恐れるものは何もありません、忍耐強くありなさい。父が語られることに委ねなさい。語られているのは、わたしの内なる父です。わたし自身は無です。わたしの内なる父こそ、すべてです。父はわたしを知り、わたしは父を知ります。わたしが父を知るゆえに、父はわたしの内で、わたしを通して語られるのです。このように、わたしは神の平和、愛、癒やし、叡智をもたらすのです。
(マタイによる福音書 6:25-34、10:19-20、11:28-29、マルコによる福音書 13:11、ルカによる福音書 12:11-12,32、21:15、ヨハネによる福音書 5:19,30、10:14-15、12:49-50、14:10-11,27、使徒言行録 3:6、4:8-12,30、18:9、ローマの信徒への手紙 8:14-15,26-27、コリントの信徒への手紙一 2:4-5,10-13、13:4-7、コリントの信徒への手紙二 4:6-7、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、エフェソの信徒への手紙 3:16-17、4:6、フィリピの信徒への手紙 4:6-7、コロサイの信徒への手紙 1:27、3:15、テサロニケの信徒への手紙一 5:23-24、テモテへの手紙二 1:7、ヨハネの手紙一 4:7,16,18、ハバクク書 2:20、イザヤ書 41:10、箴言 2:6、3:5-6、16:1-3、詩編 23:4、29:11、46:11、119:130、ヨハネの黙示録 1:17、3:20、21:4-6)
気づきを投稿するにはログインしてください。
新規ユーザー登録はこちら。