講話 4 – 41

気づき

“わたし”は、わたしたちの兄弟(ベイン氏)を通して表現されている“命の意識”の中に入ります。大きな光が小さな光を覆(おお)うように、“わたし”の“意識”が、彼の意識を包み込みます。しかし、同じ光源の光が、わたしたち両方の中で輝いているのです。

(マタイによる福音書 5:14,16、17:2、ルカによる福音書 9:34-35、ヨハネによる福音書 1:9、8:12、14:20、コリントの信徒への手紙一 3:16、コリントの信徒への手紙二 4:6、エフェソの信徒への手紙 4:6、5:8、テサロニケの信徒への手紙一 5:5、フィリピの信徒への手紙 2:15、ローマの信徒への手紙 8:10、創世記 1:3-4,26、イザヤ書 60:1、箴言 4:18、詩編 36:9、119:105、139:13-14、ヨハネの黙示録 21:23)

講話 4 – 42

気づき

ここでは、驚異的なすばらしい現象が現れています。この現象を、奇跡的な現象と呼ぶ人もいるでしょう。しかし実際には、奇跡的な現象などではなく、“唯一なる命”が、他者の“意識”を通じて、自己を意識するという表現にすぎないのです。

(マタイによる福音書 5:14-16、ヨハネによる福音書 1:4、14:20、ルカによる福音書 17:21、使徒言行録 2:17、コリントの信徒への手紙一 2:11-12、3:16、エフェソの信徒への手紙 4:6、ローマの信徒への手紙 8:16、コロサイの信徒への手紙1:27、ヘブライ人への手紙 1:3、創世記 1:27、イザヤ書 43:10、45:12、マカバイ記二 3:24-25、箴言 20:27、詩編 36:9、139:13-14、ヨハネの黙示録 3:20、21:23)

講話 4 – 43

気づき

この兄弟は、いつでも自分の肉体から離れることができます。しかしそれは、いわゆる体外離脱というものではなく、“外的意識”から“内的意識”へと退くということであり、“内的意識”へと退くことによって、いつでもあなたたちとつながることができるのです。

(ルカによる福音書 17:21、24:31、ヨハネによる福音書 14:2-3,16-17,20、使徒言行録 1:9-11、17:28、コリントの信徒への手紙一 15:44、コリントの信徒への手紙二 5:1-4,8、12:2-4、ダニエル書 10:5-9、ヨハネの黙示録 1:10、フィリピの信徒への手紙 1:23-24、コロサイの信徒への手紙 3:3-4、ヘブライ人への手紙 12:1,23、創世記 5:24、列王記下 2:11、箴言 20:27、詩編 139:7-8、ヨハネの黙示録 21:3)

講話 4 – 44

気づき

彼はあなたたちを癒すことができ、助けることができます。必要であれば、いつでも、“わたし”を呼び出し、さらなる支援や助けをもたらすことができるのです。

(マタイによる福音書 7:7-8、9:35、マルコによる福音書 16:17-18、ルカによる福音書 9:1-2、ヨハネによる福音書 14:13-14、使徒言行録 3:6-7、12:5-7、コリントの信徒への手紙一 12:9、ヤコブの手紙 5:14-15、フィリピの信徒への手紙 4:6、エフェソの信徒への手紙 3:20、イザヤ書 41:10、箴言 3:5-6、詩編 91:15、107:20、ヨハネの黙示録 3:20)

講話 4 – 45

気づき

このようにして、“聖域”(the Sanctuary)を通じて、世界中で沈黙の癒しが行われています。人間の“意識”が、自らの内なるこの大いなる“力”に目覚めるにつれて、この“力”を発現し始めるのです。

(マタイによる福音書 6:6、9:20-22、10:8、マルコによる福音書 16:17-18、ルカによる福音書 17:21、ヨハネによる福音書 7:38-39、14:12、使徒言行録 1:8、3:6-7、コリントの信徒への手紙一 3:16、6:19、エフェソの信徒への手紙 3:20、ローマの信徒への手紙 8:11、ヘブライ人への手紙 9:11-12、出エジプト記 15:26、イザヤ書 30:15、ゼカリヤ書 4:6、エゼキエル書 47:12、箴言 3:5-6、4:20-22、詩編 46:10、91:1、103:2-3、ヨハネの黙示録 3:20、22:1-2)

