“父が臨在されている”という溢れる喜びと、永遠に“父”と共にあるという至福は、何よりも “キリスト意識” を花開かせます。心を外に向けてはいけません。心を内に向け、自己自らが“在る”(BE)を知りなさい。「“わたし”は在る(I am)、 “わたし” は真実である、 “わたし”永遠である、“わたし”は “神の霊”である、“わたし”は “命”である」――この悟りの中で、魂は歓喜します。外からの雑音が静まり、神のものではないものすべてを見分けたとき、初めてこの法悦がもたらされるのです。

(マタイによる福音書 6:6、ルカによる福音書 17:21、ヨハネによる福音書 4:24、14:6,20、15:11、コロサイの信徒への手紙 1:27、3:3、フィリピの信徒への手紙 4:7-8、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、エフェソの信徒への手紙 4:23-24、コリントの信徒への手紙一 2:16、ヨハネの手紙一 4:8、出エジプト記 3:14、イザヤ書 26:3、55:6、箴言 3:5-6、4:23、詩編 16:11、46:10、ヨハネの黙示録 3:20、21:3、22:5)

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