講話 8 – 51

気づき

“唯一”の存在である“実在”において、すべてが生起しなければなりません。なぜなら、神は“無限”な存在であり、神以外には何も存在しないからです。

(出エジプト記 3:14、イザヤ書 45:5-6、ヨハネによる福音書 14:6、コロサイの信徒への手紙 1:16-17、ヨハネの黙示録 1:8)

講話 8 – 52

気づき

あなたたちが「“命”は神であり、神は“命”である」ことがわかり、この“生ける命”が自己自身であることを意識するようになるならば、あなたたちは“神のキリスト”を知ることができます。

(ヨハネによる福音書 10:30、14:6、17:3、コリントの信徒への手紙二 13:13、ペトロの手紙一 1:3)

講話 8 – 53

気づき

おお、“全能にしてすばらしい父”よ、あなたの中に存在すること、我らのすべての中にあなたのみが存在していることを知ることは、なんという法悦でしょう。

(詩篇 139:7-10、イザヤ書 45:5-6、ヨハネによる福音書 14:6、17:21-23、コリントの信徒への手紙一 8:6、エフェソの信徒への手紙 4:6、ペトロの手紙一 1:3)

講話 8 – 54

気づき

あなたは、あなたに属するすべての人びとを“わたし”に委ねられました。それを知る“わたし”の心の喜びは計り知れません。彼らが“わたし”を理解するとき、“わたし”は彼らをあなたにお返しします。けれども依然として、“わたし”は彼らの内にいます。 “わたし”を通して語られるあなたは彼らを通しても語られ、あなた以外には何も存在しないからです。

(詩篇 16:2、ヨハネによる福音書 10:30、14:20、17:6-10、ガラテヤの信徒への手紙 2:20)

講話 8 – 55

気づき

このように、内なるものと外なるものの“創造”、すなわち、“天”と“地”として語られる能動(陽)と受動(陰)の原理は、唯一の“一なるもの”である神の内にあるのです。

(創世記 1:1-5、詩篇 139:13-14、ヨハネによる福音書 1:1-3、コロサイの信徒への手紙 1:16-17、ヘブライの信徒への手紙 1:1-3)

講話 8 – 56

気づき

ゆえに、あなたたちのもたれている唯一の“創造力”は内なる“天の王国”、 すなわち活動的な“生ける臨在”から生まれ、外側に現れるものです。

(ヨハネによる福音書 1:1-3、創世記 1:1-5、コリントの信徒への手紙二 5:17、コロサイの信徒への手紙 1:16-17、ヨハネによる黙示録 21:1-5)

講話 8 – 57

気づき

自己の“意識の王国”に入ると、“キリスト”がどこに住まわれているのかがわかり、“キリストの創造力”を知ることになります。

(ヨハネによる福音書 14:20,23、15:5、ルカの福音書 17:20-21、コロサイの信徒への手紙 1:27、マタイによる福音書 4:17、6:22、ヨハネによる黙示録 3:20)

講話 8 – 58

気づき

神が“愛”であることを知ることによって、神の子もまた“愛”でなければなりません。あなたたちは、“父”の聖なる“愛”を実現することによって、“父”が完全であることを明らかにするのです。それは常に、あなたたち自身と人びとを守護し続けることになります。

(ヨハネの第一の手紙 4:7-8,16、ヨハネによる福音書 3:16、15:9-10、マタイによる福音書 22:37-39、コリントの信徒への手紙一 13:13)

講話 8 – 59

気づき

ゆえに、“わたし”を知り、“わたし”の言葉に耳を傾けるならば、あなたたちの内なる完全なものを外に創造するでしょう。あなたたちの天の“父”が完全であるように、あなたたちも完全でありなさい。

(マタイによる福音書 5:48、ヨハネによる福音書 14:20,23、15:7-8、コリントの信徒への手紙二 13:11、ヤコブの手紙 1:4、ペトロの手紙一 1:15)

講話 8 – 60

気づき

この内なる世界がわたしにとってどんなに現実として意識されているか、それはあなたたちがこの内界に入って来るまでは、十分には理解されないでしょう。

(詩篇 46:10、箴言 4:23、マタイの福音書 6:6、コリントの信徒への手紙二 13:5、ヨハネによる黙示録 3:20、21:1-5、22:1-5)