講話 13 – 41

気づき

ほとんどの人は、死という体験を恐れます。しかし、この体験を通過してしまうと、自分は生きて呼吸をしており、しかも、以前よりも生き生きと呼吸をしている魂であることに気づきます。呼吸をしているのは魂であり、肉体ではないからです。

(ヨハネによる福音書 11:25-26、14:2-3、ルカによる福音書 20:37-38、23:43、マタイによる福音書 17:1-3、22:31-32、マルコによる福音書 12:26-27、フィリピの信徒への手紙 1:21-23、コリントの信徒への手紙二 5:6-8、詩編 16:11、ヨハネの黙示録 14:13、21:4)

講話 13 – 42

気づき

死は、神の中で成長し、花を咲かせる“キリスト”の、より大きな展開への入口に過ぎません。生前よりも生き生きとした魂として、自分が生きていることに気づくとき、それは、あなたたちを圧倒します。そのとき、ただ一つ願うことは、愛する人びとのところに戻り、自分が発見した栄光のすばらしい真実を、伝えたいということなのです。

(ヨハネによる福音書 11:25-26、ルカによる福音書 24:5-6、フィリピの信徒への手紙 1:21-23、コリントの信徒への手紙一 15:42-44、コリントの信徒への手紙二 5:8、詩編 16:11、ヨハネの黙示録 21:4)

講話 13 – 43

気づき

多くの人びとが、あなたたちのもとに戻ってきたのですが、あなたたちの耳は聞こえず、目は見えません。すべての人が同じ経験をしなければなりません。すでに死と呼ばれる体験をした人にとっては、これは喜びなのです。この喜びは、すべての人が経験するものであり、死すべき肉体感覚の理解を超えたものなのです。

(ルカによる福音書 16:19-31、ヨハネによる福音書 12:40、14:2,17、マルコによる福音書 4:11-12、コリントの信徒への手紙一 2:9-10、コリントの信徒への手紙二 5:8、フィリピの信徒への手紙 1:23、イザヤ書 65:17、詩編 16:11、34:8、49:15、73:24、115:17-18、119:18、ヨハネの黙示録 14:13)

講話 13 – 44

気づき

あなたたちは、“命”の自由・解脱というものを、よりいっそう意識するようになります。魂は、肉体を超えて呼吸するからです。

(ヨハネによる福音書 3:3、6:63、8:36、マタイによる福音書 10:28、16:25、ルカによる福音書 12:4-5、23:46、マルコによる福音書 8:36-37、ローマの信徒への手紙 8:2、コリントの信徒への手紙二 3:17、5:8、ガラテヤの信徒への手紙 5:1、詩編 51:10、119:45、ヨハネの黙示録 21:4)

講話 13 – 45

気づき

体は、“霊の神殿”です。“霊の命”は、永遠です。あなたたちは、自分が真実だと思ったことが、すべて現実になることに気づくでしょう。

(ヨハネによる福音書 3:16、14:16-17、ルカによる福音書 17:21、マタイによる福音書 26:41、コリントの信徒への手紙一 3:16、6:19、コリントの信徒への手紙二 5:1、ローマの信徒への手紙8:9-11、詩編 139:13-14、ヨハネの黙示録 3:12、21:3)

講話 13 – 46

気づき

あなたたちは、心の中で愛する人たちと再会し、顔と顔を合わせ、理解し合う経験を、思い描いてきました。真実を告げますが、それは、本当に実現するのです。あなたたちを傷つけた人たちや、あなたたちの無智から傷つけてしまった人たちでさえ、あなたたちと再会することを心から喜ぶでしょう。

(ヨハネによる福音書 14:2、マタイによる福音書 5:23-24,44、18:21-22、マルコによる福音書 11:25、ルカによる福音書 6:27-28,35-36、15:7,20-24、23:34、コリントの信徒への手紙一 13:12、テサロニケの信徒への手紙一 4:17、エフェソの信徒への手紙 4:32、イザヤ書 65:17、詩編 30:5、51:10-12、85:10-11、103:8-12、133:1、147:3、ヨハネの黙示録 21:3-4)

講話 13 – 47

気づき

これは永遠なる“霊の法則”であり、“キリスト”の展開です。意識が、この内なる“命”を自覚するにつれて、意識の中に、ある変化が生じます。そして、憎しみは、すべて消えてしまいます。地上にいる間に、このことを理解しておくことが、賢明なことです。

(ヨハネによる福音書 3:3、マタイによる福音書 5:8、18:21-22、マルコによる福音書 12:30-31、ルカによる福音書 6:27-28、10:27、ローマの信徒への手紙 8:2,6、12:2、ガラテヤの信徒への手紙 5:22-23、エフェソの信徒への手紙 4:22-24、コロサイの信徒への手紙 3:10-11、ヨハネの手紙一 4:7-8、イザヤ書 11:6-9、詩篇 19:14、37:8、51:10、103:2-5、119:165、139:23-24、ヨハネの黙示録 21:4)

講話 13 – 48

気づき

無智に生まれ、無智に終わる人びともいます。しかしもはや、そのような運命を辿る必要はないのです。霧は去り、“神のキリスト”(the Christ of God)の美しさだけが残るのです。

(ヨハネによる福音書 1:5、8:12,32、ルカによる福音書 1:78-79、2:30-32、マタイによる福音書 4:16、11:28-30、13:16-17、エフェソの信徒への手紙 5:8,14、コリントの信徒への手紙二 3:16-18、4:6、コロサイの信徒への手紙 1:13、ローマの信徒への手紙 13:12、イザヤ書 60:1、詩篇 18:28、27:1、36:9、43:3、119:18,105、ヨハネの黙示録 22:5)

講話 13 – 49

気づき

“わたし”が、“神のキリスト”について語るとき、あなたたちが、“キリスト”の意味を理解し始めていることがわかります。“神のキリスト”とは、大いなる“神聖な神の人”(Divine Man of God)を指しているのです。“キリスト”は、すべての人びとの魂を内包している、“地上の神人”です。体の中に細胞が存在しているように、あなたたち一人ひとりも、“神のキリスト”の中に存在しています。“神の種”は、あなたたちの内にあり、必ず成長し、成熟するのです。

(ヨハネによる福音書 15:5、マタイによる福音書 5:14、13:31-32、マルコによる福音書 4:26-29、ルカによる福音書 8:11、17:21、コリントの信徒への手紙一 12:12-13、ガラテヤの信徒への手紙 3:28、エフェソの信徒への手紙 4:4,15-16、コロサイの信徒への手紙 1:27、フィリピの信徒への手紙 2:5-7、イザヤ書 6:5、詩編 1:1-3、92:12-14、104:14-15、127:3、139:13-14、ヨハネの黙示録 3:12)

講話 13 – 50

気づき

ぼんやりと真実であろうと考えていたことが、“現実”になったとき、これ以上の喜びはありません。何も失うことなく、すべてが、新たな理解とともに得られた、と感じることができるのです。

(ヨハネによる福音書 16:22、マタイによる福音書 13:44、14:27、コリントの信徒への手紙一13:12、コリントの信徒への手紙二 5:1、フィリピの信徒への手紙 3:8、ローマの信徒への手紙 8:18、コロサイの信徒への手紙 1:26-27、フィリピの信徒への手紙 3:8、詩編 16:11、30:5、34:8、73:24-26、126:5-6、ヨハネの黙示録 21:3-4、22:1-2,5)