講話 11 – 11
気づき意識の中に保持されている考えや概念は、パーソナリティを通して表現されていますが、これは“実在”ではありません。“実在”はそれ自身で完全無欠であり、純粋に、完璧に、自己を表現します。これが“神のキリスト”です。ゆえに、パーソナリティを超えたものを見なさい。
(エゼキエル書 3:26、箴言 3:5、マルコによる福音書 8:34-35、ルカによる福音書 9:23-24、17:20-21、ヨハネによる福音書 4:24、8:32、マタイによる福音書 6:22、コリントの信徒への手紙一 3:16、コリントの信徒への手紙二 5:14、ペトロの手紙一 1:23、ヨハネの黙示録 2:17、21:3-4)
講話 11 – 12
気づきわたしの考えをあなたたちに伝えるための手段として用いている兄弟(マクドナルド・ベイン氏)を、あなたたちがどれだけ愛しているか、わたしは心得ています。あなたたちの中には、彼の体が耐えられないほどのパワーが出てきたときに、悪影響があるのではないかと、心配している人もいます。けれども、真にあなたたちに言っておきますが、わたしたちも、同じように彼を愛していますし、彼に害が及ぶことがないように見守っています。ですから、安心して、すべてがうまくいっていることを知ってください。
(イザヤ書 43:2、使徒言行録 18:9-10)
講話 11 – 13
気づきあなたたちの中には、わたしから受ける力があまりにも大きく、自分の体にとって強すぎ、自分が自分の体から抜け出てしまうような感じがしている人もいます。これを防ぐためには、体を何とかしようともがくことはやめることです。そうすればそうした感覚はなくなり、“わたし”の“臨在”を完全に意識することができるようになるでしょう。
(出エジプト記 33:19-23、使徒言行録 9:3-6、マルコによる福音書 9:2-4、ルカによる福音書 9:28-36、コリントの信徒への手紙二 12:1-4,7-10、詩篇 46:10、ヨハネの黙示録 1:10-17)
講話 11 – 14
気づきわたしが、今このようなアドバイスをしているのは、わたしのパワーがとても強くなったときに、あなたたちの中には、自分自身を、自分の身体の中にとどめておくことが難しくなる方がいることが分かっているからです。けれども、“わたし”の“霊的パワー”があなたたちに害を及ぼすことはありません。
(出エジプト記 33:19-23、使徒言行録 9:3-6、マルコによる福音書 9:2-4、ルカによる福音書 9:28-36、コリントの信徒への手紙二 12:1-4,7-10、詩篇 46:10、ヨハネの黙示録 1:10-17)
講話 11 – 15
気づき今この瞬間、あなたたちはとてつもない力に満ちた“霊的存在”に囲まれています。彼らはあらゆる意識の次元からやって来ており、今あなたたちと共にいます。これらの存在は、あなたたちと同じような存在ですが、唯一の違いは、高いヴァイブレーションで現れている、ということです。彼らはとてつもない力を携えており、わたしの話を聴くために、ここに来ています。彼らの愛は、あなたたちも包み込んでいます。
(ヨハネの黙示録 5:11-12、12:7-9、ヘブライ人への手紙 1:14、詩篇 91:11-12、エフェソの信徒への手紙 6:12、ダニエル書 10:13、ルカによる福音書 22:43)
講話 11 – 16
気づきあなたたちの中には、感情が激したときに、障害をひきおこす人がいるのを、わたしは知っています。これらのヴァイブレーションは、あなたたちの感情体を振動させ、その振動は、感情体を介して肉体に作用し、その結果、あなたたちはその影響を感じます。しかし、ここでも、どこであっても、あなたたちに危害が及ぶことはありません。“わたし”が常にあなたたちと共にあるからです。
(詩篇 23:4、91:1-2、イザヤ書 41:10、ヨハネによる福音書 14:27、フィリピの信徒への手紙 4:6-7、マタイによる福音書 4:39、28:20、ルカによる福音書 8:24、コリントの信徒への手紙二 4:8-9、ペトロの手紙一 5:7、ヨハネの黙示録 1:17-18)
講話 11 – 17
気づき“神の霊”は、あなたたちの中で、“神のキリスト”として人格化しています。ゆえに、自分は“キリスト”と一体である、ということに目覚めることが“真理”への道なのです。“キリスト”と共にあることに目覚め、それを実現することは、物質界にいるあなたたちのみならず、物質界を超えたあなたたちにも求められていることなのです。
(ヨハネによる福音書 14:20、17:21-23、マルコによる福音書 10:28-31、14:21-25、ルカによる福音書 22:19-20、24:27、ローマの信徒への手紙 8:9-11、コリントの信徒への手紙二 13:5、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、エフェソの信徒への手紙 4:4-6,15、ヨハネの黙示録 3:20、21:3)
講話 11 – 18
気づきそうした認識の中で、そのときあなたたちは、“無限なる聖霊”の救いと、力と、栄光を見出すのです。 “無限なる聖霊”は、あなたたちの中で、“神のキリスト”として人格化されているのです。
(ヨハネによる福音書 1:12、14:20、マルコによる福音書 8:34-35、ルカによる福音書 9:23-24、コリントの信徒への手紙二 4:6、13:5、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、エフェソの信徒への手紙 4:15、ローマの信徒への手紙 8:9-11、コロサイの信徒への手紙 1:27、3:10、ヨハネの黙示録 21:3-4)
講話 11 – 19
気づき内なる視覚によって見つめるものは、あなたたち個人の生活の中に現れてきます。
(箴言 23:7、マタイによる福音書 6:22-23、ルカによる福音書 6:45、フィリピの信徒への手紙 4:8、ヘブライ人への手紙 11:1、ローマの信徒への手紙 12:2、コリントの信徒への手紙二 5:7、ヤコブの手紙 1:23-25)
講話 11 – 20
気づきこれには何の秘密もありません。すべての預言者たちによって語り継がれてきたことです。しかし、多くの人びとが、この“真理”を理解することができませんでした。彼らは、答えを自己の外に求めてしまったのです。
(箴言 3:5-6、エレミヤ書 29:13、31:33、ヨハネによる福音書 14:6,10、ルカによる福音書 17:21、マタイによる福音書 7:7-8、コリントの信徒への手紙一 3:16、ヘブライ人への手紙 11:6、ヤコブの手紙 1:5、ヨハネの黙示録 3:20、21:3)