講話 2 – 21
気づき目に見えるものと、目に見えないものの間に、壁があり、それが、わたしたちを分離させているように思えます。しかし、それは真実ではありません。あなたたち自身の想念の中以外に、壁はないのです。わたしたちの間に存在する障壁は、そこにしかありません。この壁、この分離を、悟りと“愛”によって、取り除きなさい。
(マタイによる福音書 22:37-39、マルコによる福音書 11:23、ルカによる福音書 17:21、ヨハネによる福音書 14:20、ヨハネの手紙一 4:7-8、エフェソの信徒への手紙 2:14-15、ローマの信徒への手紙 8:38-39、コリントの信徒への手紙一 13:12、イザヤ書 59:1-2、箴言 3:5-6、詩編 139:7-8、ヨハネの黙示録 21:3-4)
講話 2 – 22
気づき大いなる“神の意識”に入るとき、あなたたちは、もはや事物の影に満足することはなく、真実であり、実在であるものを、求めるようになります。目に見えないものこそが真実であり、見えるものは、その影にすぎないのです。
(マタイによる福音書 6:19-22、マルコによる福音書 8:36-37、ルカによる福音書 12:33-34、ヨハネによる福音書 1:1、4:24、6:27、ヘブライ人への手紙 11:1、コリントの信徒への手紙二 4:18、コロサイの信徒への手紙 1:16、創世記 1:27、コヘレトの言葉 3:11、箴言 23:4-5、詩編 19:1、73:25-26、102:26-27、ヨハネの黙示録 21:1-4)
講話 2 – 23
気づきあなたたちが、死すべき肉の眼(まなこ)で何かを見るとき、それを見、感じることができるので、それを現実だと言います。しかしあなたたちが見ているものは、目に見えないままに留まっている、大いなるものの外側の表現にすぎないのです。“創造力”、“命”、大宇宙に永遠に存在する唯一の力、これこそが、あなたたちや“わたし”、そして、すべての生きとし生けるものに宿っている、“生命原理”なのです。この“命”が“愛”であり、この“命”が“安らぎ”なのです。「“わたし”は“命”である」
(マタイによる福音書 5:14-16、マルコによる福音書 10:27、ルカによる福音書 17:20-21、ヨハネによる福音書 1:1-14、14:6、コリントの信徒への手紙二 4:18、コロサイの信徒への手紙 1:16-17、ヨハネの手紙一 4:8,16、使徒言行録 17:28、創世記 2:7、箴言 8:22-23、詩編 36:9、ヨハネの黙示録 21:1-5、22:1-2)
講話 2 – 24
気づきあなたたちは、偉大なる魂(great minds)が自分たちの中から去っていくことを、喪失だと考えています。しかし、そうではありません。これらの魂は、より大いなるものとなり、あなたたちから離れることはないからです。これらの人びとは、かつてよりも “実在”の中に生きているのです。
(マタイによる福音書 22:31-32、マルコによる福音書 12:26-27、ルカによる福音書 20:38、ヨハネによる福音書 11:25-26、14:2-3、フィリピの信徒への手紙 1:21-23、コリントの信徒への手紙一 15:42-44、コリントの信徒への手紙二 5:8、ヘブライ人への手紙 11:13-16、12:1、テサロニケの信徒への手紙一 4:14、コヘレトの言葉 12:7、ダニエル書 12:2-3、イザヤ書 25:8、箴言 4:18、12:28、詩編 16:11、23:6、ヨハネの黙示録 14:13)
講話 2 – 25
気づきゆえに、あなたたちは何も失ってなく、むしろ、さらに多くのものを得ているのです。肉体を去った親しい人びとのことを考えてみなさい。あなたたちは、彼らを失ってしまったと思いこんでいます。しかし、それは真実ではないと断言しておきます。彼らは、かつてよりも偉大になっており、かつてよりも、あなたたちの身近に存在しているのです。
