講話 12 – 111

気づき

“わたしの父”は完全です。誰一人として、失われることはありません。すべての者が探し出され、群れに連れ戻され、群れは完全となり、喜びに満ちるのです。これこそが、“神の御心”、すなわち、一人ひとりすべての人に対する“愛”をもって、完全なる“幸福と安らぎ”をもたらすのです。

(ルカによる福音書 15:4-7、19:10、マタイによる福音書 18:12-14、ヨハネによる福音書 10:14-16,28-29、ローマの信徒への手紙 8:38-39、イザヤ書 40:11、詩編 23:1-6、ヨハネの黙示録 7:17、21:3-4)

講話 12 – 112

気づき

この“平安”は、必ずやって来ます。すでに、そのように定められているからです。

(ヨハネによる福音書 14:27、ルカによる福音書 2:14、19:38、エフェソの信徒への手紙 2:14、フィリピの信徒への手紙 4:7、ローマの信徒への手紙 5:1、16:20、イザヤ書 2:4、9:6-7、エレミヤ書 29:11、ヨハネの黙示録 21:1-4、22:3-5)

講話 12 – 113

気づき

“父”のこの世界に対する構想は、完全であり、何一つ欠けているものはありません。“神の霊”が、あなたたちの中に、“キリスト”として人格化されているので、“キリスト”は、“父”によって創造された栄光の中に君臨されるのです。

(ヨハネによる福音書 1:1-3,14、マルコによる福音書 16:19、ルカによる福音書 1:32-33、17:21、フィリピの信徒への手紙 2:9-11、コロサイの信徒への手紙 1:15-18、エフェソの信徒への手紙 1:3-4,20-23、イザヤ書 9:6-7、詩編 2:6-8、ヨハネの黙示録 5:12-13、11:15)

講話 12 – 114

気づき

多くの人びとが、物質は、物質自体として実在である、という誤った考えに固執したまま地上を去りました。長い間、慣れ親しんだこの感覚・信念(sense-belief)は、多くの、敬虔で、高貴な魂の進歩を遅らせてきました。彼らは、いまだに、物質的な感覚を現実のものとして、生き続けているのです。

(マルコによる福音書 8:36、ルカによる福音書 12:15、16:13、ローマの信徒への手紙 8:5-6、コリントの信徒への手紙一 2:4-5、コリントの信徒への手紙二 4:18、マタイによる福音書 6:19-21、ガラテヤの信徒への手紙 6:8、フィリピの信徒への手紙 3:19、コレヘトの言葉 1:14、イザヤ書 40:6-8、詩編 39:6、ヨハネの黙示録 3:17-18、18:11-14)

講話 12 – 115

気づき

覚えておきなさい。あなたたちが見ているものは、“実在”ではありません。それらは、内なるものの反映にすぎません。表面に見えているものは変化し、過ぎ去り、無に帰していきます。しかし、“真実”なるものは、永遠に残り続けるのです。

(コリントの信徒への手紙二 4:18、ヘブライ人への手紙 11:1-3、ヨハネによる福音書 1:1、6:27、8:24,28,58、13:19、14:6、18:5-6、マタイによる福音書 24:35、マルコによる福音書 13:31、ルカによる福音書 12:33-34、ペトロの手紙一 1:25、ローマの信徒への手紙 8:24-25、イザヤ書 40:7-8、コレヘトの言葉 1:2-4、詩編 39:6、ヨハネの黙示録 1:8、21:6、22:13)

講話 12 – 116

気づき

物質的なものを、実在と見なしてはいけません。それらは、目に見えないものの反映でしかありません。多くの人びとが、物質の堅固さやリアリティーを信じたまま、内なる領域に入ってきています。

(コリントの信徒への手紙二 4:18、ヘブライ人への手紙 11:1-3、ローマの信徒への手紙 8:24-25、ヨハネによる福音書 1:1、6:63、マルコによる福音書 8:36-37、ルカによる福音書 16:13、イザヤ書 40:6-8、詩編 39:6、73:25-26、ヨハネの黙示録 3:17-18、18:11-14)

講話 12 – 117

気づき

彼らは高貴な魂でありながらも、“キリスト”を信じながら、“キリスト”の中で眠り、“キリストの力”や、“キリストの命”による、自由に目覚めていません。これらの高貴な魂は、彼らの束縛された信念や信仰によって妨げられ、物事の真の本質を理解していないのです。

(エフェソの信徒への手紙 5:14、コリントの信徒への手紙一 2:14、ローマの信徒への手紙 12:2、13:11、コリントの信徒への手紙二 3:14-16、4:18、ヘブライ人への手紙 11:1、ヨハネによる福音書 3:3、マタイによる福音書 6:19-21、マルコによる福音書 4:12、ルカによる福音書 8:10、24:25、イザヤ書 6:1、29:10-11、ホセア書 4:6、ヨハネの黙示録 3:1-2,15-17)

講話 12 – 118

気づき

そのために、彼らのために用意されている、より高次な体験へと展開していくことが、阻まれてしまっているのです。

(ヘブライ人への手紙 5:12-14、フィリピの信徒への手紙 3:13-14、コリントの信徒への手紙一 3:1-2、コリントの信徒への手紙二 3:14-16、エフェソの信徒への手紙 4:14-15、マルコによる福音書 4:18-19、ルカによる福音書 8:14、9:62、イザヤ書 6:10、詩編 119:105、箴言 4:18、ヨハネの黙示録 3:2,15-16)

講話 12 – 119

気づき

唯一の実体は、神なのです。ありとあらゆるすべてが、“神の想念”(Mind)であり、“神の創造”なのです。目に見えるものは、神の思考の反映に過ぎず、真実の恒久的な存在は、神の“永遠の実在”の中に、永久に根付いているのです。

(コロサイの信徒への手紙 1:16-17、ヘブライ人への手紙 11:3、ヨハネによる福音書 1:1-3、マルコによる福音書 12:29、ルカによる福音書 1:37、12:6-7、コリントの信徒への手紙二 4:18、創世記 1:1、箴言 3:19-20、8:22-31、16:4、30:4、詩編 33:6、ヨハネの黙示録 4:11、21:6)

講話 12 – 120

気づき

これらのことが、あなたたち自身の意識の中で、現実のものとなるまで、深く、沈思黙考(deep contemplation)、観想、黙想、瞑想を行いなさい。

(マタイによる福音書 6:6,23、ヨハネによる福音書 14:6,27、15:7、マルコによる福音書 4:24、ルカによる福音書 8:18、17:21、フィリピの信徒への手紙 4:8、コリントの信徒への手紙二 3:18、コロサイの信徒への手紙 3:2、ローマの信徒への手紙 12:2、テモテへの手紙一 4:15、テサロニケの信徒への手紙一 5:17、ヨシュア記 1:8、ハバクク書 2:20、箴言 4:23、詩編 1:2、42:1、46:10、ヨハネの黙示録 1:3、22:7)