講話 12 – 1
気づき“聖なる想い”に満たされること、それは、あなたたちの内なる“キリスト”の、目覚めなのです。
(ガラテヤの信徒への手紙 2:20、コロサイの信徒への手紙 1:27、ローマの信徒への手紙 8:10、フィリピの信徒への手紙 2:5、コリントの信徒への手紙一 6:19、コリントの信徒への手紙二 6:16、ヨハネによる福音書 14:20,23、マルコによる福音書 13:11、ルカによる福音書 17:21、24:49、エレミヤ書 31:33、ヨハネの黙示録 3:20、21:3)
講話 12 – 2
気づき内なる“キリスト”の“強大な力”を理解している者は、ほとんどいません。内なる“キリスト”は、あなたたちの一人ひとりに現れている、“父の霊”なのです。“父”を意識し、外と内をつなぐ媒介となる、“神の言葉”に意識を向けなさい。それが、あなたたちの内なる“キリスト”なのです。
(ガラテヤの信徒への手紙 2:20、コロサイの信徒への手紙 1:27、ローマの信徒への手紙 8:10、フィリピの信徒への手紙 2:5、コリントの信徒への手紙一 6:19、コリントの信徒への手紙二 6:16、ヨハネによる福音書 14:20,23、マルコによる福音書 13:11、ルカによる福音書 17:21、24:49、エレミヤ書 31:33、ヨハネの黙示録 3:20、21:3)
講話 12 – 3
気づきあなたたちは、自己の内奥を捜せば、“父”を見出すでしょう。一方、外に目を向ければ、さまざまな反応、結果を見ることになります。この二つの違いを認識し、自己の内なる“偉大な創造力”を自覚しなければなりません。この“創造力”こそが、存在する唯一の“創造力”であり、その源を認識しながら、意識的に用いることによって、あなたたちの“人生”(生命・生活・生涯)に、完璧性がもたらされるのです。
(ルカによる福音書 17:21、マルコによる福音書 11:23-24、マタイによる福音書 6:33、ヨハネによる福音書 14:17,23、コリントの信徒への手紙一 3:16、コリントの信徒への手紙二 6:16、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、エフェソの信徒への手紙 3:16-17、ハバクク書 2:20、詩編 46:10、エレミヤ書 31:33、ヨハネの黙示録 3:20、21:3)
講話 12 – 4
気づき自分の心の中の限定された推論によって、無限への道を閉ざしてはなりません。あなたたちの理性は、物事を理解することには長けていますが、それ以上のことはできません。ゆえに、すべての限定的な信念や考えは、自分のものであれ他者のものであれ、すべて捨て去りましょう。そうすれば、無限の意識が個の意識に浸透し、理性を超越した“神の力”が溢れるのです。
(ローマの信徒への手紙 12:2、コリントの信徒への手紙一 2:14、コリントの信徒への手紙二 3:5、10:5、エフェソの信徒への手紙 3:20、フィリピの信徒への手紙 4:7、ヨハネによる福音書 3:16、マルコによる福音書 10:15、11:24、ルカによる福音書 12:12、18:27、イザヤ書 55:8-9、詩編 23:1-6、箴言 3:5-6、ヨハネの黙示録 3:20、21:3)
講話 12 – 5
気づき“神性”の本質は、推論なく、想起なく、直ちに知る(直接知)ことです。あるがままであり、自由自在です。“神性”は、“神性”自身の内に創造する力があり、無限の理解力を備えています。“神性”自身が“叡智”に満ちているため、理性を超えています。しかし、理性が“神性”について推論するとき、理性は“神性”を制約してしまいます。なぜなら、“神性”は理性を超えているからです。理性は、あなたたちの心に基づいていますが、“実在”は、あなたたちの心を超越しているからです。
(ヨハネによる福音書 1:1、16:13、コリントの信徒への手紙一 2:14、ローマの信徒への手紙 11:33-34、エフェソの信徒への手紙 3:18-19、マルコによる福音書 10:27、ルカによる福音書 1:37、18:27、イザヤ書 55:8-9、ヨブ記 28:28、箴言 3:5-6、ヨハネの黙示録 19:6、21:6、22:13)
