講話 13 – 21
気づき目を開きなさい、そして、至る所に、神が遍在されているのを見なさい。一人ひとりが、“愛”によって脈動している“唯一”のハートと一体であると感じるにつれて、この“神の意識”は、地球全体に広がっていきます。
(ヨハネによる福音書 14:20、マタイによる福音書 18:20、ルカによる福音書 17:21、コリントの信徒への手紙一 3:16、コリントの信徒への手紙二 3:18、エフェソの信徒への手紙 4:4-6、使徒言行録 17:27-28、コロサイの信徒への手紙 3:11、ダニエル書 2:20-22、エレミヤ書 23:23-24、イザヤ書 6:3、詩編 19:1-4、139:7-10、ヨハネの黙示録 21:3)
講話 13 – 22
気づき“神のハート”の中に、永遠の“愛”があります。“キリスト”は、“神のハート”と一体です。この“キリスト”が、“人類の救い主”なのです。
(ヨハネの手紙一 4:8、ヨハネによる福音書 3:16、14:6、マタイによる福音書 1:21、11:28-30、ルカによる福音書 19:10、コリントの信徒への手紙二 5:19、エフェソの信徒への手紙 3:17-19、コロサイの信徒への手紙 1:15-20、イザヤ書 53:5、詩編 103:17-18、139:7-8、ヨハネの黙示録 1:5-6、5:9)
講話 13 – 23
気づき世の創造においては、唯一人、“キリスト”のみがおられました。全てものは、“キリスト”によって存在しています。創られたもので、“キリスト”によらないで創られたものは、何一つありません。あなたたちは、“キリスト”によって“存在”するようになったのです。この御方が、“御子”であり、神の“独り子”であり、“唯一のキリスト”であり、あなたたちが、この御方の中で活動し、“存在”している、大いなる“神の人”なのです。そして、この御方は、あなたたち一人ひとりの中でも活動されているのです。
(ヨハネによる福音書 1:1-3、マタイによる福音書 28:18、ルカによる福音書 10:22、コロサイの信徒への手紙 1:16-17、使徒言行録 17:28、ヘブライ人への手紙 1:2-3、創世記 1:1、詩編 33:6、ヨハネの黙示録 1:8、3:14、4:11)
講話 13 – 24
気づきこの“神聖なるキリスト”(Divine Christ)は、“父”の意識の現れです。“キリスト”は、万生万物を意識しています。“キリスト”は創造力を意識し、世のありとあらゆるすべてを意識しています。一人ひとりすべての人の中で、ご自身を意識しています。“キリスト”には、どんな分離も存在しないのです。
(ヨハネによる福音書 1:1-3,14、10:30、マルコによる福音書 13:31、マタイによる福音書 11:27、28:18-20、ルカによる福音書 10:22、17:21、コロサイの信徒への手紙 1:15-17、エフェソの信徒への手紙 1:22-23、フィリピの信徒への手紙 2:6-7、ヘブライ人への手紙 1:3、イザヤ書 9:6、詩編 139:7-8、ヨハネの黙示録 1:8、22:13)
講話 13 – 25
気づきあなたたち一人ひとり全員の中におられる、この聖なる“神の人”について考えてみなさい。この御方は、男性であり、女性であり、ご自身において完全なのです。
(ガラテヤの信徒への手紙 3:28、コリントの信徒への手紙一 11:11-12、エフェソの信徒への手紙 2:14-15、5:30-32、コロサイの信徒への手紙 3:10-11、コリントの信徒への手紙二 5:17、ヨハネによる福音書 14:20、マタイによる福音書 19:4-6、マルコによる福音書 10:6-9、ルカによる福音書 20:34-36、創世記 1:27、イザヤ書 54:5、ヨハネの黙示録 21:3-4、22:13)
講話 13 – 26
気づきあなたたちが、“わたし”を本当に知るためには、分離にという誤った信念や信仰、憎しみを生み出す信念、 “わたし”に基盤のない信念や信仰、これらすべてを、自分自身の中からきれいさっぱりと、取り除かなければなりません。
(ヨハネの手紙一 4:20、ヨハネによる福音書 8:32、17:21、マルコによる福音書 11:25、マタイによる福音書 5:43-44、6:14-15、ルカによる福音書 6:37、17:3-4、コリントの信徒への手紙二 10:5、エフェソの信徒への手紙 4:2-3,22-24、ローマの信徒への手紙 12:18、イザヤ書 1:16-18、詩編 34:14、ヨハネの黙示録 7:9-10、21:3-4)
講話 13 – 27
気づきあなたたちや“わたし”の中に、今、現れている、唯一の永遠に生きる“霊の真理”(the Truth of the one Eternal Living Spirit)を悟るとき、分離の信仰を持つことはできないのです。兄弟姉妹から引き離す信仰に、あなたたちは、今、従うことができるでしょうか。
(ヨハネによる福音書 17:21、マタイによる福音書 5:9、12:25、マルコによる福音書 3:24-25、ルカによる福音書 11:17、17:21、エフェソの信徒への手紙 4:4-6、コリントの信徒への手紙一 12:12-13、ガラテヤの信徒への手紙 3:28、エゼキエル書 37:22、詩編 133:1、ヨハネの黙示録 7:9-10、21:3)
講話 13 – 28
気づき地上での人生に、執着しすぎてはいけません。それは、内なる“キリスト”が成長するための準備段階にすぎないのです。
(マタイによる福音書 6:19-21、16:24-26、マルコによる福音書 8:34-36、ルカによる福音書 12:15-21、ヨハネによる福音書 12:25、フィリピの信徒への手紙 3:20-21、コロサイの信徒への手紙 3:2-3、コリントの信徒への手紙二 5:1、ヤコブの手紙 4:4、ペトロの手紙一 1:3-4、コヘレトの言葉 1:2-4、5:15-16、箴言 11:4、23:4-5、詩編 39:4-5、49:16-17、ヨハネの黙示録 3:17-18)
講話 13 – 29
気づき多くの人びとが、地上での生活と、そこに存在しているさまざまな物事に、強く執着しすぎています。
(マタイによる福音書 6:19-21、16:24-26、マルコによる福音書 8:34-36、ルカによる福音書 12:15-21、ヨハネによる福音書 12:25、フィリピの信徒への手紙 3:20-21、コロサイの信徒への手紙 3:2-3、コリントの信徒への手紙二 5:1、ヤコブの手紙 4:4、ペトロの手紙一 1:3-4、コヘレトの言葉 1:2-4、5:15-16、箴言 11:4、23:4-5、詩編 39:4-5、49:16-17、ヨハネの黙示録 3:17-18)
講話 13 – 30
気づきこれらの物事は、賢明に活用しながらも、執着せず、執着されてもいけません。それらはあなたたちの成長のため、より大いなる悟り、強さ、力、栄光へと続く道を、整えるために用いられるべきものなのです。
(マタイによる福音書 6:19-21、ルカによる福音書 12:33-34、フィリピの信徒への手紙 4:12-13、コリントの信徒への手紙二 4:17-18、テモテへの手紙一 6:17-19、ヤコブの手紙 1:9-11、箴言 30:8-9、詩編 39:5、ヨハネの黙示録 3:17-18、18:14-17、21:6-7)