講話 13 – 61

気づき

(十字架につけられてから)8日後、“わたし”の弟子たちが全員集まり、トマスも一緒にいました。“わたし”は彼の手を取り、“わたし”の脇腹に押し当て、さらに、“わたし”の手と足を見せました。トマスは圧倒され、「わが主よ!わが神よ」と叫びました。

(ヨハネによる福音書 20:24-29、ルカによる福音書 24章39-40、ローマの信徒への手紙 10:9-10、コリントの信徒への手紙一 15:14、ペトロの手紙一 1:3、イザヤ書 53:5、ゼカリヤ書 12:10、詩編 22:16-17、118:22-23、ヨハネの黙示録 1:7、5:6)

講話 13 – 62

気づき

死と呼ばれる体験の後にも、人は生き続けることを知り、彼は圧倒されたのです。ここに、すべての“力”の秘密があるのです。しかし、それを十分に理解できる人は、ほとんどいなかったのです。

(コリントの信徒への手紙一 15:54-55、ローマの信徒への手紙 6:8、11:25-26、マタイによる福音書 22:31-32、マルコによる福音書 12:26-27、ルカによる福音書 20:37-38、ヨハネによる福音書 3:16、ダニエル書 12:2、詩編 16:10-11、49:15、創世記 3:15、ヨハネの黙示録 21:4)

講話 13 – 63

気づき

このことを悟ることによって、あなたたちの内在の“キリスト”に、 “キリストの”力が宿るのです。ゆえに、このことを、自分の仕事の中で、もっとも重要なものとして位置づけたのです。それは、この世というものは、“内なるキリスト”を開花させるために用意されている準備段階にすぎないことを示しています。この悟りこそがあなたたちに必要なものであり、それによって、天においても地においても、すべての“力”があなたたちに与えられるのです。

(マタイによる福音書 6:33、28:18-20、マルコによる福音書 13:31、ルカによる福音書 17:21、ヨハネによる福音書 14:12、コロサイの信徒への手紙 1:27、コリントの信徒への手紙二 3:18、ローマの信徒への手紙 8:10-11、エフェソの信徒への手紙 3:16-17,20-21、イザヤ書 61:1、ヨハネの黙示録 3:21、21:7)

講話 13 – 64

気づき

トマスは、見たために信じました。しかし、わたしは言っておきます。「“わたし”を見ることなく信じる者は、幸いです」

(ヨハネによる福音書 20:29、マルコによる福音書 16:16、マタイによる福音書 9:29、ルカによる福音書 8:50、ヘブライ人への手紙 11:1、コリントの信徒への手紙二 5:7、ローマの信徒への手紙 8:24-25、イザヤ書 7:9、ヨハネの黙示録 1:3、22:7)

講話 13 – 65

気づき

神が“命”の息を吹き込まれたものは、決して死ぬことはありません。 死を信じる死者のみが、その死を葬るのです。“生けるキリスト”に、死はないのです。

(創世記 2:7、ヨハネの福音書 11:25-26、マタイによる福音書 8:22、22:32、ルカによる福音書 9:60、コリントの信徒への手紙一 15:54、ローマ人への手紙 6:8、8:11、エゼキエル書 37:5、イザヤ書 25:8、ヨハネの黙示録 1:18)

講話 13 – 66

気づき

もしあなたたちが、目を内側に向け、“わたし”が今見ているものを、“わたし”の目を通じて見ることができるならば、あなたたちの理解は一層深まるのです。

(マタイによる福音書 6:22-23、マルコによる福音書 8:18、ルカによる福音書 24:31、エフェソの信徒への手紙 1:18、コリントの信徒への手紙一 13:12、コリントの信徒への手紙二 4:18、フィリピの信徒への手紙 2:5-8、詩編 119:18、イザヤ書 55:8-9、ヨハネの黙示録 3:18)

講話 13 – 67

気づき

そうです。神の“生けるキリスト”という新たな悟りによって、あなたたちの目は見、耳は聞くことになるのです。

(マタイによる福音書 13:16-17、ルカによる福音書 8:10、24:31-32、ヨハネによる福音書 14:9、マルコによる福音書 4:9、コリントの信徒への手紙二 3:18、エフェソの信徒への手紙 1:17-18、イザヤ書 6:1、35:5、42:6-7、詩篇 27:4、ヨハネの黙示録 2:7、3:22)

講話 13 – 68

気づき

倦(う)み、疲れた者は、これまでに決して得られなかった安息を、味わうことになるのです。

(ヨハネによる福音書 7:37-38、10:9-10、14:27、15:4-5、16:33、マタイによる福音書 11:28-30、マルコによる福音書 6:31、ルカによる福音書 10:39-42、ヘブライ人への手紙 4:9-11、エレミヤ書 31:25、ハバクク書 2:20、イザヤ書 30:15、40:29-31、詩編 23:1-3、46:10、62:1、ヨハネの黙示録 14:13、21:4)

講話 13 – 69

気づき

地上で苦しみ、彼らのゲッセマネの門を通過した人びとの中には、年老い、衰弱した、地上にいたときの自分の状態を、そのまま記憶している者もいるでしょう。しかし、そうした記憶は、捨てなければならない、心の中のイメージにすぎないことに気づくでしょう。それでもなお、魂にはしばらく、傷跡が残っています。彼らは深い眠りに入り、魂は眠り、やがて、“キリストの実在”の中に、目覚めます。彼らは若返り、記憶に傷をつけた、すべての状態から解放されるのです。

(マタイによる福音書 11:28-30、ヨハネによる福音書 11:25、ルカによる福音書 16:25、コリントの信徒への手紙二 4:16-17、5:8、フィリピの信徒への手紙 3:20-21、イザヤ書 25:8、65:17、詩編 16:11、30:5、ヨハネの黙示録 7:16-17、14:13、21:4)

講話 13 – 70

気づき

しかし、もし彼らが望むならば、自分が誰であったかを地上の人びとに示すために、生前の状況を、再現することもできたのです。しかし、内なる世界に戻るやいなや、彼らは直ちにそうした状態は捨て去り、“キリスト”の実現、すなわち、“神の完全さ”の実現の中に生きるのです。

(ヨハネの福音書 14:2、17:22-23、マルコによる福音書 9:2-3、マタイによる福音書 17:2、ルカによる福音書 24:31、コリントの信徒への手紙一 15:49、コリントの信徒への手紙二 5:1-8、フィリピの信徒への手紙 3:20-21、コロサイの信徒への手紙 3:3-4、ヨハネの黙示録 1:13-15、22:3-4)