講話 2 – 11
気づきこの上なく美しい景色を目にし、それをキャンバスに描こうとしても、それは単なるその風景の模写に過ぎず、本物と比較することはできません。あなたたち自身についても、同じことなのです。
(マタイによる福音書 6:19-21、マルコによる福音書 4:26-29、ルカによる福音書 12:23、ヨハネによる福音書 1:14、4:24、コリントの信徒への手紙一 13:12、ヘブライ人への手紙 10:1、創世記 1:26-27、出エジプト記 20:4、箴言 8:22-23、詩編 19:1-2、ヨハネの黙示録 21:1-4,23)
講話 2 – 12
気づき“真実”(The Real)は、“霊”の次元に存在します。その次元において、“真の自己”として実在しているのです。外面的なものはその写しに過ぎませんが、感覚を通じて外界に反応してしまう想念の働きによって、真我が曇らされているのです。
(マタイによる福音書 6:19-21、マルコによる福音書 8:36、ルカによる福音書 16:13、ヨハネによる福音書 3:6、4:24、10:27-30、コリントの信徒への手紙二 4:18、5:16-17、コロサイの信徒への手紙 3:2、ローマの信徒への手紙 12:2、創世記 1:26-27、イザヤ書 55:8-9、箴言 3:5-6、4:7,23、詩編 51:12、73:25-26、ヨハネの黙示録 21:4)
講話 2 – 13
気づき内なる“真我”の驚嘆すべき“愛と安らぎ”の力を外側に現しなさい。全宇宙を貫いている“創造原理”は人の目には見えず、天使の目にも見えません。しかしそれは“唯一の実在”であり、すべてのものの形成過程で“創造原理”として働いており、それによってすべての目に見えるものが生み出されているのです。ゆえに、無智と恐れによって外面を曇らせてはなりません。
(ヘブライ人への手紙 11:3、ヨハネによる福音書 1:3-4、10:27-30、14:23、コリントの信徒への手紙一 2:9、コリントの信徒への手紙二 3:18、箴言 3:5-6、ヤコブの手紙 1:5)
講話 2 – 14
気づき“わたし” は“命”です!わたしは自分自身が“命”であることを認識しています。この認識によって、“命”となっているのです。 “わたし” により、 “わたし” を通して、万物が造られたのです。 “わたし” と父は一つです。なぜなら、他に“命”はないからです。
(ヨハネによる福音書 1:3-4、10:27-30、14:6、創世記 2:7)
講話 2 – 15
気づきわたしが見ていること、知っていることを、あなたたちに言葉で伝えることはできません。しかし、あなたたちの内には、永遠なる“今”という栄光に目覚めさせる“霊”が存在しているのです。
(ヨハネによる福音書 1:1-14、14:26、16:13、コリントの信徒への手紙一 2:10-11、コリントの信徒への手紙二 3:18、ヘブライ人への手紙 11:1、箴言 3:5-6、ヤコブの手紙 1:5、イザヤ書 30:21)
講話 2 – 16
気づきこの“霊的な力”の認識こそが、ペテロの信仰の基盤であり、わたしの弟子たちが奇蹟を行うことを可能にしたものでした。しかし、法則が理解されれば奇蹟とはいえません。あなたたちもこの偉大な力の内在を認識すれば、“創造原理”が自己の意識の中に存在していることを知るでしょう。あなたたちの意識を通じて、すべてがあなたたちの生命・生活・生涯に現れるのです。なぜなら、あなたたちの中に生きているのは、“父なる神ご自身”だからです。これが、わたしが常に意識していることであり、あなたたちも意識すべきことなのです。
(マタイによる福音書 17:20、ヨハネによる福音書 1:1-14、14:10,12、15:4、箴言 3:5-6、ヤコブの手紙 1:5、ヨハネの黙示録 21:6-7、22:17)
講話 2 – 17
気づき子供たちは本能的に物事を知っています。しかし、子供たちが知りたいと思っている多くの適切な質問が、子供たちを導くべき大人の無智によって未回答なままになっています。これらの質問は、おそらく生涯にわたって答えられず、再び質問されることはないでしょう。真理を求める魂は、扉を開けることができます。なぜなら、「見よ、私は戸口に立って扉を叩いている。もし誰かが、私の声を聞いて扉を開くならば、私は中に入って、その人と共に食事をし、彼もまた私と共に食事をするであろう」とあるからです。これが“生ける神”の“大いなる真理”なのです。“わたし”と父は一つです。
(ヨハネの黙示録 3:20、マタイによる福音書 7:7-8、18:3、19:14、ヨハネによる福音書 10:27-30、14:6)
講話 2 – 18
気づきこの“真理”を理解することによって、“常に実存しているもの”があなたたちの生活に現れるようになります。あなたたちの中に、あなたたちを通して働く“創造力”の大きな力が存在しています。あなたたちはそれに気づいていませんが、それは自らを顕現する以外になく、しかもあなたたちを通して顕現しなければならないのです。なぜならあなたたちは、その目的のために、特別に創られているからです。
(エフェソの信徒への手紙 2:10、コリントの信徒への手紙一 3:16、ヨハネによる福音書 14:12)
講話 2 – 19
気づきわたしが語ってきたことをよく考えてみてください。そうすれば、肉体の心では表現できない、言葉では言い表せない“真理”を認識することができるようになります。説明しえないものは悟る以外にないのです。“説明できないもの”こそが“真理”であり、あなたたちが“それ”に気づいたとき、“それ”が完全に現れるのです。「“それ”は何か」ではなく、「“それ”がある」ということなのです。
(コリントの信徒への手紙一 2:9、コリントの信徒への手紙二 5:7、ローマの信徒への手紙 11:33、箴言 3:5-6、ヨハネによる福音書 1:1-5、14:6)
講話 2 – 20
気づきあなたたちは、ありとあらゆるすべての“命と愛の中心”から流れ出る“大生命”によって、新たな創造をしています。神の御心は天に行われるように地にも行われるのです。しかもそれはあなたたちの中で、“今”行われているのです。
(ヨハネの黙示録 21:1-5、ヨハネによる福音書 1:1-14、7:38、15:1-8、マタイによる福音書 6:9-13、コリントの信徒への手紙一 3:16)