この内奥の“安らぎ”は、深い謙虚さの受容によるものです。しかしこの謙虚さは崇高なもので、「われ自らは何事も為しえず、わが内に常に留まり給う“父”こそ御業(みわざ)を為し給う」というものです。

(ヨハネによる福音書5-19,30、14:10、15:5、コリントの信徒への手紙二 3:5、フィリピの信徒への手紙 2:13-16、4:13、エゼキエル書 36:27、詩篇 46:10、イザヤ書 40:28-31、ヨハネの黙示録 3:18、4:11、7:12、22:13)

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