講話 14 – 21
気づき短い期間ではありましたが、あなたたちと共に、真剣な教えの時間を過ごせたことを、“わたし”は本当に喜んでいます。“わたし”が、あなたたちから遠く離れた存在とは、決して考えないでください。
(マタイによる福音書 28:20、マルコによる福音書 9:7、ルカによる福音書 24:32、ヨハネによる福音書 14:18,23、ローマの信徒への手紙 8:15、エフェソの信徒への手紙 2:13-14、フィリピの信徒への手紙 4:5、申命記 31:6、エレミヤ書 29:13、箴言 3:5-6、15:3、詩編 139:7-10、145:18、ヨハネの黙示録 3:20、21:3)
講話 14 – 22
気づきあなたたちは、過去に起こった出来事を、記憶のなかに追いやっています。しかし、過去の出来事は消えた訳ではなく、今もあなたたちと共にあるのです。ゆえに、“神の臨在”、常にあなたたちと共にある “キリスト” に、意識的に目覚めていなさい。あなたたちが創造できるのは、現在のみであり、過去ではなく、未来でもありません。“永遠なる今”においてのみ、創造することができるのです。
(コリントの信徒への手紙二 5:17、ヘブライ人への手紙 13:8、エフェソの信徒への手紙 2:10、マタイによる福音書 6:34、ルカによる福音書 17:21、ヨハネによる福音書 14:26、イザヤ書 43:19、コヘレトの言葉 3:1、箴言 16:3、27:1、詩編 46:1、90:4、103:5、ヨハネの黙示録 1:8、21:5、22:13)
講話 14 – 23
気づきあなたたちは、“わたし”の臨在を絶え間なく楽しみ続け、学び続けることができるのです。常に、“わたし”を思い続けることによって、“わたし”をより深く理解し、“わたし”とのつながりを、深め続けることができるのです。
(ヨハネによる福音書 15:4,7、マタイによる福音書 28:20、マルコによる福音書 9:7、ルカによる福音書 24:32、コリントの信徒への手紙二 3:18、フィリピの信徒への手紙 4:4-5,8、申命記 6:4-5、ヨシュア記 1:9、箴言 3:6、詩編 16:8-11、139:7-10、ヨハネの黙示録 21:3)
講話 14 – 24
気づき“わたし”の“言葉”は、あなたたちにとって“命”です。“わたし”を信じ、勇気を出しなさい。あなたたちの、本当に助けてあげたいというその願いは、それが無私のものであるときには、すでに成就しているのです。
(ヨハネによる福音書 6:63、14:6、マタイによる福音書 7:7-8、マルコによる福音書 9:23、11:24、ルカによる福音書 11:9-10、ローマの信徒への手紙 1:16、ヤコブの手紙 2:17、フィリピの信徒への手紙 4:13、イザヤ書 40:31、箴言 3:5-6、16:3、詩編 119:105、ヨハネの黙示録 2:10)
講話 14 – 25
気づき助けたいという願いは、心の内奥から、湧き上がってくるものでなければなりません。その、心の内奥に、あなたたちは、“臨在”を見出すでしょう。その“臨在”は、あなたたちを通して、“ご自身”を現され、そうして、あなたたちの願いは成就することになるのです。
(マタイによる福音書 5:8、マルコによる福音書 12:30-31、ルカによる福音書 6:45、ヨハネによる福音書 7:38、15:5、フィリピの信徒への手紙 2:13、ガラテヤの信徒への手紙 5:22-23、エフェソの信徒への手紙 3:20、コリントの信徒への手紙一 13:13、エゼキエル書 36:26-27、イザヤ書 65:24、箴言 3:27、4:23、詩篇 37:4、ヨハネの黙示録 3:20)
講話 14 – 26
気づき助けを求めるときは、分離はあり得ないことを、肝に銘じておくべきです。心の内奥から湧き上がる願いは、直ちに成就されます。なぜなら、あなたたちの“父”が、聴いてくださるからなのです。“父”は、すべての者に仕えている御方なのです。
(マタイによる福音書 6:8、7:7-8、マルコによる福音書 11:24、ルカによる福音書 6:38、ヨハネによる福音書 14:13-14、ガラテヤの信徒への手紙 6:9、ローマの信徒への手紙 8:26、イザヤ書 65:24、箴言 3:27、詩編 37:4、145:18-19、ヨハネの黙示録 3:8)
講話 14 – 27
気づきあなたたちは、“内なるキリスト”によって、ありとあらゆるすべての物事に、勝利を収めるのです。
(ヨハネによる福音書 16:33、マタイによる福音書 17:20、マルコによる福音書 11:23-24、ルカによる福音書 10:19、フィリピの信徒への手紙 4:13、ローマの信徒への手紙 8:37、ヨハネの手紙一 5:4-5、コリントの信徒への手紙二 2:14、エフェソの信徒への手紙 6:12、イザヤ書 41:10、箴言 21:31、詩編 23:4、60:12、ヨハネの黙示録 12:11)
講話 14 – 28
気づき“キリスト”は、人類の中に現れた、“神の永遠の御子”です。このことを理解すると、肉体の中に留まりながらも、最高の境地に達するのです。
(ヨハネによる福音書 1:1,14、マタイによる福音書 16:16-17、マルコによる福音書 9:2-3、ルカによる福音書 1:35、フィリピの信徒への手紙 2:6-8、ヘブライ人への手紙 1:3、コロサイの信徒への手紙 1:15、2:9、ローマの信徒への手紙 8:3、ゼカリヤ書 12:10、イザヤ書 7:14、9:6、箴言 8:22-23、ヨハネの黙示録 1:13-14)
講話 14 – 29
気づき肉体の中に生きている間、あなたたちは、肉体に左右されていることを認識しています。しかし、それらの影響は悪いものではなく、さまざまな事象についての、深い理解を得るための手段なのです。
(ヨハネによる福音書 1:14、6:63、15:5、マタイによる福音書 26:41、マルコによる福音書 14:38、ルカによる福音書 22:40、ローマの信徒への手紙 8:6、12:1、コリントの信徒への手紙一 2:14、6:19-20、フィリピの信徒への手紙 3:20-21、コロサイの信徒への手紙 1:16、創世記 1:27,31、箴言 3:5-6、4:7、詩編 139:13-14、ヨハネの黙示録 2:7)
講話 14 – 30
気づき土の中に植えられた種が生長し、花を咲かせ、新たな種を生み出すように、あなたたちも、そうした状態から成長します。“神の霊”も、あなたたちの中で、同じような展開をします。“神の霊”は、常に、肉体に閉じ込められているものではなく、本来、不滅であったように、死に向かう状態から、不滅の状態へと成長していきます。肉体に宿っている“命”が、“絶対合一の命”から離れるということは、決してないのです。
(マタイによる福音書 13:31-32、マルコによる福音書 4:26-29、ルカによる福音書 8:11-15、ヨハネによる福音書 12:24、15:5、コリントの信徒への手紙一 15:42-44、コリントの信徒への手紙二 3:18、ローマの信徒への手紙 8:11、エフェソの信徒への手紙 4:15,23-24、創世記 2:7、5:1、イザヤ書 40:31、箴言 11:30、詩篇 1:3、ヨハネの黙示録 22:1-2)