講話 12 – 11
気づきあなたたちの意識が、“わたし”の“無限の本質”に気づき、その“無限の本質”が自己の内にも存在することを悟ったとき、あなたたちは、“わたし”と同じように、心の内から「“わたし”と“父”は一つである」と言うことができるのです。“実在の源”(the Source of Being)を認識し、この同じ“源”がすべての存在の中にあることを知り、“父”の本質である内なる領域に入ります。かくて、“わたし”はあなたたちの中で、あなたたちを通して働くのです。
(マタイによる福音書 5:48、マルコによる福音書 10:27、11:22-23、12:29-30、ルカによる福音書 10:22、17:21、ヨハネによる福音書 10:30、14:10-11,23、17:21、使徒言行録 17:28、ローマの信徒への手紙 8:10-11、コリントの信徒への手紙一 3:16、6:17、コリントの信徒への手紙二 4:6-7、13:5、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、エフェソの信徒への手紙 3:17、 4:6、フィリピの信徒への手紙 2:13、コロサイの信徒への手紙 1:27、イザヤ書 43:7、エレミヤ書 31:33、箴言 8:35、20:27、詩編 36:10、139:7-10、ヨハネの黙示録 3:21、21:3、22:1-2)
講話 12 – 12
気づき“わたし” の思い、 “わたし” の言葉は、今まさに、あなたたちの魂の奥深くに響き、傾聴を求めています。これらの言葉はあなたたち自身の一部となり、ついには、あなたたちの人生、生活の中に現れ、平和と調和、そして喜びをもたらすのです。
(マタイによる福音書 13:23、マルコによる福音書 4:20、ルカによる福音書 8:15、11:28、ヨハネによる福音書 1:1、6:63、14:27、15:7、使徒言行録 20:32、ローマの信徒への手紙 10:8,17、コリントの信徒への手紙一 2:13、コリントの信徒への手紙二 3:3,6、ガラテヤの信徒への手紙 4:6、5:22、エフェソの信徒への手紙 4:21-24、5:9、フィリピの信徒への手紙 4:7、コロサイの信徒への手紙 3:16、ヘブライ人への手紙 4:12、イザヤ書 55:10-11、箴言 4:20-22、詩編 119:11,105,130、ヨハネの黙示録 1:3、3:20、22:7)
講話 12 – 13
気づき頑なな信念、硬直した信仰のために、あなたたちの心の中には、あまりにも多くの“キリスト力”(the Christ Force)が、自ら現れることができないままになっています。
(マタイによる福音書 13:15,58、23:4、マルコによる福音書 6:5-6、7:7-8,13、ルカによる福音書 5:39、8:50、11:52、ヨハネによる福音書 5:39-44、8:32、使徒言行録 7:51、ローマの信徒への手紙 6:16、10:3、12:2、コリントの信徒への手紙一 1:23-24、2:14、コリントの信徒への手紙二 3:14-17、ガラテヤの信徒への手紙 5:1、エフェソの信徒への手紙 3:20、4:18,22-24、フィリピの信徒への手紙 2:13、コロサイの信徒への手紙 2:8、申命記 29:29、イザヤ書 43:19、66:2、箴言 3:5-6、詩編 51:10,12-13、95:8、119:34、ヨハネの黙示録 2:4-5、3:20、13:16-17)
講話 12 – 14
気づき信念に凝り固まった心を見れば、その人がいかに束縛されているかが、すぐにわかります。これこそが、“キリスト”が世に現れることを妨げている無智であり、分裂や対立の原因となっているのです。
(マタイによる福音書 15:8-9、23:13、マルコによる福音書 7:6-8,13、ルカによる福音書 5:37-39、11:52、ヨハネによる福音書 5:44、8:32,44、9:39-41、使徒言行録 7:51、28:26-27、ローマの信徒への手紙 10:2-3、12:2、16:17、コリントの信徒への手紙一 1:10、2:14、3:3、コリントの信徒への手紙二 3:14-17、4:4、ガラテヤの信徒への手紙 5:1,20-21、エフェソの信徒への手紙 4:17-18、フィリピの信徒への手紙 2:2-3、テモテへの手紙二 2:23、ヨハネの手紙一 2:11、イザヤ書 29:13-14、66:2、箴言 14:12、29:1、詩編 51:10、81:12-13、ヨハネの黙示録 2:4-5、3:17,20、22:18-19)
講話 12 – 15
気づきこれは、なんと、真実なことでしょうか!幼い頃でさえ、制約された信念が詰め込まれた子供は、やがて、そうした信念が内なる“キリスト”を覆い隠したまま成人へと成長していきます。そして、その魂が、自らの内にある“力”に目覚め、それを認識するときまでは、真の自由を得ることはできないのです。しかし、制約された信念や他人の考えを捨て去り、それらに縛られなくなったとき、初めて魂は自由になることができます。そして、初めにあった“言葉”を、自由に表現することができるようになるのです。
(マタイによる福音書 18:3、マルコによる福音書 4:19、7:8、10:15、ルカによる福音書 8:14-15、11:52、18:17、ヨハネによる福音書 1:1-4、8:32、使徒言行録 3:19、26:18、ローマの信徒への手紙 12:2、コリントの信徒への手紙一 2:12、14:20、コリントの信徒への手紙二 3:14-18、ガラテヤの信徒への手紙 5:1、エフェソの信徒への手紙 4:18,22-24、フィリピの信徒への手紙 2:13、3:13-14、コロサイの信徒への手紙 3:10、イザヤ書 43:19、66:2、箴言 3:5-6、詩編 51:10-13、119:45、黙示録 3:20、21:7、22:17)