講話 4 – 46

気づき

無限にして永遠、そして完全な“愛”が、世界には存在しています。なぜなら、神は“愛”であり、“愛”は神であるからです。“意識”はこのことに気づき、真の“愛”を現さなければなりません。これこそが、“神聖なる至福”の秘訣なのです。

(ルカによる福音書 6:35、ヨハネによる福音書 3:16、13:34、15:9-13、使徒言行録 17:28、ヨハネの手紙一 4::7-8,16、ローマの信徒への手紙 5:8、8:38-39、コリントの信徒への手紙一 13:4-8,13、エフェソの信徒への手紙 3:17-19、申命記 6:5、イザヤ書 54:10、出エジプト記 34:6、申命記 7:9、箴言 8:17、詩編 103:8、136:1,26、ヨハネの黙示録 1:5、21:3-4)

講話 4 – 47

気づき

この兄弟の“意識”は、個人的な意識から、“宇宙的な意識”へと引き上げられています。けれども、これは自己の喪失を意味するのではなく、“全体”との一体性のなかで、より大いなる自己となっていることを意味しているのです。

(マタイによる福音書 5:14-16,48、ルカによる福音書 9:24、17:21、ヨハネによる福音書 10:30、17:21-23、使徒言行録 2:44-47、コリントの信徒への手紙一 3:16、12:12-14、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、3:28、ローマの信徒への手紙 12:4-5、エフェソの信徒への手紙 4:13-14、創世記 1:27、出エジプト記19:5-6、イザヤ書 40:31、ダニエル書 12:3、箴言 3:5-6、20:27、詩編 82:6、133:1、ヨハネの黙示録 3:12、21:3,6)

講話 4 – 48

気づき

“キリスト”は、父なる神が、個性をもって現れたものであり、“キリスト”と父なる神の間に隔たりはありません。両者は一体だからです。人格となって、あなたたちの中に現れている父なる神こそ、今、あなたたちの内なる“キリスト”なのです。

(マタイによる福音書 16:16-17、ヨハネによる福音書 10:30、14:9-10,20、17:21-23、使徒言行録 17:28、コロサイの信徒への手紙 1:15-17,27、コリントの信徒への手紙一 3:16、コリントの信徒への手紙二 3:18、13:5、エフェソの信徒への手紙 4:6,13-14、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、ヘブライ人への手紙 1:3、ヨハネの手紙一 4:15、出エジプト記 3:14、イザヤ書 9:6、箴言 8:22-23、詩編 36:9、139:7、ヨハネの黙示録 21:3、22:13)

講話 4 – 49

気づき

しかし、“キリスト”が遍在なる“命”の“意識”の中に退くとき、“父なる神”の“全能性”(Omnipotence of the Father)によって、このように、“わたし”はあなたたちすべてのもとに、臨むことができるのです。誰でも、“わたし”の名によって何かを求めるならば、それは成されるのです。“父”と“わたし”は、一つであるからです。

(マタイによる福音書 18:20、28:18-20、マルコによる福音書 11:24、ルカによる福音書 11:9、17:21、ヨハネによる福音書 5:14-15、10:30、14:13-14、16:23-24、17:21、使徒言行録 1:8、17:28、コロサイの信徒への手紙 3:11、エフェソの信徒への手紙 3:20、4:6、コリントの信徒への手紙一 3:16、ローマの信徒への手紙 8:11、出エジプト記 3:14、申命記 4:29、イザヤ書 43:10、55:6、箴言 8:17、詩編 145:18、ヨハネの黙示録 3:20、21:3,6、22:13)

講話 4 – 50

気づき

このようにして、あなたたちの意識も引き上げられるのです。人の意識は、“神の意識”を認識することができるように、引き上げられなければなりません。一連の講話を通じて、あなたたちの意識は、自分を意識することから、“神”、すなわち内在の“キリスト”を意識するように、高められてきているのです。

(マタイによる福音書 6:22、16:17、マルコによる福音書 4:11、ルカによる福音書 17:21、24:45、ヨハネによる福音書 3:3、8:12、14:20,23、17:21-23、使徒言行録 17:28、コロサイ人への手紙 3:2、コリントの信徒への手紙一 2:12、コリントの信徒への手紙二 3:18、エフェソの信徒への手紙 1:17-18、4:23-24、コロサイの信徒への手紙 3:1-2、ローマの信徒への手紙 12:2、イザヤ書 55:9、箴言 2:6、3:5-6、4:23、詩編 46:10、139:17-18、ヨハネの黙示録 3:20)