講話 10 – 109

この(真に)偉大なる“真理”に対する無智、無理解こそが、人間の内なる貧しさ、霊的な貧困さの源なのです。そのために、心が外に向いてしまい、自己(真我)にではなく、外側(物質的側面)に価値を求めてしまうことになるのです。しかし、そうしたところで、いぜんとして、(魂の欠乏感は、)貧困なままに据え置かれるのです。

(マタイによる福音書 5:3、6:21-22,25-33、マルコによる福音書 7:21-23、ルカによる福音書 12:15、17:21、ヨハネによる福音書 4:13-14、使徒言行録 17:27-28、ローマの信徒への手紙 1:21-22、コリントの信徒への手紙一 2:14、3:16,18、コリントの信徒への手紙二 4:7,16-18、エフェソの信徒への手紙 4:18、フィリピの信徒への手紙 4:11-12、コロサイの信徒への手紙 2:2-3、ヤコブの手紙 1:5-8、ヨハネの手紙一 2:16、創世記 3:6-7、コレヘトの言葉 5:9、箴言 14:20,30、15:14、詩編 18:30、49:10,17-18、73:25-26、ヨハネの黙示録 3:17-20、21:3、21:4)

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