講話 12 – 16
気づき“わたし”が世にやってきたのは、すべての人びとを、束縛の鎖から解き放つためでした。ただ“父”のみを見上げなさい。ただ“父”によってのみ、あなたたちは、真に自由になることができるのです。あなたたち自身の内なる“父”のみが、唯一の権威なのです、他に権威はないのです。
(マタイによる福音書 11:28-30、23:8-10、マルコによる福音書 7:7-8、10:45、ルカによる福音書 4:18、13:16、ヨハネによる福音書 8:36、10:9、14:6、使徒言行録 4:12、5:29、ローマの信徒への手紙 6:22、8:2、コリントの信徒への手紙一 7:23、コリントの信徒への手紙二 3:17、ガラテヤの信徒への手紙 5:1、エフェソの信徒への手紙 4:6、フィリピの信徒への手紙 2:13、コロサイの信徒への手紙 1:13-14、イザヤ書 61:1、エレミヤ書 31:31、箴言 3:5-6、詩編 146:7-8、ヨハネの黙示録 1:5、3:7-8,20)
講話 12 – 17
気づき花々が内に隠れた力によって開花するように、人の魂も、内なる“キリストの命”によって開くのです。あなたたちの限定された心の働き(mental processes)によって、それを妨げてはならないのです。
(マタイによる福音書 6:28-29、13:31-32、マルコによる福音書 4:26-29、ルカによる福音書 8:11-15、13:19、ヨハネによる福音書 1:4、7:38、15:5、使徒言行録 17:28、ローマの信徒への手紙 8:11、コリントの信徒への手紙一 3:7、コリントの信徒への手紙二 3:5,17-18、4:16、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、エフェソの信徒への手紙 2:10、3:16-17、フィリピの信徒への手紙 1:6、2:13、コロサイの信徒への手紙 1:27、イザヤ書 40:31、43:19、61:11、箴言 4:23、詩編 1:3、51:12-13、92:13-15、ヨハネの黙示録 3:20、21:6、22:1-2,17)
講話 12 – 18
気づきわかるだけならば、なんとたやすいことか、しかし、凝り固まった信念によって盲目になっている人びとにとっては、その束縛を解き放つことは、なんと難しいことか! 彼らは自由を求め、もがきながら、彼ら自身の考えや信念によって縛られているのです。
(マタイによる福音書 15:8-9,14、マルコによる福音書 7:6-8、ルカによる福音書 4:18、6:39、11:52、ヨハネによる福音書 5:44、8:32-34、9:39-41、使徒言行録 7:51、26:17-18、ローマの信徒への手紙 1:21-22、7:15、12:2、コリントの信徒への手紙一 2:14、コリントの信徒への手紙二 3:14-17、4:4、ガラテヤの信徒への手紙 5:1、エフェソの信徒への手紙 4:17-18、フィリピの信徒への手紙 2:3、3:19、コロサイの信徒への手紙 2:8、イザヤ書 29:13-14、66:2、箴言 14:12、29:1、詩編 51:10、81:12-13、146:8、ヨハネの黙示録 3:17-18、13:10、18:4)
講話 12 – 19
気づきこれらすべての制約された信念や信仰が、世界中の人びとの心から取り除かれたとき、世界は、真に“キリストの命”を現すようになるのです。
(マタイによる福音書 5:8、6:10、18:3、マルコによる福音書 1:15、10:15、16:15-16、ルカによる福音書 9:23-24、17:21、ヨハネによる福音書 8:32、14:6、17:21-23、使徒言行録 2:17、3:19-20、ローマの信徒への手紙 12:2、コリントの信徒への手紙一 12:13、15:22、コリントの信徒への手紙二 3:17-18、5:17、ガラテヤの信徒への手紙 3:28、5:1、エフェソの信徒への手紙 4:13,22-24、フィリピの信徒への手紙 2:2,5、コロサイの信徒への手紙 3:10-11、イザヤ書 11:6-9、ミカ書 4:3-4、箴言 3:5-6、4:23、詩編 51:12、133:1、ヨハネの黙示録 7:9-10、21:3-5)
講話 12 – 20
気づき地上を越えてきたすべてのあなたたちは、地上での人生を経験しており、硬直した信念や信仰を脱ぎ捨てることが、どれほど難しかったかを知っています。今もなお、それらにしがみつきながら、自由を求め、あがいている人もいます。しかし、あなたたちが徐々に心を開いていくにつれて、実は、“信じる”というようなものは最初からなく、ただ“知る”こと ―― すなわち、「神を知る」こと、神には一切の分離はない、これだけがあったのだと気づくようになります。
(マタイによる福音書 7:7-8、11:28-29、18:3、マルコによる福音書 4:13-14、7:8、8:17-18、ルカによる福音書 17:21、18:34、24:25-27、ヨハネによる福音書 8:32、14:6、17:3,21-23、使徒言行録 17:27-28、ローマの信徒への手紙 8:15,18-19、12:2、コリントの信徒への第一の手紙 2:12、13:12、コリントの信徒への手紙二 3:16-17、ガラテヤの信徒への手紙 4:9、5:1、エフェソの信徒への手紙 2:18、4:13、フィリピの信徒への手紙 2:2、3:10、コロサイの信徒への手紙 3:11、ヨハネの手紙一 3:2、イザヤ書 6:5、43:19、箴言 4:23、9:10、詩編 46:11、73:25、133:1、ヨハネの黙示録 3:17-18、21:3-4、22:4)