講話 11 – 101
気づきそうして、“意識”は、それらの妄想を、個人の悲しみとして表現してしまうでしょう。しかし、“霊”を知り、“霊”の“力”を理解し、“父のご意志”が現れるならば、それが“キリスト”です。すなわち、すべてを一つの群れとして集める、“神の愛と叡智と力”が現れるのです。かくて、一人の羊飼いがいるようになるのです。
(ヨハネによる福音書 10:11,16、14:6、マルコによる福音書 1:15、12:30-31、ルカによる福音書 15:4-6、19:10、エフェソの信徒への手紙 4:4-6、コロサイの信徒への手紙 1:19-20、ローマの信徒への手紙 8:14、エゼキエル書 34:23、詩編 23:1-2、イザヤ書 40:11、ヨハネの黙示録 7:17、21:4)
講話 11 – 102
気づき“わたし”と共に歩む者は、“わたし”の“臨在”を感じるでしょう。なぜなら、“わたし”はあなたたちから離れていないからです。“わたし”と“父”は、あなたたちと一体なのです。
(ヨハネによる福音書 10:30、14:20、17:21-23、マルコによる福音書 8:34、ルカによる福音書 9:23、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、コリントの信徒への手紙一 6:17、ローマの信徒への手紙 8:9、詩編 23:4、イザヤ書 41:10、エレミヤ書 31:33、ヨハネの黙示録 3:20、21:3)
講話 11 – 103
気づきそうです、あなたたちが“わたし”に頼るとき、“わたし”は、あなたたちを失望させることはありません。あなたたちにとって良いものは、すべて、“わたし”を通して、あなたたちにもたらされるのです。
(ヨハネによる福音書 14:13-14、16:23、マタイによる福音書 7:7、マルコによる福音書 10:27、11:24、ルカによる福音書 11:9-10、12:32、フィリピの信徒への手紙 4:19、詩編 23:1、34:4、イザヤ書 41:10、エレミヤ書 33:3、ヨハネの黙示録 3:20、21:6)
講話 11 – 104
気づき最も恐れるべき敵は、(自分は神や人びとから切り離されているという)分離感です。分離感は、人の心の中の分離を、現実のものにしてしまいます。
(ローマの信徒への手紙 8:38-39、ヨハネによる福音書 17:21、マルコによる福音書 3:24-25、12:30-31、ルカによる福音書 11:17、15:4-6、ガラテヤの信徒への手紙 3:28、詩編 133:1、エレミヤ書 32:38-39、エゼキエル書 11:19、ヨハネの黙示録 7:9、21:3)
講話 11 – 105
気づき何世紀にもわたる無智な時代を通して、人びとは、男も女も、自分自身は独立した完全な存在であり、人類の苦しみは、自分には関係がないと、あえて無視をしてきました。
(マタイによる福音書 22:39、25:40、マルコによる福音書 9:35、12:31、ルカによる福音書 6:31、10:29-37、ヨハネの手紙一 4:20、ガラテヤの信徒への手紙 6:2、ローマの信徒への手紙 12:15、エレミヤ書 22:3、イザヤ書 58:6-7、ミカ書 6:8、ヨハネの黙示録 7:16-17、21:3-4)
講話 11 – 106
気づき分離というものは存在しません。一人に影響するものは、全体に影響を及ぼすのです。それが、“神のキリスト”の道です。この“神のキリスト”こそが、“人類の救い”なのです。
(ヨハネによる福音書 15:5、コリントの信徒への手紙一 12:26、エフェソの信徒への手紙 4:4-6、ローマの信徒への手紙 12:5、マルコによる福音書 9:35、12:31、ルカによる福音書 6:31、10:27、詩編 133:1、イザヤ書 53:5、エレミヤ書 31:31、ヨハネの黙示録 7:9、21:3-4)
講話 11 – 107
気づきそうです、“わたし”は人類全体の苦悩を感じます。しかし、あなたたちが、“わたし”の語ることに耳を傾けさえすれば、“わたし”は、その苦しみをあなたたちから取り除きます。“わたし”の道は、救済の道なのです。“わたし”の道は、人類は皆、兄弟姉妹であり、神は“父”であるというものです。“わたし”の道は、死ではなく“命”なのです。
(マタイによる福音書 11:28-30、ヨハネによる福音書 10:10、14:6、マルコによる福音書 8:34-35、10:45、ルカによる福音書 4:18-19、6:27-28、ローマの信徒への手紙 5:8、ヨハネの手紙一 4:16、詩編 23:1-4、イザヤ書 9:6、53:4-5、ミカ書 6:8、ヨハネの黙示録 21:4、22:1-2)
講話 11 – 108
気づきあなたたちは、遠く離れたところから、神を傍観(ぼうかん)しているのですか。もしそうなら、あなたたちは、自己の外に“実在”を求め、肉体感覚による分離感の中に生きているのです。あなたたちは、遠く離れたところから神を探しているのですか。この問いに対して、自分自身に答えなさい、よく考えてみなさい!
(イザヤ書 55:6-7、エレミヤ書 23:23-24、詩編 139:7-10、145:18、マタイによる福音書 28:20、マルコによる福音書 1:15、12:29-30、ルカによる福音書 10:9、17:21、ヨハネによる福音書 14:17、ローマの信徒への手紙 8:9、使徒言行録 17:27、ヤコブの手紙 4:8、ヨハネの黙示録 3:20)
講話 11 – 109
気づき“わたし”は、あなたたちと分かれているのではなく、あなたたちと一つであることを明かすために来たのです。これがあなたたちの“救い”なのです。
(ヨハネによる福音書 14:10、17:21、ルカによる福音書 10:16、17:21、マルコによる福音書 12:29-31、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、コリントの信徒への手紙一 6:17、ローマの信徒への手紙 8:38-39、エフェソの信徒への手紙 2:18、イザヤ書 43:1-2、ヨハネの黙示録 3:20、21:3)
講話 11 – 110
気づき“神の法”は、地上の生活の全般にわたり、どんな細部にいたるまでも、働いているのです。
(マタイによる福音書 5:17-18、マルコによる福音書 4:26-29、13:31、ルカによる福音書 12:6-7、16:17、ローマの信徒への手紙 2:14、7:14、8:28、ヘブライ人への手紙 4:12、ヨハネの手紙一 3:9、イザヤ書 55:11、詩編 119:97,105、箴言 3:5-6、黙示録 22:18-19)