講話 8 – 21
気づきこの認識においては、遍在する “知性”が存在し、その“知性”は、それに気づいた意識を通じて自己を表現します。気づきが大きければ大きいほど、その“知性”の現象化も大きくなります。
(詩篇 139:7-12、箴言 8:22-31、ヨハネによる福音書 1:1-5、使徒言行録 17:28、コロサイの信徒への手紙 1:15-17)
講話 8 – 22
気づきこの“知性”は常に活動的で、決して受動的にはなりません。それは絶えず“霊”の欲求を具現化しています。なぜなら、あなたたちの内に“キリスト”が住まわれており、この“キリスト”があなたたちの内にある唯一の“創造力”だからです。(詩篇 42:1、 73:28、イザヤ書 40:31、エゼキエル書 36:27、ヨハネによる福音書 1:14、 17:21、コリントの信徒への手紙二 13:5、エフェソの信徒への手紙 3:17、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、コロサイの信徒への手紙 1:27)
講話 8 – 23
気づきあなたたちの不幸の根源はすべて、“真理”と“命”からは分離しているという先入観にあります。ですから「“わたし”は“命”である」と言うのです。「“父”と“わたし”は一つです」。(詩篇 36:9、ヨハネによる福音書 10:30、11:25、14:6、15:1-8、ヨハネの黙示録 22:1-2)
講話 8 – 24
気づき“真理”は見ることはできません。しかし、あなたたちの“内なる天国”から“真理”は紐解かれてくるのです。(詩篇 119:130、箴言 2:6、マタイによる福音書 6:22、ルカによる福音書 17:21、ヨハネによる福音書 14:17、16:13)
講話 8 – 25
気づきこれが偽教師に対するあなたたちの安全装置です。 “霊”をあなたたちの導き手としなさい。あなたたちの“内なる天国”を明らかにするために“わたし”は来たのです。
(申命記 13:1-5、エレミヤ書 23:16-22、エゼキエル書 13:6-9、マタイによる福音書 7:15-20、24:24、ヨハネによる福音書 14:26、16:13、テモテへの手紙二 4:3-4、ペトロの手紙二 2:1-3)
講話 8 – 26
気づき“神のキリスト”が自己の内に宿っていることがわかり始めると、外に求めなくなります。あなたたちは、すでに“神のキリスト”を見出した人びとによって導かれ、教えられ、理解するようになります。さらに、“わたし”が残した足跡をあなたたちが辿ることによって、イエスを通して語られていた同じ“キリスト”を見出すのです。
(イザヤ書 41:10、エレミヤ書 31:33、ヨハネによる福音書 14:17,26、コロサイの信徒への手紙 1:27)
講話 8 – 27
気づきあなたたちが皆、完全に一致すれば、あなたたちは世界とそこに住むすべての人びとのために、大いなる業を成し遂げることができるのです。そこに“わたし”がいるからです。
(創世記 11:1-9、申命記 6:4-9、マタイによる福音書 18:20、ヨハネによる福音書 17:21、使徒言行録 2:1、エフェソの信徒への手紙 4:3、フィリピの信徒への手紙 2:1-4)
講話 8 – 28
気づき“神のキリスト”が内から語りかけるとき、外なるものは沈黙しなければなりません。死すべき感覚は、“自己”(the Self=真我)の外にあるものに反応するのです。外から来る雑音が内なる“キリスト意識”に影響を及ぼさないようにしなければなりません。
(列王記上 19:12、詩篇 46:10、ヨハネによる福音書 10:27、14:27)
講話 8 – 29
気づきあなたたちの意識は“真理”を誤って解釈することによって混乱してしまいます。しかし、すぐに、“キリスト”こそが至高なるものという“真理”を知り始めます。すると、内面は静まり、外側も静まるようになります。“わたしの平安”をあなたたちにもたらします。
(詩篇 46:10、箴言 3:5-6、イザヤ書 26:3、ヨハネによる福音書 10:27、14:27、16:33、フィリピの信徒への手紙 4:7)
講話 8 – 30
気づきあなたたちは、“わたしの平安”をあなたたちの魂の中で感じることができます。では、“父”が常にわたしたちと共におられることを理解し、“キリスト”がそのすべての力と栄光をもって語られるままに委ねましょう。 “わたし”を通してあなたたちに語っておられるのは“父”なのです。
(詩篇 37:37、119:165、箴言 3:13、イザヤ書 32:17、57:21、ヨハネによる福音書 10:27、14:27、ヨハネの黙示録 1:3、3:20、14:13、21:4)