講話 9 – 11

気づき

神以外に“生ける存在”はなく、神が“無限”であるためには、神は“無限”の空間を満たしていなければなりません。神は“わたし”の中に生き、“わたし”は神の中に生き、神はあなたたちの中に生き、あなたたちは“わたし”の中に生きていなければなりません。わたしたちは“無限”である神において“一つ”なのです。

(ヨハネによる福音書 10:30、14:9-11,20、17:21-23、コリントの信徒への手紙二 6:16、エフェソの信徒への手紙 2:22、4:6、コロサイの信徒への手紙 1:16-17、コリントの信徒への手紙一 12:13、出エジプト記 25:8、エゼキエル書 37:27、ヨハネの黙示録 21:3)

講話 9 – 12

気づき

これらの条件がなければ、神はその本質において“無限”であることはできません。分離・分割はどこにもありません。これこそが、“わたし”が今、あなたたちに告げる“真理”なのです。「“わたし”を見た者は“父”を見たのである」。

(ヨハネによる福音書 10:30、14:9-11,20、17:21-23、コリントの信徒への手紙二 6:16、エフェソの信徒への手紙 2:22、4:6、コロサイの信徒への手紙 1:16-17、コリントの信徒への手紙一 12:13、出エジプト記 25:8、エゼキエル書 37:27、ヨハネの黙示録 1:8、21:3,6、22:13)

講話 9 – 13

気づき

あなたたちは今の今、“父”の中にいて、“父”はあなたたちの中にいるのです。“わたし”が行ったように、あなたたちも意識的にこの“真理”に入ることができるのです。このことを告げるために“わたし”は再び、あなたたちのもとにやって来ているのです。まことにあなたたちに言っておきます。「“わたし”と“父”は一つなのである」。

(ヨハネによる福音書 10:30、14:9-11,20、17:21-23、コリントの信徒への手紙二 6:16、エフェソの信徒への手紙 2:22、4:6、コロサイの信徒への手紙 1:16-17、コリントの信徒への手紙一 12:13、出エジプト記 25:8、エゼキエル書 37:27、ヨハネの黙示録 1:8、21:3,6、22:13)

講話 9 – 14

気づき

この兄弟(M.ベイン氏)を通じて“わたし”が伝えているこれらの言葉は、あなたたちが注意深く学ぶことができるように記録されています。これらの言葉は、内なるものを明らかにするために語られています。あなたたちが理解するためには、何度も繰り返す必要があるのです。

(申命記 6:6-7、箴言 4:20-22、ヨシュア記 1:8、詩篇 1:2、119:11、テモテへの手紙二 2:15、使徒言行録 17:11、マタイによる福音書 28:19-20、ヨハネによる福音書 14:6、ヘブライ人への手紙 4:12、ペトロの手紙一 2:2)

講話 9 – 15

気づき

これらの言葉を深く思索、瞑想することによって、その深遠な意味を理解し、“内なる中心の力”である“真理”が外側に現れることができます。その結果、あなたたちの体の全細胞が“真理”を宣言するようになるのです。

(箴言 4:20-24、詩篇 19:14、119:130、ヨハネによる福音書 14:6、コリントの信徒への手紙一 2:14、6:19-20、ローマの信徒への手紙 12:1-2、ヤコブの手紙 1:5、ペトロの手紙一 2:2、ルカによる福音書 6:45、マタイによる福音書 12:34-35)

講話 9 – 16

気づき

世界の至る所でこの発見を、独力で行った男女がおり、それ以降はすべてが順調になっています。もはや旅は終わり、急ぐ必要はなくなったのです。

(詩篇 23:1-6、46:10、箴言 16:32、イザヤ書 40:31、マタイによる福音書 11:28-30、フィリピの信徒への手紙 4:6-7、ヘブライ人への手紙 4:9-11、ヨハネの黙示録 21:4)

講話 9 – 17

気づき

自分が“父”の家にいること、“父”の家には、すべての人のためにすべてのものが用意されていることが分かったとき、あなたたちもまた“父”のテーブルに座り、その宴(うたげ)に参加するのです。

(ルカによる福音書 15:22-24、詩篇 23:1-6、36:8、イザヤ書 25:6、マタイによる福音書 6:31-33、ヨハネによる福音書 10:10-11、14:2-3、15:1-8、ヨハネの黙示録 2:17、3:12、7:9-17、21:1-7)

講話 9 – 18

気づき

これこそが本当の悟りのための秘訣なのです。すなわち、“意識”が自分自身に気づくこと、“意識”は万物を創造した“神の霊”であり、初めにそうであったように、今も、そして永遠に変わらないことを認識することなのです。

(創世記 1:1-2、イザヤ書 40:28、ヨハネによる福音書 1:1-3、14:6、コリントの信徒への手紙一 2:10-11、コリントの信徒への手紙二 3:18、ヘブライ人への手紙 1:3、13:8、ヨハネの黙示録 1:8、4:8、21:6、22:13)

講話 9 – 19

気づき

このことを発見をした今、あなたたちはもはや“父”の家ではよそ者ではありません。“わたし”は“父”の家であなたたちと“一つ”であり、“わたし”があなたたちのために証しをします。

(詩篇 23:1-6、イザヤ書 43:1、ヨハネによる福音書 14:20,23、15:11、17-21、ヘブライ人への手紙 3:6、10:19-23、エフェソの信徒への手紙 2:19、ローマの信徒への手紙 8:17、ヨハネの黙示録 3:12)

講話 9 – 20

気づき

“わたし”はあなたたちと“一つ”です。“神のキリスト”は“父”の独り子であり、“天”においても“地”においても、唯一の生ける神の“霊”であり、“意識”、“知性”、“叡智”、“愛”を持たれていることをあなたたちは知らないのですか。“父”のすべての資質は、“子”を通して表現されます。“父”がご自身の内に“命”を持たれているように、“子”自身の内にも同じ“命”を持つことをお許しになったのです。

(箴言 8:22-31、イザヤ書 9:6、ヨハネによる福音書 1:1-3, 14,18、3:16、5:26、10:30、コリントの信徒への手紙一 2:10、ヘブライ人への手紙 1:1-3、ヨハネの黙示録 1:5-6、3:14、5:5-6)