講話 10 – 81

気づき

電気は、“命”がある程度、現象化した一つの状態ですが、電気は遍在しており、存在しない場所はどこにもありません。あなたたちはそれを引き出し、動力や光として、またその他、さまざまな用途に用いています。

(マタイによる福音書 5:14-16、マルコによる福音書 4:21-22、ルカによる福音書 11:33-36、17:21、ヨハネによる福音書 1:3-5,9、4:14、使徒言行録 17:27-28、ローマの信徒への手紙 1:20、コリントの信徒への手紙一 12:6、15:45、コリントの信徒への手紙二 4:6、ガラテヤの信徒への手紙 5:25、エフェソの信徒への手紙 4:6、コロサイの信徒への手紙 1:17、テサロニケの信徒への手紙一 1:5、箴言 3:19-20、詩編 36:10、139:6-10、ヨハネの黙示録 21:23-24、22:5)

講話 10 – 82

気づき

今日、世界で多くの発明がなされていることを、わたしたちはよく知っています。あなたたちの科学的思考は、“神の知性”が現れるための通路なのです。地上の人類には、すべてが知られなければならないのです。かくてあなたたちは、物事の背後を理解し、見ることによって、本来、完璧である自己の“神聖な本性”を、次第に自覚するようになるのです。

(マタイによる福音書 10:26、13:11-12、マルコによる福音書 4:22、ルカによる福音書 8:17、17:21、ヨハネによる福音書 1:1-5,9、16:13、使徒言行録 17:28、ローマの信徒への手紙 1:20、11:33-34、コリントの信徒への手紙一 2:10-12,16、コリントの信徒への手紙二 3:18、ガラテヤの信徒への手紙 5:25、エフェソの信徒への手紙 1:17-18、フィリピの信徒への手紙 2:13、コロサイの信徒への手紙 1:26-27、2:3、テモテへの手紙二 3:16-17、ヤコブの手紙 1:5、ダニエル書 2:21-22、箴言 3:19-20、8:12、詩編 19:1-2、36:10、104:24、119:105、ヨハネの黙示録 21:23、22:5)

講話 10 – 83

気づき

そうした認識が得られたとき、“わたし” ―― すなわち“普遍的人間”(Universal man)―― は、この“普遍的人間”を通じて、すべての民族が、互いを理解するようになります。なぜなら、その関係は兄弟となるからです。

(マタイによる福音書 12:50、22:37-39、 23:8、マルコによる福音書 3:35、ルカによる福音書 8:21、10:25-37、ヨハネによる福音書 17:21、使徒言行録 17:26、ローマの信徒への手紙 10:12、12:5、コリントの信徒への手紙一 12:12-13,26、コリントの信徒への手紙二 5:16-17、ガラテヤの信徒への手紙 3:28、エフェソの信徒への手紙 2:14-16、4:3-4、フィリピの信徒への手紙 2:1-2、コロサイの信徒への手紙 3:11,14、箴言 17:17、18:24、詩編 133:1、ヨハネの黙示録 5:9、7:9)

講話 10 – 84

気づき

“わたし” は、真に神の子であり、また、人の子です。ゆえに、“十字架”において、神と人の大いなる合一が啓示されているのです。死は、決して神の子には触れることができませんでした。神の子は“キリスト”であり、死に勝利しているからです。

(マタイによる福音書 16:16-17、マルコによる福音書 10:45、14:61-62、ルカによる福音書 9:22、23:33,46、24:7、ヨハネによる福音書 1:1-18、3:16、10:30、11:25-26、19:17-18、使徒言行録 2:24、ローマの信徒への手紙 6:9-10、コリントの信徒への手紙一 15:20-22,54-57、コリントの信徒への手紙二 5:19、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、4:4-5、エフェソの信徒への手紙 2:14-16、フィリピの信徒への手紙 2:6-11、コロサイの信徒への手紙 1:19-20、2:9,14-15、ヘブライ人への手紙 1:1-3、2:14-15、箴言 12:28、21:21、詩編 16:10-11、ヨハネの黙示録 1:5,17-18)

講話 10 – 85

気づき

肉において“キリスト”が死ぬのは、“霊”にのみ生きるからです。“わたし”は、“父”と共に永遠に生きる者であり、“わたし”を信じる者も、永遠に生きるのです。

(マタイによる福音書 16:16-17,25、28:20、マルコによる福音書 8:35、15:37-39、ルカによる福音書 23:46、24:5-7,39-40、ヨハネによる福音書 11:25-26、14:19、17:3、使徒言行録 2:24、ローマの信徒への手紙 6:8-11、8:11、コリントの信徒への手紙一 15:20-22、コリントの信徒への手紙二 4:10-11、5:6-8、ガラテヤの信徒への手紙 2:19-20、エフェソの信徒への手紙 2:5-6、フィリピの信徒への手紙 1:21、コロサイの信徒への手紙 3:1-4、ペトロの手紙一 3:18、箴言 3:5-6、12:28、詩編 16:9-11、116:8-9、ヨハネの黙示録 1:17-18)

