講話 9 – 61
気づきあなたたちの多くが、「自分は全く成長していない、少しも前進していないようだ」と独り言を言っています。しかし、自分の成長を自分で評価することはできません。花は自分が成長していることを知りませんが、確かに成長しているのです。
(マルコによる福音書 4:26-29、フィリピの信徒への手紙 1:6、4:12-13、コリントの信徒への手紙一 10:12-13、詩篇 92:12-14、139:16、マタイによる福音書 6:34、ヤコブの手紙 1:2-4、エゼキエル書 17:24、ヘブライ人への手紙 1:2-3、11:1-40)
講話 9 – 62
気づきなかには、「いやいや、自分は他の人よりもずっと成長している」と言う人もいるでしょう。しかし言っておきますが、自分を誇張して見せることには何の価値もありません。幼子が天国を造り上げているのです。
(マタイによる福音書 18:3-4、マルコによる福音書 10:13-15、詩篇 131:1-2、箴言 16:18、22:4、ヤコブの手紙4:6、ペトロの手紙一 5:5-6)
講話 9 – 63
気づき花々は咲き、その香りが空気を満たし、誰もがその美しさに見とれます。しかし花自身は、それを知りません。あなたたちもまた、そうした状態を育んでいかなければなりません。
(マタイによる福音書 6:28-30、ルカによる福音書 12:27、フィリピの信徒への手紙4:8、詩篇 104:14、箴言 27:18、ヤコブの手紙 1:2-4)
講話 9 – 64
気づき“天”に蒔いた種は速やかに成長します。あなたたちの“父”が育てて下さるからです。
(マタイによる福音書 6:20,30、箴言 11:18,22、コリントの信徒への手紙一 3:6-7、15:58、ヤコブの手紙 1:2-4、詩篇 104:14、121:5-8)
講話 9 – 65
気づき“内なる天の王国”は、芥子(からし)種のようなもので、種の中でもっとも小さくても、肥沃(ひよく)な土地に蒔かれると、枝に鳥がやって来てねぐらを作るほど大きく育ちます。“内なる天の王国”とはこのようなものです。安らぎを求める者は皆、“わたし”のもとにやって来ます。あなたたちは“わたし”の“真理”を知っているので、“わたし”の中で安らぎを得ることができます。
(マタイによる福音書 11:28-30、13:31-32、マルコによる福音書 4:30-32、ルカによる福音書 13:18-19、ヨハネによる福音書 14:6、ペトロの手紙一 5:7、詩篇 1:3、23:1-6、イザヤ書 40:31)
講話 9 – 66
気づきこの“真理”の種は、蒔かれると速やかに成長します。しかもその成長は、“神性なるもの”のみを意識する個人の中では、最も大いなるものも最も小さなものも“一つ”として、無意識のうちに始まるのです。
(マルコによる福音書 4:26-29、13:31-32、コリントの信徒への手紙一 3:6、詩篇 1:1-3、イザヤ書 55:10-11、ヨハネによる福音書 15:1-8)
講話 9 – 67
気づき最も地位の高い者も、最も地位の低い者も、共に一つの“神霊”の現れであることを知りなさい。かくて、最も小さな者が最も大いなる者となり、最も大いなる者が、最も小さな者となるのです。
(マタイによる福音書 23:11-12、ルカによる福音書 14:11、マルコによる福音書 9:35、ヤコブの手紙 4:6、詩篇 113:5-6、149:4、箴言 15:33、22:4、イザヤ書 57:15、ヨハネの黙示録 3:21)
講話 9 – 68
気づきこれが“わたし”の“安らぎ”であり、“愛”であり、すべての魂に宿る“キリストの力”なのです。あなたたちもそうありなさい。
(ヨハネによる福音書 14:2、コリントの信徒への手紙一 3:16、13:14、エフェソの信徒への手紙 3:17、ガラテヤの信徒への手紙 5:22-23、ローマの信徒への手紙 5:5、詩篇 23:1-6、29:11、イザヤ書 54:10、ヨハネの黙示録 1:5-6、5:6、21:4)
講話 9 – 69
気づき一粒の種が暗い土の中に蒔かれると、種は内なる力によって成長します。その種は自らに似せて増殖し、百倍にも達します。
(マルコによる福音書 4:26-29、13:31-32、詩篇 104:14、創世記 1:11-12)
講話 9 – 70
気づきあなたたちも皆、同じなのです。“キリスト”の種は、世の闇に蒔かれています。この種は世の“光”であり、闇は“光”を克服できなかったのです。
(ヨハネによる福音書 1:4-5、マタイによる福音書 5:14-16、8:12、詩篇 119:105、イザヤ書 9:2、49:6、ヨハネの黙示録 21:23-24、22:5)