講話 12 – 91

気づき

過去のすべての記憶は洗い流され、それらの経験によって、“神の愛”を知るようになるのです。心は、“父の愛”の美しさに歓喜し、魂は、すべての栄光によって、花開くのです。

(ヨハネによる福音書 14:6、マタイによる福音書 3:2,8、マルコによる福音書 2:21-22、11:25、ルカによる福音書 15:17-19,24、24:32、フィリピの信徒への手紙 3:13-14、ローマの信徒への手紙 8:28、12:1-2、コリントの信徒への手紙二 5:7,17、13:5、エフェソの信徒への手紙 4:22-24、イザヤ書 43:18-19、コヘレトの言葉 3:17、7:2-4,20、12:13-14、箴言 3:5-6、4:26、16:2、21:2、27:19、28:13、詩編 30:11、51:10、55:6-7、73、139:23-24、ヨハネの黙示録 2:5、21:4、22:3-5)

講話 12 – 92

気づき

人の内なる“神の霊”は、“愛と幸福”という、永遠の神聖な“命”の“真理”に目覚め、ご自身の真の本質である“愛”を、喜びをもって、表現しつつあります。

(ガラテヤの信徒への手紙 5:22-23、ローマの信徒への手紙 5:5、エフェソの信徒への手紙 3:16-19、ヨハネによる福音書 15:11、ルカによる福音書 10:21、24:49、ヨハネの手紙一 4:8、イザヤ書 61:1-3、詩編 16:11、42、ヨハネの黙示録 21:6、22:1-2)

講話 12 – 93

気づき

“実存”(Being)の真理が、心の中で解き明かされるにつれて、人は、宗教という制約された形式の中にある、さまざまな隔壁を捨てるようになります。そのとき、真理は一つ、神の民は一つ、羊飼いは一人、群れは一つとなり、すべての人びとが、“わたしの声”に耳を傾けるようになるのです。

(ヨハネによる福音書 10:16、マルコによる福音書 3:24-25、12:29-31、ルカによる福音書 11:17、13:29-30、エフェソの信徒への手紙 2:14-16、4:4-6、ヨハネの手紙一 4:8、ガラテヤの信徒への手紙 3:28、コリントの信徒への手紙一 12:13、イザヤ書 2:2-4、ゼカリヤ書 8:23、14:9、ヨハネの黙示録 7:9、21:3-4)

講話 12 – 94

気づき

あなたたちを取り巻き、あなたたちに敵対しているように見える闇は、実は、“わたし”があなたたちの中で成長するための手段なのです。怖れてはなりません。“わたし”は“征服者”なのです。

(ヨハネによる福音書 16:33、マルコによる福音書 4:39-40、5:36、ルカによる福音書 1:79、10:19、ローマの信徒への手紙 8:28,37、エフェソの信徒への手紙 6:12、ペトロの手紙一 1:6-7、コリントの信徒への手紙二 1:3-4、詩編 18、23:4、27:1、イザヤ書 41:10、43:2、ヨハネの黙示録 1:17-18、17:14)

講話 12 – 95

気づき

悲しみや困難に遭遇したとしても、喜びをもって、挨拶(あいさつ)をしなさい。それらを通じ、それらを克服することによって、あなたたちは、“わたし”の中で、成長するのです。

(ヤコブの手紙 1:2-4、ローマの信徒への手紙 5:3-5、ペテロの手紙一 1:6-7、4:12-13、フィリピの信徒への手紙 4:13、マルコによる福音書 8:34-35、10:29-30、ルカによる福音書 6:22-23、9:23-24、詩編 119:71、イザヤ書 40:31、ヨブ記、ヨハネの黙示録 2:10、3:21)

講話 12 – 96

気づき

神の“考え”は、神の“言葉”です。そして“わたし”は、その“言葉”です。肉の中に生まれ、肉の中で花開き、肉を超えて成長し、“父”と共に永遠に生きます。そしてこれは、全人類の歩む道なのです。

(ヨハネによる福音書 1:1-3, 14、マルコによる福音書 8:31、14:62、ルカによる福音書 1:35、24:26、フィリピの信徒への手紙 2:6-8、コリントの信徒への手紙一 15:20-22、コロサイ書 1:15-16、ローマの信徒への手紙 6:4-5、イザヤ書 53:5、詩編 16:10、33:6、ヨハネの黙示録 19:13、22:13)

講話 12 – 97

気づき

ゆえに、常にそうであったように、“わたし”は、“実存”(Being)という最奥の次元に現れています。“わたし”の根源は、“神の永遠なる心”(the Eternal Mind of God)にあるのです。

(ヨハネによる福音書 14:10、15:5、マルコによる福音書 4:26-32、ルカによる福音書 10:21、17:20-21、コロサイの信徒への手紙 1:17、3:3、使徒言行録 17:28、エフェソの信徒への手紙 2:63:17、エレミヤ書 23:24、詩編 1:3、139:7-10、イザヤ書 40:8、ヨハネの黙示録 22:13,16)

講話 12 – 98

気づき

初めに“言葉”がありました。その“言葉”は神と共にあり、まさにその“言葉”は、神でした。そしてその “言葉”は、肉となりました。そしてその“言葉”は、肉から成長し、肉に打ち勝ち、世に打ち勝ったのです。これが、神の似姿として成長し、花を咲かせる“キリスト”です。 “キリスト”は、世に打ち勝つために世に植えられた、神の種なのです。

(ヨハネによる福音書 1:1-14、16:33、マルコによる福音書 9:31、10:45、ルカによる福音書 1:35、24:46-47、コロサイの信徒への手紙 1:15-20、コリントの信徒への手紙二 5:17、ローマの信徒への手紙 8:3-4、イザヤ書 53:5、詩編 2:7-8、22、ヨハネの黙示録 5:5-6、12:5)

講話 12 – 99

気づき

ゆえに、“わたし”は、“存在”(Being)の最奥の界層に顕現するのです。“わたし”は、死というものは、人間の限定された想いの中にしか存在しないことを、知っていました。“命”そのものは、いわゆる死というものには、影響を受けないのです。このすばらしい“永遠の命”の“真理”を、あなたたちは、いつ把握することができるのでしょうか。

(ヨハネによる福音書 5:24、11:25-26、マルコによる福音書 12:27、ルカによる福音書 20:38、23:43、コリントの信徒への手紙一 15:53-55、ローマの信徒への手紙 6:8-9、ダニエル書 12:2、ヨブ記 19:25-27、詩編 16:11、49:15、ヨハネの黙示録 1:17-18、21:4)

講話 12 – 100

気づき

いわゆる死と称される経験によって、“命”が中断されることはありません。それどころか、“霊”が紐解かれることによって、肉体による束縛から解放されるのです。

(ヨハネによる福音書 11:25-26、マルコによる福音書 12:25、13:31、ルカによる福音書 20:36、23:43、フィリピの信徒への手紙 1:21-23、ローマの信徒への手紙 8:10-11、コリントの信徒への手紙二 5:1-8、ヨブ記 19:25-27、詩編 16:11、ダニエル書 12:2-3、ヨハネの黙示録 20:6、21:4)