(マタイによる福音書 22:31-32、マルコによる福音書 12:26-27、ルカによる福音書 20:38、ヨハネによる福音書 14:2-3、ローマの信徒への手紙 8:38-39、ヘブライ人への手紙 12:1、コリントの信徒への手紙二 5:1,8、テサロニケの信徒への手紙一 4:14、イザヤ書 25:8、箴言 12:28、詩編 16:11、23:4-6、116:15、139:7-10、ヨハネの黙示録 7:15-17、14:13、ヨハネの黙示録 21:3-4)
講話 2 – 26
気づきあなたたちは今、“わたし”があなたたちのもとを去ったのではなく、依然として共にいることを悟っています。“わたし”は世に在って世を変え、すべての人びとの心を高め、内に宿る“真理”に目覚めるように導いています。すべての人びとが、自らの“神聖な本性”を自覚するようになるためです。
(ヨハネによる福音書 14:16-18,20、17:23、マタイによる福音書 28:19-20、マルコによる福音書 16:15、ルカによる福音書 17:21、使徒言行録 17:28、ヨハネの手紙一 4:13-14、コリントの信徒への手紙一 3:16、エゼキエル書 36:26-27、イザヤ書 41:10、箴言 4:18、詩編 46:5、139:7、ヨハネの黙示録 21:3)
講話 2 – 27
気づきあなたたちが、 “真実の自己”(True Self)を深く知れば知るほど、 “わたし”を深く理解するようになるのです。
(ヨハネによる福音書 1:12、14:6,20、17:3、マタイによる福音書 6:33、マルコによる福音書 12:30、ルカによる福音書 17:21、コリントの信徒への手紙一 2:11-12、3:16、コリントの信徒への手紙二 3:18、13:5、エフェソの信徒への手紙 4:24、創世記 1:27、箴言 20:27、詩編 8:3-5、139:14、ヨハネの黙示録 1:8、3:20,21、21:1-4,6、22:13)
講話 2 – 28
気づき多くの人が犯す大きなまちがいは、“わたし”と私の弟子たちが、どこか遠く離れた所に旅立ち、あなたたちがそこに辿(たど)り着くためには、どこかの組織からパスポートを得なければならず、さらに、そこに到着する時まで待たなければならない、と誤解していることです。しかしそれは、大きなまちがいなのです。
(マタイによる福音書 28:20、マルコによる福音書 10:14-15、ルカによる福音書 17:21、ヨハネによる福音書 14:2-3,6,23、使徒言行録 4:12、17:27-28、ローマの信徒への手紙 1:19、10:13、エレミヤ書 23:24、イザヤ書 55:1、箴言 3:5-6、8:17、詩編 139:7-8、145:18、ヨハネの黙示録 3:20、21:3-4)
講話 2 – 29
気づき場所など存在せず、ただ、意識の状態があるだけなのです。しかも、わたしたちは、今、あなたたちと共にいるのです。あなたたちがこのことを深く悟れば悟るほど、わたしたちは、あなたたちの生命・生活・生涯に関わるようになり、あなたたちを助けることができるのです。
(マタイによる福音書 28:20、ルカによる福音書 17:21、ヨハネによる福音書 14:16-17、コリントの信徒への手紙二 13:5、ヘブライ人への手紙 13:5、使徒言行録 17:28、イザヤ書 41:10、箴言 3:5-6、詩編 46:10、139:7-10、145:18、ヨハネの黙示録 3:20)
講話 2 – 30
気づきあなたたちにとって、“神の意識”とは何なのか 、 今、考えてみなさい。“わたし”の中にある意識(真我=Me)と、"あなたたち"の中にある意識(真我=You)は、同一のものなのです。意識に違いはありません。唯一の違いは、意識に対する気づき、すなわち、自己への目覚めの度合いの違いがあるだけです。
(マタイによる福音書 5:48、ルカによる福音書 17:21、ヨハネによる福音書 10:30、14:20、17:21-22、コリントの信徒への手紙一 2:16、コリントの信徒への手紙二 3:18、使徒言行録 17:28、エレミヤ書 23:24、詩編 46:10、139:7、ヨハネの黙示録 1:8、3:20,21、21:1-4,6、22:13)