講話 5 – 1
気づき人生には恐れる必要のあるものなど何もありません。一切を“父”に委ね、忍耐強くありなさい。あなたたちの多くはあれやこれやと恐れますが、それは“内なるキリスト”に気づいていないからです。
(マタイによる福音書 6:25-34、ヨハネによる福音書 14:27、フィリピの信徒への手紙 4:6-7、詩篇 27:1、イザヤ書 41:10)
講話 5 – 2
気づき恐怖に囚われてしまうと、あなたたちはそれによって動揺してしまいます。そのため、自分の人生に影響を及ぼしかねない過ちを行ってしまうことがしばしばあります。しかし、そうしたことは重大なことではありません。なぜなら、“命”こそが唯一の“実在”であり、最終的にすべての物事が正しい方向に進んで行くからです。
(詩篇 27:1、55:22、139:8、イザヤ書 41:10、マタイによる福音書 6:25-34、ヨハネによる福音書 14:6,27、15:5、ヘブライ人への手紙 11:1)
講話 5 – 3
気づきもしあなたたちが恐れることなく耐え忍ぶならば、“父”はあなたたちの中に居場所を設け、そこには“わたし”も“父”と共にいるのですから、あなたたちは今すぐに真の自由を得ることができるのです。
(詩篇 27:14、46:10、ヤコブの手紙 5:7-8、イザヤ書 57:15、マタイによる福音書 6:33、ヨハネによる福音書 8:31-32、14:23、ヨハネの手紙一 4:18)
講話 5 – 4
気づきあなたたちは神の中に生き、神はあなたたちの中に生きておられることを知りなさい。神がおられない場所、神の外側など、どこにもないのです。この“真理”が本当にわかったとき、あなたたちはいつどこにいても常に安全なのです。
(詩篇 23:4、139:7-8、イザヤ書 41:10、コリントの信徒への手紙一 3:16、ヨハネによる福音書 4:15-16、14:20,23、エフェソの信徒への手紙 6:10、コロサイの信徒への手紙 3:11、使徒言行録17:28)
講話 5 – 5
気づきああ、 あなたたちの中に生き、そして、あなたたちを通して生きておられるのは神であることを理解してほしい!“父ご自身”が、その“意識”、その“命”、その“知性”を通して生きておられるのです。その“叡智”によって絶えず “ご自身”を現されているのです。もしあなたたちがこの驚くべき“真理”に目覚めるならば、神がおられない場所はないことを知るでしょう。神は遍在であり、ありとあらゆるところに臨在されているのです。あなたたちがどこにいようとも、神はその場におられるのです。
(詩篇 139:7-10、イザヤ書 41:10、コリントの信徒への手紙一 3:16、ヨハネによる福音書 14:23、ヨハネの手紙一 4:12、エフェソの信徒への手紙 3:17)
講話 5 – 6
気づき“力”の秘密はあなたたち自身の“意識”の中にあります。なぜなら、“神の意識”、“神の知性”は、あなたたちを通して “ご自身”を現し、あなたたちを神の息子・娘にしているからです。
(創世記 1:26、イザヤ書 40:28、詩篇 82:6、ローマ人への手紙 8:16-17、マタイによる福音書 6:9-10、ヨハネによる福音書 1:12-13、8:24,28,58、10:34、13:19、14:6、ヨハネの手紙一 3:1-2)
講話 5 – 7
気づき死すべき感覚を沈黙させなさい。そうすればあなたたちの内なる“キリスト”が、あなたたちの死すべき体を支配するようになります。死すべき感覚が活動的なときは、あなたたちの内なる“キリスト”は沈黙しているのです。
(ハバクク書 2:20、詩篇 46:10、ヨハネの黙示録 1:8、21:6、22:13、ヨハネによる福音書 1:12-13、8:24,28,58、10:34、13:19、14:6、マタイによる福音書 16:24-25、コリントの信徒への手紙一 3:16、ガラテヤ人への手紙 2:20、ローマ人への手紙 8:9、ペトロの手紙一 5:8)
講話 5 – 8
気づき恐れるべきものは何もありません。忍耐強くありなさい。そうして、“父”が語ってくださることに委ねなさい。語られるのはわたしたちの内なる“父”なのです。わたし自身は無です。“わたし”の内に住まわれている“父”はすべてのすべてです。“父”は“わたし”を知り、“わたし”は“父”を知っています。“わたし”が“父”を知っているからこそ、“父”は“わたし”の中で、“わたし”を通して語られるのです。このようにして“わたし”は、神の“平和”と神の“愛”、神の“癒やし”と神の“叡智”をもたらすのです。
(詩篇 46:10、ハバクク書 2:20、イザヤ書 41:10、ヨハネによる福音書 14:10-11、マタイによる福音書 6:25-34、コリントの信徒への手紙一 13:4-7、2:10-11、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、フィリピの信徒への手紙 4:6-7)
講話 5 – 9
気づき“父”はいつも“わたし” の中で、“わたし”を通して、“ご自身”を明かしておられます。「わたしは“命”である」からです。「“わたし”は命である」 ―― これが世の初めにあった“言葉”です。
(ヨハネによる福音書 1:1-4、8:24,28,58、10:34、11:25、13:19、14:6、コロサイの信徒への手紙 1:15-16、詩篇 36:9、箴言 8:22-31、ヘブライ人への手紙 1:1-3)
講話 5 – 10
気づき多くの人びとが“わたし”を“人類の救世主”として受け入れることを拒否してきました。しかし、“わたし”は“命”です。唯一の“実在”である“父の命”は、その“子”の中にあるのです。
(ヨハネによる福音書 3:16-18、10:10、11:25、14:6、ヘブライ人への手紙 1:1-3、ヨハネの手紙一 5:11-12、コロサイ人への手紙 2:9)