講話 10 – 101
気づき物質としての体(肉体)から去った多くの人びとは、肉体をもっている他の人びとを見守り、助け、指導しています。あなたたち一人ひとりを、天使(守護霊・指導霊)が導いており、あなたたちは、一瞬たりとも孤独になることはないのです。
(出エジプト記 23:20、詩篇 91:11-12、ヘブライ人への手紙 1:14、使徒言行録 12:7-10,15、マタイによる福音書 18:10、ヨハネの黙示録 5:11-12)
講話 10 – 102
気づきあなたたちが赤子として地上に誕生するとき、いや、赤子としてこの世に誕生する前から、あなたたちを導く天使が、あなたたちと一緒にいるのです。あなたたちが肉体を去った後でさえも、あなたたちの“霊的感覚”が成熟するまで、天使はあなたたちに寄り添い続けるのです。
(詩篇 91:11-12、ルカによる福音書 1:18-19、15:10-11、22:43-44、24:4-6、50-53、ヘブライ人への手紙 1:14、使徒言行録 12:7-11、マタイによる福音書 18:10、ヨハネの黙示録 5:11-12)
講話 10 – 103
気づきあなたたちもいつの日か、あなたたちの愛する誰かを導く天使の一人になるのです。地上でもっとも身近で、かつ親しかった人が、あなたたちのガイドになるとは限りません。地上ではまったく知りあったことのない人でも、“霊”においては結ばれていることが多いのです。
(ヨハネによる福音書 14:26、サムエル記上 28:15-20、ヨハネの手紙一 4:8-10、ヘブライ人への手紙 1:14、使徒言行録 8:26、12:7-11、マタイによる福音書 18:10、ルカによる福音書 1:18-19、15:10-11、22:43-44、ヨハネの黙示録 1:1、7:1-3、22:8-9)
講話 10 – 104
気づき復讐(ふくしゅう)を求めてはなりません。自分の心の中にあるものは、自分にも降りかかって来るのです。この言葉の意味がわかるならば、諸刃の剣の意味もわかるでしょう。あなたたちが誰かに対して抱く想いは、それがどんなものであれ、あなたたち自身の中に生み出されてしまうのです。
(詩篇 7:15-16、箴言 24:29、26:22-28、レビ記 19:18、マタイによる福音書 5:38-42、6:14-15、ルカによる福音書 6:31,37、ガラテヤの信徒への手紙 6:7-8、コリントの信徒への手紙一 13:4-7、ヨハネの黙示録 2:23)
講話 10 – 105
気づき互いに親切にし、やさしい心をもち、お互いを赦(ゆる)し合いなさい。神があなたたちを赦されるように、あなたたちも“わたし”のために、互いに赦し合いなさい。
(イザヤ書 55:7、ヨナ書 4:2、ミカ書 7:18、マタイによる福音書 6:14-15、コリントの信徒への手紙一 13:4-7、エフェソの信徒への手紙 4:32-33、ルカによる福音書 6:27-38、17:3-4、コロサイの信徒への手紙 3:13、ペトロの手紙一 4:8-10、ヨハネの黙示録 1:5、21:4)
講話 10 – 106
気づきハート(心・精神・胸・中心)を純粋に保つということは、“父”の愛する子として、神のようになるということなのです。
(マタイによる福音書 5:8、ルカによる福音書 6:36、8:15、ヤコブの手紙 1:5-8、ヨハネの手紙一 3:1-3、ヘブライ人への手紙 12:14、エフェソの信徒への手紙 5:1、テサロニケの信徒への手紙一 3:13、詩篇 24:3-4、箴言 4:23)
講話 10 – 107
気づき神は唯一であり、神の内なる“キリスト”も唯一、“キリスト”の内なる神も唯一です。この“キリスト”があなたたちの内に宿っており、それが唯一の“実在”であるあなたたちであり、あなたたちの“真実の自己”(Real Self)です。ゆえに、あなたたちは “真我”(Self)でありなさい。あなたたちの“天の父”が完全であるように、あなたたちも完全でありなさい。
(レビ記 19:2、詩篇 18:30、ヨハネによる福音書 10:30、14:20、マタイによる福音書 5:48、コリントの信徒への手紙一 3:16、コリントの信徒への手紙二 3:18、ルカによる福音書 17:21、コロサイの信徒への手紙 1:27、フィリピの信徒への手紙 4:8、ペトロの手紙一 1:15-16、ヤコブの手紙 1:4、ヨハネの黙示録 3:20、21:3)
講話 10 – 108
気づきこれらの言葉の真実の意味が理解できますか。あなたたちは“真我”(Self)でありなさい、あなたたちの“天の父”が完全であるように、あなたたちも完全でありなさい。
(レビ記 19:2、詩篇 18:30、ヨハネによる福音書 10:30、14:20、マタイによる福音書 5:48、コリントの信徒への手紙一 3:16、コリントの信徒への手紙二 3:18、ルカによる福音書 17:21、コロサイの信徒への手紙 1:27、フィリピの信徒への手紙 4:8、ペトロの手紙一 1:15-16、ヤコブの手紙 1:4、ヨハネの黙示録 3:20、21:3)
講話 10 – 109
気づきこの偉大なる“真理”の無理解こそが、人間の内面的な貧困さの原因であり、それによって心が外に向いてしまい、自己の外に価値を求めてしまうことになるのです。しかしそうしたところで、いぜんとして貧困なままなのです。
(箴言 14:20、15:14、詩篇 18:30、49:10、マタイによる福音書 5:3、6:22,25-33、ルカによる福音書 12:15、17:21、ヨハネによる福音書 4:14、コリントの信徒への手紙一 3:16,18、コリントの信徒への手紙二 4:16-18、ヤコブの手紙 1:5-8、ヨハネの黙示録 3:20、21:3、21:4)
講話 10 – 110
気づきこれは、人が自ら造り出してしまう“地獄”です。人が執着するこの世の物事は、安らぎを与えることはできないからです。それらにしがみついたとしても、失うことになります。それらは、持って行くことはできないのです。
(詩篇 42:1-2、49:16-17、箴言 11:4、マタイによる福音書 6:19-21,25-34、ルカによる福音書 12:33-34、ヨハネによる福音書 14:27、フィリピの信徒への手紙 4:6-7、ヘブライ人への手紙 4:9-11、テモテへの手紙一 6:7、ヨハネの黙示録 3:18、18:11-17、21:1)