講話 12 – 6
気づきあなたたちの理性が及ばないものについて、あなたたちは判断をすることができません。しかし、あなたたちの心の制約を取り除くことによって、受け容れる能力を拡大することができます。
(ローマの信徒への手紙 12:2、コリントの信徒への手紙一 2:14、フィリピの信徒への手紙 4:7、エフェソの信徒への手紙 3:19、ヨハネによる福音書 14:26、マルコによる福音書 10:15、ルカによる福音書 8:10、18:17、ヨブ記 11:7、イザヤ書 55:8-9、箴言 3:5-6、ヨハネの黙示録 3:20、21:6)
講話 12 – 7
気づきあなたたちの信念や信仰が、あなたたちの無限への展開を妨げています。そうした信念や信仰がなければ、あなたたちは、再び幼子のようになり、妨げられることなく、“実在”とふれ合うことができるでしょう。
(マルコによる福音書 9:37、10:15、マタイによる福音書 18:3、ルカによる福音書 10:21、18:17、ヨハネの手紙一 3:2、コリントの信徒への手紙一 13:11、ヨハネによる福音書 3:3、詩編 51:10、ヨハネの黙示録 3:20、21:7-8、22:17)
講話 12 – 8
気づき多くの人びとは、固定観念に縛られてしまっています。彼らは、他の誰かから与えられた考え以外のものは、受け容れることができません。その結果、自分自身を外の権威に委ねてしまっており、制限され、束縛され、自由ではなくなっているのです。
(ガラテヤの信徒への手紙 5:1、コロサイの信徒への手紙 2:8、コリントの信徒への手紙二 3:17、マタイによる福音書 23:4、マルコによる福音書 7:7-8、ルカによる福音書 11:52、ヨハネによる福音書 8:32、ローマの信徒への手紙 6:16、申命記 29:29、詩編 119:34、ヨハネの黙示録 13:16-17)
講話 12 – 9
気づきこれらの障害や信念、信仰こそが、今、あなたたちの中に現れている“キリスト”の、とてつもない“力”を阻んでいるのです。“キリスト”は、天においても地においても、すべての力を授かっています。これを理解すれば、“キリスト”は、本質的に無限であるため、限定的な信念や信仰は消え去るのです。“キリスト力”とは、“父”ご自身が個別化され、あなたたち一人ひとりの中で、個別に “ご自身”を表現されているのです。 “ご自身”を分離されているのではなく、計り知れない多様性を持ちながらも、すべてにおいて同一なのです。“キリスト”は、すべての人において同じだからです。
(マタイによる福音書 28:18、マルコによる福音書 16:19、ルカによる福音書 10:19、24:49、ヨハネによる福音書 1:14、14:23、15:5、コロサイの信徒への手紙 1:27、コリントの信徒への手紙二 13:5、エフェソの信徒への手紙 3:16-19、4:6、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、エレミヤ書 31:33、詩編 23:1-6、ヨハネの黙示録 1:18、5:12、22:13)
講話 12 – 10
気づき幼子のようにならなければ、“神の国”に入ることはできません。他人から与えられた考えや信仰から解放され、自由になった心でのみ、はじめて無限なるものを受け容れることができるのです。なぜなら、あなたたちの中で働いているのは、“わたし”だからです。
(マタイによる福音書18:3、マルコによる福音書 10:15、ローマの信徒への手紙 12:2、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、エフェソの信徒への手紙 3:20、コリントの信徒への手紙一 2:14、コリントの信徒への手紙二 3:5、イザヤ書 66:2、詩編 51:10、ヨハネの黙示録 2:7、3:20、21:5-7)