講話 4 – 101

気づき

“わたし”の言葉に耳を傾ければ、“内なる声”を理解することができ、あなたたちの“生活”(生命・生活・生涯)は充実し、身体も、完全に健康になるでしょう。危害や災いからも守られます。なぜなら、わたしたちを隔てている仕切りは、とても薄いからです。

(マタイによる福音書 4:4、6:33、7:7-8、ルカによる福音書 11:28、ヨハネによる福音書 6:63、10:27-28、14:21、使徒言行録 2:17、17:27、ローマの信徒への手紙 10:17、コリントの信徒への手紙一 2:9-10、コリントの信徒への手紙二 3:18、エフェソの信徒への手紙 1:17-18、ヘブライ人への手紙 4:12、出エジプト記 15:26、23:20、申命記 5:33、30:20、イザヤ書 30:21、箴言 4:20-22、詩編 23:1-6、91:9-11、119:105、ヨハネの黙示録 3:20、21:3-4)

講話 4 – 102

気づき

その仕切りは、あなたたちが思いを向けることによって、貫通することができるのです。そうして、このように、あなたたちのところに来ることができるのです。これらのこと、そして、それ以上の多くのことが、あなたたちに明かされるでしょう。「“わたし”は世の終わりまで、常にあなたたちと共にいる」

(マタイによる福音書 28:20、マルコによる福音書 13:11、ルカによる福音書 17:21、ヨハネによる福音書 10:27、14:16-18,23、15:5、16:13、使徒言行録 2:17、17:27、ローマの信徒への手紙 8:9-10、コリントの信徒への手紙一 2:9-10、3:16、コリントの信徒への手紙二 13:14、フィリピの信徒への手紙 4:6-7、エフェソの信徒への手紙 3:17、コロサイの信徒への手紙 2:2-3、ヘブライ人への手紙 13:5、出エジプト記 3:14、33:14、イザヤ書 41:10、55:6、エレミヤ書 33:3、箴言 3:5-6、8:17、詩編 23:4、139:7-10、ヨハネの黙示録 1:8、3:20、21:6、22:13)

講話 4 – 103

気づき

“わたし”に耳を傾けるならば、“わたし”は、あなたたちに教えます。 “わたし”は、遠くかけ離れたところにいると思うのですか。“わたし”たちを隔てる空間があると思うのですか。

(マタイによる福音書 6:5-6、28:20、ヨハネによる福音書 10:30、14:16-18,26,23、使徒言行録 2:17、17:27、ローマの信徒への手紙 8:38-39、コリントの信徒への手紙一 3:16、エフェソの信徒への手紙 2:13、3:17-19、ヤコブの手紙 1:5、ヘブライ人への手紙 13:5、申命記 4:7、イザヤ書 55:6、57:15、エレミヤ書 23:23-24、箴言 2:6、8:17、詩編 34:18、139:7-10、145:18、ヨハネの黙示録 3:20)

講話 4 – 104

気づき

“キリスト”には、分離はありません。すべてを生かしている“唯一の命”に、分離はありえません。神は、“ご自身”を分割されてはいません。“ご自身”を個々の“命”として現されていますが、分割はされていないのです。統一された全体の中の、個としての存在なのです。

(マタイによる福音書 28:20、ルカによる福音書 17:21、ヨハネによる福音書 10:30、17:21-23、使徒言行録 17:28、コリントの信徒への手紙一 8:6、12:12、エフェソの信徒への手紙 4:4-6、ガラテヤの信徒への手紙 3:28、コロサイの信徒への手紙 1:17、3:11、ローマの信徒への手紙 8:38-39、12:5、申命記 6:4、マラキ書 2:10、イザヤ書 43:10-11、箴言 16:4、30:4、詩編 133:1、ヨハネの黙示録 21:3)

講話 4 – 105

気づき

神は、“ご自身”から切り離されたものは、何一つ創造されていません。ただ、“わたし”を通して、“ご自身”を現されるのです。その“わたし”は、“神の子”なのです。どんな囚われからも離れ、“わたし”に耳を傾ける者は、“わたしの声”がわかります。“わたし”は、常に“わたし”の内に留まり給う、父なる神“ご自身”に代わり、語っているからです。

(マタイによる福音書11:27、ヨハネによる福音書 1:1-3、5:19、8:28-29、10:30、14:6-11,23、使徒言行録 4:12、17:28、コリントの信徒への手紙二 5:19、コロサイの信徒への手紙 1:15-17、ヘブライ人への手紙 1:1-3、フィリピの信徒への手紙2:6-7、創世記 1:1,26-27、申命記 6:4、出エジプト記 3:14、イザヤ書 9:6、45:18、箴言 8:22-23、詩編 33:6、ヨハネの黙示録 1:8、3:20、21:3)

講話 4 – 106

気づき

それでは、“沈黙の癒しの力の聖所”に入りましょう。目を閉じずに、“わたし”の方を見ていなさい。そうすれば、あなたたち一人ひとりの内に生きている、“キリスト”に目覚めるでしょう。

(マタイによる福音書 18:20、ルカによる福音書 17:21、ヨハネによる福音書 10:30、14:6,20,27、使徒言行録 3:6、コリントの信徒への手紙一 3:16、コリントの信徒への手紙二 6:16、13-5、ローマの信徒への手紙 8:10-11、ガラテヤ人への手紙 2:20、コロサイの信徒への手紙1:27、エフェソの信徒への手紙3:17、フィリピの信徒への手紙 4:13、出エジプト記 15:26、33:14、ハバクク書 2:20、イザヤ書 45:22、57:15、エレミヤ書23:24、箴言 4:22、8:17、詩編 23:1、46:10、139:7-8、ヨハネの黙示録 3:20、21:3-4)

講話 4 – 107

気づき

まず、神の“愛と叡智”を求めなさい、そうすれば、それに加えて、すべてが与えられるのです。

(マタイによる福音書 6:33、7:7-8、ルカによる福音書12:31、ヨハネによる福音書 14:6,21、15:5-7、16:33、使徒言行録 17:27、ローマの信徒への手紙 5:5、11:33、コロサイの信徒への手紙2:3、ヨハネの手紙一 4:8、ヤコブの手紙 1:5、コリントの信徒への手紙一 1:24、3:18、申命記 6:5、4:29、エレミヤ書29:13、箴言 2:6、3:5-6、4:7、8:17、詩編 37:4、111:10、119:105、ヨハネの黙示録 3:18,20、5:12、22:17)