講話 10 – 86

気づき

“父”と共に生きるためには、死ななければならないと考えてはなりません。なぜなら、あなたたちは、今、“父”と共に生きており、“父”の中にいて、“父”は、あなたたちの中に生きているからです。もしあなたたちが、これらの言葉を理解することができるならば、分離も死も存在しないことがわかるのです。

(マタイによる福音書 28:20、マルコによる福音書 12:27,32-34、ルカによる福音書 17:21、ヨハネによる福音書 10:30,38、14:20,23、15:5、17:21、使徒言行録 17:28、ローマの信徒への手紙 8:38-39、コリントの信徒への手紙一 3:16、6:19、15:26、コリントの信徒への手紙二 5:6-8、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、エフェソの信徒への手紙 2:6,22、4:4-6、フィリピの信徒への手紙 2:13、コロサイの信徒への手紙 1:27、3:3-4、イザヤ書 25:8、箴言 8:35、20:27、詩編 139:7-10、ヨハネの黙示録 1:18、20:6、21:3-4)

講話 10 – 87

気づき

“父”は、本質において“無限”です。“無限”であるためには、すべてが含まれていなければなりません。そうでなければ、無限ではないからです。“父”は、あなたたちの内にも存在し、あなたたちも、“父”の内に存在しています。そうでなければ、あなたたちは生きることができません ―― なぜなら、“父”の外には何もなく、“父”は、“父ご自身”で、完全なのです。

(マタイによる福音書 5:48、19:26、マルコによる福音書 10:27、12:32、ルカによる福音書 1:37、17:21、ヨハネによる福音書 1:3-4、10:38、14:20、17:21-23、使徒言行録 17:28、ローマの信徒への手紙 8:38-39、11:36、コリントの信徒への手紙一 6:19、8:6、コリントの信徒への手紙二 5:17、エフェソの信徒への手紙 4:6、フィリピの信徒への手紙 2:13、コロサイの信徒への手紙 1:16-17、列王記上 8:27、イザヤ書 45:22、箴言 8:23、16:4、詩編 139:7-10、ヨハネの黙示録 4:8、21:3,6、22:13)

講話 10 – 88

気づき

あなたたちは、“父”によって、“父”の中に創造され、“父”の中に生きています。あなたたちの内なる“命”は、“父の命”であり、永遠です。“わたし”と“父”は一つなのです。

(マタイによる福音書 10:39、28:20、マルコによる福音書 12:29-30、ルカによる福音書 10:27、20:38、ヨハネによる福音書 1:1-4、3:16、10:30,38、14:20、17:21-23、使徒言行録 17:28、ローマの信徒への手紙 6:23、8:38-39、コリントの信徒への手紙一 3:16、8:6、コリントの信徒への手紙二 5:17、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、エフェソの信徒への手紙 2:10、4:6、フィリピの信徒への手紙 1:21、コロサイの信徒への手紙 1:16-17,27、3:4、箴言 3:5-6、8:35、詩編 36:10、139:13-16、14:20、ヨハネの黙示録 21:3-6、22:1-2,17)

講話 10 – 89

気づき

あなたたち自らが望まないかぎり、あなたたちを害するいかなる力も、存在することはできないのです。

(マタイによる福音書 10:28-31、マルコによる福音書 16:17-18、ルカによる福音書 10:19、ヨハネによる福音書 8:32、10:28-29、使徒言行録 18:10、28:5、ローマの信徒への手紙 8:31、コリントの信徒への手紙一 10:13、コリントの信徒への手紙二 1:10、4:8-9、10:4-5、ガラテヤの信徒への手紙 1:4、5:1、エフェソの信徒への手紙 6:16、フィリピの信徒への手紙 1:28、4:13、コロサイの信徒への手紙 1:13、ヤコブの手紙 4:7、ペトロの手紙一 5:7、箴言 18:10、詩編 91:7-10,15、ヨハネの黙示録 2:10、3:10)

講話 10 – 90

気づき

“わたし” が幽界の森へと入って行ったのは、そのためでした。そこでは、多くの魂が、自らの無智という闇の中に住んでいるのです。彼らを解き放ち、神から引き離しているものを解消させ、すべての者が、“キリストという実在”の中で、生きることができるようにするためだったのです。

(マタイによる福音書 4:16、5:8、マルコによる福音書 2:17、ルカによる福音書 4:18-19、ヨハネによる福音書 3:19-21、8:12,32、10:10、14:6、使徒言行録 26:18、ローマの信徒への手紙 6:22、8:2、コリントの信徒への手紙一 10:13、15:22、コリントの信徒への手紙二 3:16-17、4:6、ガラテヤの信徒への手紙 1:4、5:1、エフェソの信徒への手紙 5:8、フィリピの信徒への手紙 3:12-14,20、コロサイの信徒への手紙 1:13、イザヤ書 42:7、箴言 4:18、詩編 107:14、ヨハネの黙示録 3:20、21:23-25、22:5)