講話 10 – 11

気づき

論理を超えた“わかる”というものがあります。それは言葉での説明や観念を超えた“わかる”というものです。そうした理解がなければ、どんな観念や言説も単なる言葉に過ぎないのです。

(イザヤ書 55:8-9、ヨハネによる福音書 14:6、16:13、コリントの信徒への手紙一 2:9-10,14-16、ローマの信徒への手紙 11:33、箴言 15:14、ヤコブの手紙 1:5、ヨハネの手紙一 4:8、ヘブライ人への手紙 8:11、ヨハネの黙示録 1:1-2、3:20、10:4、17:7)

講話 10 – 12

気づき

“わたし”は真の“実在”、 “生き・存在している実在”を明かしているのです。観念によって“実在”を創造することはできません。考えや言葉によって、それを理解することもできません。“実在”に対して“ハート”を開き、受け入れ、“実在”ではないものをすべて識別したとき、初めて“それ” を理解することができるのです。

(詩篇 46:10、エレミヤ書 24:7、ヨハネによる福音書 8:32、14:6、マタイによる福音書 13:9、コリントの信徒への手紙一 2:14-16、ヤコブの手紙 1:5、ローマの信徒への手紙 12:2、ヨハネの手紙一 4:8、ヨハネの黙示録 2:17、13:18、17:5)

講話 10 – 13

気づき

それはあなたたちに自由を、真実を表現する自由を与えます。 “わたし”がやって来たのはそのためです。すべての虚偽からあなたたちを自由にするためなのです。

(出エジプト記 6:6、イザヤ書 61:1、箴言 12:22、ヨハネによる福音書 8:32,36、14:6、ガラテヤの信徒への手紙 5:1、ヤコブの手紙 1:25、ヨハネの黙示録 7:14、21:4、22:17)

講話 10 – 14

気づき

“実在”は観念ではない、言葉ではない、信念や信仰でもありません。あなたたちの想像の産物ではなく、心の中で作り出せるようなものでもありません。“実在”はすでに完全であり、生けるものであり、今まさに“自己”を表現し続けています。それは存在する“力”のすべてであり、“常在の命”であり、過去も未来もなく、ただ“永遠の今”があるのです。

(出エジプト記 3:14、イザヤ書 43:10、ヨハネによる福音書 1:1、8:58、14:6、ヨハネの手紙一 5:7、ヘブライ人への手紙 1:1-2、13:8、ローマの信徒への手紙 8:38-39、詩篇 90:2、102:27、ヨハネの黙示録 1:8、21:6、22:13)

講話 10 – 15

気づき

“愛”なる“父”を知るためには、たえまなく“父”を思わなければなりません。そうすればあなたたちの“ハート”(心・精神・胸・中心)は宝の蔵(くら)になります。

(マタイによる福音書 6:21,33、22:37、ルカによる福音書 12:34、フィリピの手紙 4:8、ヨシュア記 1:8、箴言 23:24、ヤコブの手紙 4:8、詩篇 1:2、63:6、119:15-16、145:5)

講話 10 – 16

気づき

神について想いを巡らすことは時間の無駄だと感じる人もいますが、あらゆる被造物の背後に働いている“強大なる力”について、深く想いを巡らせなさい。その“力”に関連するあらゆる現象を見極めることによって、“神”を感じ、“神”について理解を深めなさい。

(イザヤ書 40:28、コロサイの信徒への手紙 1:16、ヤコブの手紙 1:5、コリントの信徒への手紙一 2:14-16、詩篇 104:24、箴言 3:19、15:14、ヨハネによる福音書 14:6、ローマの信徒への手紙 1:20、ヨハネの手紙一 4:8、ヨハネの黙示録 4:11、10:6、21:1)

講話 10 – 17

気づき

“神の愛”の温もりと、その“創造力の叡智”を感じ始めるにつれ、あなたたちは、自己が“実在”に属していることを感じ始め、その“愛と叡智”を現し始めるのです。

(ヨハネによる福音書 14:16-17、15:4-5、コリントの信徒への手紙一 2:10-16、エフェソの信徒への手紙 3:16-19、ガラテヤの信徒への手紙 5:22-23、ヨハネの手紙一 4:7-8、フィリピの信徒への手紙 2:13、詩篇 119:105、エレミヤ書 31:33、ヘブライ人への手紙 8:10、ヨハネの黙示録 3:20、21:3-4、22:1-2)

講話 10 – 18

気づき

それでは、神について考え、わたしたちやすべての被造物を通じて神ご自身を現されるすべての驚異のやり方について想いを巡らしてみることは、価値のないことなのでしょうか。

講話 10 – 19

気づき

あなたたちにとって、これはとても大切なことであり、深く熟慮すべき価値のあることです。“わたし”は道を知っているのです。ゆえに、「“わたし”の足跡を辿りなさい」と言っているのです。

(ヨハネによる福音書 14:6、マタイによる福音書 7:13-14、16:24、箴言 3:5-6、詩篇 25:4-5、119:105、ヘブライ人への手紙 12:1-2、ペトロの手紙一 2:21、フィリピの手紙 3:17)

講話 10 – 20

気づき

真の啓示は、あなたたちの“ハート”(心・精神・胸・中心)と一体となって鼓動する“愛の神聖なるハート”から紐解(ひもと)かれるものでなければなりません。それほどまでに“父”は身近におられるのです。常に“わたし”の中に留まり給うのは“父”であり、“父”が“ご自身”を啓示されておられるのです。

(ヨハネ福音書 14:10,20,23、17:21-23、エレミヤ書 31章33、コリントの信徒への手紙一 2:10-16、ヨハネの手紙一 4:8、ヤコブの手紙 1:5、ローマの信徒への手紙 8:9、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、ヨハネの黙示録 1:1、3:20、21:3、22:17)