講話 1 – 21
気づきわたし自身の体験から、肉体は、“愛”という“神の本質”を、意識的に、意識することによって、変化することを知りました。“愛”は、全てのものを創造し、全てのものを引き寄せる“力”なのです。
(ヨハネによる福音書 1:1-14、マタイによる福音書 17:20、マルコによる福音書 11:24、ルカによる福音書 18:27、ローマの信徒への手紙 8:11、ガラテヤの信徒への手紙 5:22-23、コリントの信徒への手紙一 6:19-20、エフェソの信徒への手紙 4:23-24、コロサイの信徒への手紙 1:15-20、ヨハネの手紙一 4:7-12、フィリピの信徒への手紙 2:13、イザヤ書 41:10、64:8、箴言 3:5-6、詩編 51:10、139:1-18、ヨハネの黙示録 21:5)
講話 1 – 22
気づき世界とその中にあるすべてのものを創られた神、“天と地”の“主”である神は、人の手によって造られた神殿には住まわれず、人の手に仕えられることもなく、足りないものは何一つありません。なぜなら、神こそが、すべての人びとに、“命”と息を与えられた方なのです。
(ヨハネによる福音書 4:21-24、マルコによる福音書 12:29-30、マタイによる福音書 6:26、ルカによる福音書 12:24、使徒言行録 7:48-50、17:24-25、コリントの信徒への手紙一 3:16、列王記上 8:27、イザヤ書 66:1-2、箴言 15:3、詩編 50:7-15、139:7、ヨハネの黙示録 21:22)
講話 1 – 23
気づき神は、“地”に住むすべての人びとを、一つの血から造られました。それは、人びとが、“神の愛”と、“神の被造物”によって、神を探し求め、神を見出すためなのです。
(マルコによる福音書 12:29-30、ヨハネによる福音書 1:3、マタイによる福音書 5:9、ルカによる福音書 17:21、使徒言行録 17:26-28、ローマの信徒への手紙 1:19-20、創世記 1:27-28、2:7、マラキ書 2:10、箴言 22:2、詩編 19:1-2、24:1、145:9、ヨハネの黙示録 5:9、7:9、21:24、22:1-2)
講話 1 – 24
気づき神からかけ離れているという人は、一人もいません。人はすべて、神の中に生き、神の中で動き、神の中に存在しているのです。あなたたちの、ある賢者が語ったように、「人は皆、神の親族です」。そうです、“わたし”を見たものは、“父”を見たのです。
(ヨハネによる福音書 10:30、14:9、使徒言行録 17:24-28、コロサイ人への手紙 1:16-17、エレミヤ書 23:23-24、イザヤ書 45:21-22、詩篇 139:7-12、145:18、ヨハネの黙示録 21:3)
講話 1 – 25
気づきこれらの言葉を十分に理解したとき、謎は無くなります。理解されれば、神秘さは消えてしまうのです。
(ヨハネによる福音書 14:26、マタイによる福音書 11:25、13:11-15、コロサイ人への手紙 1:26-27、コリントの信徒への手紙一 2:7、13:12、コリントの信徒への手紙二 3:14-16、エフェソの信徒への手紙 1:9-10、3:4-5、ペトロの手紙一 1:10-12、テモテへの手紙二 3:16-17、ダニエル書 2:22、箴言 4:7、詩編 25:14、119:105,130、ヨハネの黙示録 1:1、10:7、22:10)
講話 1 – 26
気づき一粒の物質の粒子といえども、神ではないものは、存在することはできません。全宇宙の粒子はすべて、神によるものでなければなりません。神のみが存在し、神が 、“ご自身”を顕現されているのです。 “わたし”と“父”は、一つです。“わたし”と“父”の間には、どんな隔たりもないのです。
(ヨハネによる福音書 1:1-3、10:30、14:9、コロサイの信徒への手紙 1:16-17、ローマの信徒への手紙 8:38、11:36、コリントの信徒への手紙一 8:6、エフェソ人への手紙 4:6、使徒言行録 17:28、イザヤ書 45:5-7,21-22、詩編 24:1、104:24、139:7-12、ヨハネの黙示録 1:8、4:11、19:6、21:6、22:13)
講話 1 – 27
気づきしたがって、人は神の家族なので、人の知識や技術によって、神の姿に似せて、金や銀、石材などで造られた偶像を拝む必要はないのです。しかし人びとは、死者の復活の話を聞いたとき、あざ笑いました。
(マタイによる福音書 22:31-32、ヨハネによる福音書 4:23-24、使途言行録 17:28-32、テサロニケの信徒への手紙一 1:9-10、 4:14、コロサイの信徒への手紙 3:1、コリントの信徒への手紙一 10:14、ローマの信徒への手紙 1:22-23、出エジプト記 20:4-5、イザヤ書 44:9-10、箴言 3:5-6、8:35-36、14:12、詩編 115:4-7、ヨハネの黙示録 9:20、21:8、22:15)
講話 1 – 28
気づき神は遍在し、全知全能である―― この偉大なる“真理”は、完璧であることを理解しなさい。すべての生きとし生けるものは、神によって創造されたものであり、神のみが、その中で生きていることを知りなさい。神は遍在されているがゆえに、“ご自身の創造物”から離れて生きることはできないのです。
(ヨハネによる福音書 1:3-4、14:6、コリントの信徒への手紙一 8:6、使徒言行録 17:27-28、コロサイの信徒への手紙 1:16-17、エレミヤ書 23:24、イザヤ書 45:21-22、箴言 3:19-20、16:4、詩編 24:1、139:7-12、ヨハネの黙示録 1:8、4:11、21:6)
講話 1 – 29
気づきもし神の創造物が、何らかの形で、神から離れているとしたら、神は、本質的に無限ではなくなり、神 “ご自身”が、完全ではなくなってしまいます。すべての創造物は、すべての働きを調和させ、“神の神聖な性質”を引き出す、“愛”という基本原理によって創造されました。人がこの“真理”に気づくとき、人は、その完璧な“神性”の反映を、自らの中に生み出し、それによって、“地上天国” がもたらされるのです。
(ヨハネによる福音書 14:20-21、15:5、17:21、ヨハネの手紙一 4:8、コロサイの信徒への手紙 1:16-17、エフェソの信徒への手紙 2:10、コリントの信徒への手紙二 5:17、創世記 1:26-27、箴言 3:19-20、10:22、16:4、詩編 139:13-14、ヨハネの黙示録 21:3-4、22:1-2,13)
講話 1 – 30
気づき彼らは、死者の復活のことを聞き、あざ笑いました。しかし、生きた“宇宙”の中に、死んだものが存在できるでしょうか。“永遠なる生ける神”の中に、死んだものが存在できるでしょうか。確かに、至るところに変化が起きていますが、その変化の中に、死は存在しないのです。すべての微粒子は、ある形から別の形に変化する生きた粒子です。無智な者が見るのは死であり、悟った者が見るのは、“命”の営みです。無智な者は、ある状態から別の状態に変化していく移り変わりの法則を理解していないので、自分の心の中に死と呼ばれる幻影を創り出してしまうのです。
(ヨハネによる福音書11:25-26、コロサイの信徒への手紙1:17、コリントの信徒への手紙一 15:42-44,51-52、コリントの信徒への手紙二 5:1-10、ローマの信徒への手紙 6:9、知恵の書 3:1-8、フィリピの信徒への手紙 1:21、伝道の書 3:1-2、箴言 4:18-19、12:28、14:32、詩編 16:10、23:4、49:15、139:7-8、ヨハネの黙示録 21:1-4)