講話 10 – 61
気づき手を伸ばしてこの“命の木”をしっかりとつかみなさい。それは“永遠の命”に至る “生ける水の泉”だからです。
(創世記 2:9、箴言 3:18、ヨハネによる福音書 4:14、7:37-38、10:11、ヨハネの黙示録 22:1-2、イザヤ書 12:3)
講話 10 – 62
気づき世の多くの人びとは、無智の中で成長してきたために、あらゆる面で、完全に成長してきたとはいえません。それが世の中にある多くの病気の原因となっています。
(箴言 2:10-11、3:5-6、詩篇 107:17-20、ヤコブの手紙 1:15、コリントの信徒への手紙一 8:7、コリントの信徒への手紙二 12:9-10、フィリピの信徒への手紙 4:6-7、ローマの信徒への手紙 1:21-22、マタイによる福音書 6:25-34、ヨハネの黙示録 3:17、13:18、20:12)
講話 10 – 63
気づきしかし、苦悩を通じ、体験を経て、霊的自己(Spiritual Self =真我)を悟っていくことは、そうでないよりも良いのです。なぜなら、それらは、あなたたちの悟りを助けるのにふさわしい、世における親切な悪であり、偽りであるものすべてを見抜くことによって、“キリスト力”を開発しているからです。
(ローマの信徒への手紙 5:3-5、ヤコブの手紙 1:2-4、詩篇 119:71、ヨハネによる福音書 16:33、コリントの信徒への手紙二 12:9-10、フィリピの信徒への手紙 4:8-9、箴言 3:5-6、ヨハネの黙示録 2:10、3:19、7:14、21:4)
講話 10 – 64
気づき何があなたたちを苦しめようとも、どんな状況になろうとも、恐れるものは何もありません。“キリスト”はすべてを克服します。これがあなたたちの“力”、あなたたちの内に存在する“神の力”です。それは初めからあなたたちの中にあり、身体の内にあっても外にあっても永遠に変わらない“創造力”なのです。このように、“天”においても“地”においても、すべての力があなたたちに与えられているのです。
(フィリピの信徒への手紙 4:6-7、ヤコブの手紙 1:2-4、マタイによる福音書 10:28、ヨハネによる福音書 14:27、16:33、ヨハネの手紙一 4:4、使徒言行録 1:8、詩篇 91:1-2、黙示録 2:26-27、3:21、12:11、21:7)
講話 10 – 65
気づきあなたたちは肉体によって縛られているのではなく、悪の力を信じることによって、想念によって縛られているのです。“命の木”をしっかりとつかみなさい。そうすればあなたたちは自由になるのです。
(創世記 2:9節、3:22、24、箴言 3:18、11:30、13:12、15:4、ヨハネの黙示録 2:7、22:2,14,19、エズラ記(ラテン語)2:12、8:52)
講話 10 – 66
気づき“命の木”によって未開発な者も目覚め、「“わたし”はある」を学ぶことになるでしょう。「“わたし”はある」は、神と人に内在する唯一の“創造力”なのです。「わたしは“命”である」。
(出エジプト記 3:14、イザヤ書 43:10、創世記 2:9、ヨハネによる福音書 8:58、10:30、11:25、14:6、コロサイの信徒への手紙 2:9、ヨハネの黙示録 1:8、21:6、22:2,13)
講話 10 – 67
気づき人は皆、“真理”に目覚めます。しかし、心が清くなるまでは、“真理”は、全面的には明かされない方がよいのです。
(ヨハネによる福音書 14:6、16:12、コリントの信徒への手紙一 3:1-2、13:12、マタイによる福音書 5:8、ヤコブの手紙 1:5、ヘブライ人への手紙 5:12、箴言 15:14、詩篇 51:10、ヨハネの黙示録 2:7、3:18、21:6)
講話 10 – 68
気づき人の内なる“創造力”は、実に強大なものです。ゆえに、意識が“それ”に気づいたときには、“その”行動を導き、指揮する“愛”がなければならないのです。
(申命記 6:5、コリントの信徒への手紙 13:1-7、ガラテヤの信徒への手紙 5:22-23、ヨハネによる福音書 15:9-10、マタイによる福音書 22:37-39、ヨハネの手紙一 4:16、エフェソ人への手紙 4:15、ヨハネの黙示録 2:19、3:9、21:6)
講話 10 – 69
気づき“神の愛”の心臓は、あなたたち自身の心臓と一致して鼓動しなければなりません。あなたたちが“真理”に気づくとき、“真理”は努力することなく“自ら”を明らかにします。多くの人びとは、成長しているにもかかわらず、“真理”について無智なために、自らさまざまな疾患(しっかん)や困難を作り出してしまいます。
(ヨハネによる福音書 8:32、14:6、コリントの信徒への手紙二 3:18、エフェソの信徒への手紙 1:17-18、ローマの信徒への手紙 5:3-5、ヨハネの手紙一 4:7、箴言 4:22、詩篇 119:165、エレミヤ書 17:9、黙示録 3:20、21:5、22:14)
講話 10 – 70
気づき“真理”が認識され、世の出来事が相対的なものであると見極められたとき、“キリスト”はそれらすべてを超越し、あらゆる逆境や悪条件を取り除く存在となるのです。
(詩篇 46:1-3、91:1-2、ヨハネによる福音書 16:33、マタイによる福音書 11:28-30、フィリピの信徒への手紙 4:6-7、ローマの信徒への手紙 8:28,37、コリントの信徒への手紙一 15:57、ヨハネの手紙一 4:4、ヘブライ人への手紙 12章2、ヨハネの黙示録 1:17-18、5:5、19:11-16、21:4)