講話 11 – 51

気づき

悟りに基づいた信仰とは、砂の上に建てられた家のように、風や雨が吹きつけると流されてしまうような信仰ではない、ということです。

(マタイによる福音書 7:24-27、マルコによる福音書 4:16-17、ルカによる福音書6:47-49、詩編18:2-7、62:2-9、119:105、127:1、イザヤ書 28:16、箴言 10:25、ヘブライ人への手紙 1:2-3、11:1-40、ヤコブの手紙 2: 14-17、エフェソの信徒への手紙 2:20、4:14、ヨハネの手紙一 2:14、コリントの信徒への手紙一 13:12、ヨハネの黙示録 2:10)

講話 11 – 52

気づき

“真の信仰”は、悟りという岩の上に築かれます。この悟りに基づく信仰こそが、“真実”です。これは岩の上に建てられた家のように、風雨が吹き付けても、どんな攻撃があっても耐え抜きます。

(マタイによる福音書 7:24-27、マルコによる福音書 4:16-17、ルカによる福音書 6:47-49、詩編18:2-7、62:2-9、119:105、127:1、イザヤ書 28:16、箴言 10:25、ヘブライ人への手紙 1:2-3、11:1-40、ヤコブの手紙 2: 14-17、エフェソの信徒への手紙 2:20、4:14、ヨハネの手紙一 2:14、コリントの信徒への手紙一 13:12、ヨハネの黙示録 2:10)

講話 11 – 53

気づき

これが、あなたたちにもって欲しい、そして、あなたたちのもとに来る人びとに与えてほしい悟りに基づく信仰なのです。二度と渇くことのないものを飲ませなさい。“永遠の命”に至る“生ける水の泉”を与えなさい。

(ヨハネによる福音書 4:14、マルコによる福音書 9:41、ルカによる福音書 10:30-37、イザヤ書 55:1、イザヤ書 12:3、55:1-2、ヨハネの黙示録 7:17、21:6、詩編 42:2、コリントの信徒への手紙一 13:12)

講話 11 – 54

気づき

外界の事物や、さまざまな言葉によって、心を外に向け、自己を失ってはなりません。心を、常に“永遠なるもの”に向けていなさい。これこそが、叡智に基づいた確かな道なのです。

(コリントの信徒への手紙二 4:18、コロサイの信徒への手紙 3:2、ローマの信徒への手紙 12:2、マルコによる福音書 8:36、マタイによる福音書 6:19-21、ヨハネによる福音書 14:6、ルカによる福音書 12:34、17:21、ハバクク書 2:20、、箴言 3:5-6、4:23、詩編 1:1-2、23:1-6、46:10、90:12、ヤコブの手紙 1:5、ヘブライ人への手紙 11:1、ヨハネの黙示録 21:6、22:13-14,17)

講話 11 – 55

気づき

多くの人びとが、さまざまな言葉によって悩ませるでしょう。多くの人びとが、さまざまな言説をもってやって来るでしょう。その中には、わたしが語った言葉があるかも知れません。しかし彼らは、その言葉の本当の意味は理解していないために、異なった解釈をしているでしょう。しかしあなたたちが、“永遠なるもの”に心を向けるならば、それが“わたし”を理解するための確実な方法となるのです。

(ヨハネによる福音書 8:47、14:6、マルコによる福音書 4:19、ルカによる福音書 8:14、17:21、マタイによる福音書 7:24-27、コリントの信徒への手紙二 3:18、イザヤ書 55:8-9、詩編 119:105、箴言 2:6-8、4:23、ヤコブの手紙 1:5、ヨハネの黙示録 2:7)

講話 11 – 56

気づき

“わたし”の言葉を覚えようとしたり、オウム返しに繰り返したりはしないでください。それはあなたたちにとっても、あなたたちのもとに来る人びとにとっても、ほとんど価値のないことです。必要な言葉は、必要なときに与えられます。それが枯れることのない井戸であり、その水を飲むならば、あなたたちはもう二度と渇くことはないのです。

(ヨハネによる福音書 4:14、7:37、マタイによる福音書 5:6、10:19-20、マルコによる福音書 13:11、ルカによる福音書 21:14-15、イザヤ書 55:1、58:11、エレミヤ書 31:25、詩編 18:4、23:1-2、42:2、ヨハネの黙示録 21:6)

講話 11 – 57

気づき

“キリスト”を悟った一人ひとりのすべてが、“人類全体”にとっての勝利を得たのです。

講話 11 – 58

気づき

わたしは、あなたたちに、もっとたびたび祈り、もっと多く愛し、そして今、ここに与えられている栄光の機会ゆえに、“父”に感謝するようアドバイスをします。

(マタイによる福音書 22:37-39、マルコによる福音書 12:30-31、ルカによる福音書 18:1、テサロニケの信徒への手紙一 5:16-18、コリントの信徒への手紙一 13:13、コロサイの信徒への手紙 4:2、テモテへの手紙一 4:12、詩編 34:1、100:4、ヨハネの黙示録 7:12)

講話 11 – 59

気づき

“父”が望まれるままにあなたたちを導かれるよう、あなたたち自身を、“父”の御手に委ねなさい。

(ヤコブの手紙 4:7、マタイによる福音書 6:25、26:39、マルコによる福音書 14:36、ルカによる福音書 22:42、ローマ人への手紙 12:1、イザヤ書 26:3、64:8、ヨブ記 13:15、詩編 31:5、ヨハネの黙示録 3:20)

講話 11 – 60

気づき

赤子が母の腕に抱かれているように、あなたたちも“永遠なる愛の父”の腕の中に抱かれていることを感じ、“父”が喜んでなさるままに委ねなさい。そうすれば葛藤はなくなり、“神の力”があなたたちの心の内奥と想いに満たされ、あなたたちの腕は力強く、心は機敏になります。これが、あなたたちと常に共にある“キリストの力”なのです。

(マタイによる福音書 6:25、11:28-30、マルコによる福音書 14:36、ルカによる福音書 22:42、ヨハネによる福音書 14:27、ヤコブの手紙 4:7、ローマの信徒への手紙 8:28、フィリピの信徒への手紙 4:6-7、イザヤ書 26:3、41:10、詩編 23:1-4、37:5、46:10、ヨハネの黙示録 17:14)