講話 13 – 81

気づき

“わたし”の“父の家”には、たくさんの邸宅があります。これらは、さまざまな段階の意識のことです。意識が紐解かれるにつれて、その紐解かれたものが、現象化するのです。

(ヨハネによる福音書 14:2、マタイによる福音書 13:23、マルコによる福音書 4:28、コリントの信徒への手紙一 3:9、コリントの信徒への手紙二 3:18、ローマの信徒への手紙 12:2、箴言 4:18、9:9、詩編 37:23、ヨハネの黙示録 3:12、21:23)

講話 13 – 82

気づき

意識が紐解かれるとき、紐解かれたものは、現象化します。悟ったものは見え、理解されます。あなたたちの意識は、“神のキリスト”が顕現し、さらに大いなるものが紐解かれていく媒体なのです。

(コリントの信徒への手紙二 3:18、4:16、ローマの信徒への手紙 12:2、コロサイの信徒への手紙 1:26-27、ヨハネによる福音書 1:1、16:13、マタイによる福音書 13:11、マルコによる福音書 4:11-12、ルカによる福音書 10:21、箴言 2:6、4:7、詩編 119:18、139:14、ヨハネの黙示録 3:20)

講話 13 – 83

気づき

“神のキリスト”は受肉し、あなたたちの内に宿っています。手足よりも身近で、あなたたちが尋ねる前に耳を傾けています。

講話 13 – 84

気づき

“創造の場”は自己の内にあると理解し、信念をもって求めるとき、“わたし”の名において父に求めるならば、父があなたたちのためになされないことは何もありません。ゆえに、あなたたちの内におられる“神のキリスト”の名において求めなさい。“わたし”はあなたたちの声を聴き、あなたたちが求めるものは何でも成就するのです。

講話 13 – 85

気づき

あなたたちは“わたし”の実を結ぶ葡萄(ぶどう)の木の枝であり、豊かな実を結ぶことができるのです。“わたし”と共にあればあなたたちは全てのことができます。けれども“わたし”なしでは何もできないのです。

講話 13 – 86

気づき

わたし自らは無に等しいのです。“わたし”の内におられる“父の霊”が語られているのです。父はこれらのことを成され、さらにそれ以上のことを成されるのです。(ヨハネによる福音書14章10節)

講話 13 – 87

気づき

あらゆる思考と言葉の背後に“わたし”がいます。“わたし”は“普遍”であり、“わたしの愛”がすべての“知識”、“叡智”、“力”の鍵となるのです。

講話 13 – 88

気づき

“わたし”の“愛”があなたたちの内なる領域の意識を紐解いていきます。あなたたちの内で “愛”が紐解かれるにつれ、あなたたちはさらに“わたし”のことを深く知るようになります。

講話 13 – 89

気づき

たとえあなたたちが雄弁に語ったとしても、心(ハート)に愛がなければ、鳴り響くシンバルに過ぎません。

講話 13 – 90

気づき

たとえあなたたちがすべての知識を得て、すべてのことができる信仰を実践しても、あなたたちの心(ハート)に“愛”がなければ、あなたたちが行うことはあなたたちの利益にはならないのです。