講話 10 – 12
“わたし”は、真の“実在”、 “生き・存在している実在”を、明かしているのです。観念によって、“実在”を創り出すことはできません。また、考えや言葉によって、それを理解することもできません。“ハート”を“実在”に対して開き、受け入れ、“実在”ではないものをすべて識別するとき、初めて、“実在” を悟ることができるのです。
(マタイによる福音書 5:6-8、13:9、マルコによる福音書 4:11、7:8、ルカによる福音書 11:28、24:45、ヨハネによる福音書 8:32、14:6,21、使徒言行録 16:14、17:11、ローマの信徒への手紙 1:19-20、12:2、コリントの信徒への手紙一 2:12-16、コリントの信徒への手紙二 4:18、ガラテヤの信徒への手紙 5:16,22、エフェソの信徒への手紙 1:17-1、フィリピの信徒への手紙 4:7-8、コロサイの信徒への手紙 3:2、ヤコブの手紙 1:5、ヨハネの手紙一 4:8、エレミヤ書 24:7、箴言 3:5-6、詩編 46:11、119:18、ヨハネの黙示録 2:17、3:7、13:18、17:5)
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