講話 2 – 81
気づきあなたたちは“神の思い”(the Mind of God)の中でのみ、一瞬一瞬、創造することができます。それが“今”というこの瞬間なのです。あなたたちが“神の思い”の中で“今”創造したものはすでに確立しています。ゆえに、明日のことは明日に任せるのです。
(マタイの福音書 6:34、詩篇 34:1、90:12、118:24、コリントの信徒への手紙二 5:7、ヤコブの手紙 4:13)
講話 2 – 82
気づき泣く者と共に泣くのではなく、心の内奥に君臨している強大な“愛”によって彼らを助けなさい。母親が自分の子供を愛するように、すべての人を愛しなさい。最も高き者から最も低き者まで、人はすべて神の子です。あなたたちがこれを認識したとき、分離のない、唯一の家族しか知らないようになるのです。
(マタイによる福音書 7:12、22:39、ガラテヤの信徒への手紙 3:28、ヨハネによる福音書 13:34-35、ローマの信徒への手紙 12:15、ヤコブの手紙 2:8)
講話 2 – 83
気づき無私に徹することを学びなさい。これが受容性の秘訣です。あなたたちは“霊”の一部分ではなく、全体と一つなのです。“霊”が“霊”自身から切り離されることはできないのです。
(マルコによる福音書 8:34、ヨハネによる福音書 17:21-23、マタイによる福音書 6:24、コリントの信徒への手紙一 13:5、フィリピの信徒への手紙 2:3-4、コリントの信徒への手紙一 13:5、ヤコブの手紙 4:2)
講話 2 – 84
気づきこのことに本当に気づいたとき、変容が起こります。受容性とは、受け取ることだからです。真実は、神は常にすべての者に“恵み”を注いでおられます。あなたたちがその“恵み”を受け取りたいのであれば、受け容れるために、心を開きさえすればよいのです。この受容性こそが偉大さの秘訣です。すべての真実なるものの存在の秘訣は、無私であるということです。ゆえに、与えることは受け取ることなのです。
(ルカによる福音書 6:38、マタイによる福音書 5:7、6:25、使徒言行録 20:35、コリントの信徒の手紙二 9:6-7、ヤコブの手紙 1:5、フィリピの信徒への手紙 4:19、ヨハネによる福音書 3:16)
講話 2 – 85
気づきわたしがこの瞬間に見ているもの――すなわち、何千もの霊が“わたし”の言葉に聴き入り、神の愛が天にあるように地にもあり、内にあるように外にもあるという理解が明らかになってきていること――これをあなたたちが見たら、あなたたちの考えはどうなるのだろうか、と思うことがあります。
(ヨハネによる福音書 3:16、14:16、マタイによる福音書 6:9-13、22:39、エフェソの信徒への手紙 4:6、コリントの信徒への手紙二 4:16-18、詩篇139:7-10)
講話 2 – 86
気づきわたしはかつて言いました。「もしあなたたちが “わたし” を知っているなら、“わたし”の“父”も知っているであろう。しかし、もし“わたし”の“父”を知らないならば、どうして “わたし” を知ることができ、 “わたし” の言葉を理解することができるだろうか」。
(ヨハネによる福音書 8:19、10:30、14:6-9、17:21-23)
講話 2 – 87
気づき“わたし”は“キリスト”から語っていますが、あなたたちはどこから語っているのですか。肉体感覚からですか。状況に反応しているのですか。それとも、自分自身の内に“神の力”が宿っており、「 “わたし” は“命”である」「 “わたし” は“真理”である」「 “わたし” は一切を支配している」という意識が存在していることに気づいていますか。
(ヨハネによる福音書 10:30、14:6,10、15:5、詩篇 8:6、ローマの信徒への手紙 8:9)
講話 2 – 88
気づきあなたたち自身の内に “父”がおられるのです。それを知りなさい、そうすれば、“父”はあなたたちを通して現れるのです。これこそが“世の光”であり、世が“光”に打ち勝つことはなく、“光”は闇に打ち勝つのです。「“わたし”は世の光です」。闇は“わたし”が“光”であるため消えてしまうのです。
(ヨハネによる福音書 1:4-5、8:12、10:38、14:23、イザヤ書 60:1、コリントの信徒への手紙二 4:6、マタイによる福音書 6:22)
講話 2 – 89
気づきこれが人の“光”です。それは“無限の愛と叡智”の現れであり、人類の中に完全な状態を創り出します。
(ヨハネによる福音書 1:4-5、8:12、マタイによる福音書 5:14、コリントの信徒への手紙一 13:12、コリントの信徒への手紙二 4:6、ヤコブの手紙 1:17、コロサイの信徒への手紙 1:27-28)
講話 2 – 90
気づきあなたたちの存在の源は神です。あなたたちがこのことに目覚めたとき、“子”(イエス)の中におられ、あなたたちの中にもおられる“父”を知ることになるのです。
(ヨハネによる福音書 1:4、10:38、14:10-11、14:20-23、コリントの信徒への手紙一 3:16、コリントの信徒への手紙二 3:18、ヘブライ人への手紙 1:3)