講話 7 – 61

気づき

『聖書』には“神の霊”が鳩のように降りてきて、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者である」と語ったと記されています。

(マタイによる福音書 3:16-17、マルコによる福音書 1:9-11、ルカによる福音書 3:21-22、ヨハネによる福音書 1:32-34)

講話 7 – 62

気づき

目に見えない存在からの“直接の声”(Direct Voice)が聞かれるということは古くからあり、わたしが地上にいた時代でも、“律法”を理解している人びとにとっては珍しいことではありませんでした。当時は今よりも頻繁に用いられていました。

(出エジプト記 3:4-14、33:9-11、サムエル記上 3:1-10、ダニエル書 10:6、ヨブ記 38:1、列王記上 19:12、ヨハネによる福音書 12:28-30、使徒言行録 9:4、ヨハネの黙示録 1:10-11)

講話 7 – 63

気づき

あなたたちの多くは、まだ“天”からの直接の声に耳を傾けたことはないでしょう。そのような声を聴くことができるのは、特別な静謐(せいひつ)の中で、沈黙が訪れたときのみです。そうした静寂は、心の“ヒマラヤ山脈”においてもっとも効果的に得られます。

(列王記上 19:11-12、詩篇 46:10、62:1、イザヤ書 41:1、ハバクク書 2:20、マタイによる福音書 4:39、6:5-6、ヨハネによる福音書 14:20)

講話 7 – 64

気づき

かつて現れた同じ“神の霊”が、今、あなたたちの中に現れようとしているのです。

(ヘブライ人への手紙 13:8、サムエル記上 10:9-11、ヨハネによる福音書 14:16-17、使徒言行録 2:1-4,17-18、コリントの信徒への手紙一 12:4-11、コリントの信徒への手紙二 3:3、ペトロの手紙一 4:10-11、ローマの信徒への手紙 8:11)

講話 7 – 65

気づき

この同じ“霊”は、もしあなたたちが信じるならば、あなたたちにも仕えてくれるのです。

(サムエル記上 10:9-11、マタイによる福音書 21:22、ヨハネによる福音書 14:16-17、使徒言行録 1:8、19:6、コリントの信徒への手紙一 12:4-11、マルコによる福音書 9:23、11:24、ローマの信徒への手紙 15:13、詩篇 143:10)

講話 7 – 66

気づき

あなたたちの意識の中で働いている“わたし”の思考の力が“真理”を明かすという意味がわかりますか。まことにあなたたちに言っておきますが、信仰によって支えられた最後の瞬間こそがもっとも偉大なのです。その瞬間にこそ栄光に輝く“霊の力”が示されるからです。

(出エジプト記 14:15-31、ヨシュア記 3:5-17、列王記下 2:7-14、イザヤ書 55:11、マタイによる福音書 17:20、ヨハネによる福音書 14:16-17,26、19:28-30、コリントの信徒への手紙二 12:9-10、13:13、ヘブライ人への手紙 10:39、11:1、フィリピの信徒への手紙 4:13、ローマ人への手紙 8:24-25、詩篇 46:10)

講話 7 – 67

気づき

ペテロが波の上で自分を支えることに失敗したのは、まさにこの最後の瞬間でした。

(マタイによる福音書 14:22-33、マルコによる福音書 4:35-41、6:48-50、ヘブライ人への手紙 11:6、ヤコブの手紙 1:6-8、詩篇 46:1-3)

講話 7 – 68

気づき

この話は多くの言葉で、さまざまな書き方で描かれていますが、事実は次のとおりでした。

(マタイによる福音書 14:22-34)

講話 7 – 69

気づき

水の上を歩く力は、それを成就するための悟りと信念があれば、すべての人に本来、備わっています。

(出エジプト記 14:15-31、ヨシュア記 3:5-17、列王記下 2:7-14、詩篇 77:19-20、イザヤ書 43:2、マタイによる福音書 14:22-34)

講話 7 – 70

気づき

あなたたちが水泳を始めたとき、まずは不安に襲われ、もがいてしまいます。しかし、自信がつくにつれて、水面に浮かぶことができるようになります。水の上を歩くには、さらに大きな信念と悟りが必要になりますが、それは不可能なことではないのです。

(出エジプト記 14:15-31、ヨシュア記 3:5-17、列王記下 2:7-14、詩篇 77:19-20、イザヤ書 43:2、マタイによる福音書 14:22-34)