の目が“一つ”であるとき、汝の全身は光で満たされる」とある通りです。

(マタイによる福音書 6:22-23、ルカによる福音書 11:34-36、コリントの信徒への手紙二 4:18、コロサイの信徒への手紙 3:2、フィリピの信徒への手紙 4:8、ローマの信徒への手紙 8:5-6、ヨハネの手紙一 3:2、箴言 4:25-27、詩編 42:1、119:18、ヨハネの黙示録 3:18、22:14)

講話 13 – 10

気づき

この強大なる力が、その美しさと“叡智”を展開しているのを見るのは、内なる視力です。この力は“遍く”実在し、自己を“全体”から分離させずに、完全なる“全体”として表現しています。“全体”は、“多”の中に自己自身を表現し、“多”は、“全体”の中に自己自身を表現しています。分離や分割、分裂はどこにもないのです。これをしっかりと覚えておいてください。これは、あなたたちの心に根付かなければなりません。これが、“真理”という岩を支える柱なのです。

(ヨハネによる福音書 1:1-3、17:21-23、マタイによる福音書 18:20、ルカによる福音書 15:4-7、17:21、コリントの信徒への手紙一 12:12-14、エフェソの信徒への手紙 4:4-6、ガラテヤの信徒への手紙 3:28、コロサイの信徒への手紙 3:11、イザヤ書 45:22、詩編 139:7-10、ヨハネの黙示録 21:3、22:13)