講話 8 – 31

気づき

真の癒やしの業は、肉体感覚が消え、意識が“内なる天国”に向けられたときにのみ成し遂げられるのです。

(詩篇 41:3、147:3、イザヤ書 33:24、マタイによる福音書 6:21、マルコによる福音書 16:18、ルカによる福音書 17:21、ヨハネによる福音書 14:23,27)

講話 8 – 32

気づき

これが二度と渇くことがないように、“わたし”があなたたちに与える水です。それはこの水が“永遠の命”に至る水の源泉になるからです。(イザヤ書 12:3、ヨハネによる福音書 4:14、7:38、ヨハネの黙示録 21:6)

講話 8 – 33

気づき

“わたし”は“父”と共に見たことを語ります。神は“わたし“の“父”であると同時にあなたたちの“父”です。ゆえに、“わたし”があなたたちを愛するように、あなたたちもお互いに愛し合わなければならないのです。

(出エジプト記 23:5、レビ記 19:18、箴言 3:3-4、ヨハネによる福音書 15:9,12、ヨハネの手紙一 4:8,16)

講話 8 – 34

気づき

あなたたちが思いと心情(hearts)を内側に向けるとき、あなたたちの魂は“神のキリスト”、すなわち初めから神と共にあり、神と共にあった神の唯一の御子の温もりを感じ始めます。“この方”によらずして生まれたものはなく、造られたものはすべて、“この方”を通して造られたのです。

(箴言 8:22-31、ヨハネによる福音書 1:1-3、コロサイの信徒への手紙 1:15-17、ヘブライの信徒への手紙 1:1-3、ヨハネの黙示録 3:14)

講話 8 – 35

気づき

“子”を通してご自身を現されている“父の愛”の美しさを見るとき、子は“神の愛”そのものであることがわかります。

(ヨハネによる福音書 14:6-11、ヨハネの手紙一 4:7-12、ヨハネの黙示録 5:6-14、7:9-17、21:9-14、22:17)

講話 8 – 36

気づき

“子”は、“父の愛”が常に自分に注がれていることを知り、理解しています。そして、受け取ったままに、自然に現しています。ゆえに、“わたし”があなたたちを愛するように、あなたたちは互いに愛し合わなければならないのです。

(ヨハネによる福音書 15:9-17、ヨハネの手紙一 4:7-21)

講話 8 – 37

気づき

互いに愛し合い、“わたし”が語ったことを守ること、あなたたちができることでこれ以上に大いなるものはありません。“わたし”は父から“わたし”に与えられた“真理”を語っているからであり、この“真理”があなたたちを自由にするのです。

(出エジプト記 23:5、レビ記 19:18,33、申命記 6:6-9、10:19、ヨシュア記 1:8、詩篇 119:105、ヨハネによる福音書 14:15-17、ヨハネの手紙一 4:7-21)

講話 8 – 38

気づき

罪とは、感覚につながっている外側の自我による大いなる虚偽(錯覚)であり、分離と混沌に属するものです。

(出エジプト記 20:1-17、レビ記 4:1-35、詩篇 51:1-12、ヨハネによる福音書 3:16、ローマの信徒への手紙 3:23、コリントの信徒への手紙二 5:17、ヨハネの黙示録 5:6、12:9、7:9-17、13:1-10、20:10、21:1-4)

講話 8 – 39

気づき

多くの人びとが世の罪について説いていますが、わたしはこの罪というものをあまり長く見つめすぎないように説きました。いつまでも罪を見つめていて、どうして“キリスト”を見ることができるのでしょうか。

(詩篇 32:5、51:1-20、イザヤ書 1:17-19、ヨハネによる福音書 3:16、8:11、ローマの信徒への手紙 6:14、コリントの信徒への手紙二 5:17)

講話 8 – 40

気づき

あなたたちの自己の内なる“キリスト”に目を向ければ、頭と心の中にある分離、混乱、罪は溶け去ります。

(ヨハネによる福音書 1:1-14、3:16、8:12、10:10、14:6、15:5、コリントの信徒への手紙二 5:17、ヨハネの黙示録 3:20、12:10、21:3-4)