講話 10 – 41
気づき人は、感覚による幻想によって、惑わされています。しかし、人の内なる“霊”の働きによって、“神のキリスト”が紐解かれつつあり、感覚による幻想は、やがて消えていくのです。
(マタイによる福音書 5:8、6:22-23、13:16、マルコによる福音書 4:11-12、ルカによる福音書 11:34-35、17:20-21、ヨハネによる福音書 14:17,23、16:13-14、使徒言行録 2:17、26:18、ローマの信徒への手紙 8:5-10、12:2、コリントの信徒への手紙一 2:12-14、コリントの信徒への手紙二 3:18、4:18、ガラテヤ人への手紙 2:20、5:16-17、エフェソの信徒への手紙 1:17-18、3:16-17、フィリピの信徒への手紙 3:21、コロサイの信徒への手紙 1:27、ヨハネの手紙一 2:16、イザヤ書 55:8-9、箴言 4:18-19、詩編 73:25-26、119:18、ヨハネの黙示録 12:9、17:1-2、21:4)
講話 10 – 42
気づき今日、世界で起きている出来事は、人類の内に息づく、“霊”の覚醒にほかならないのです。
(マタイによる福音書 24:7-8,14、マルコによる福音書 13:10-11、ルカによる福音書 21:28、ヨハネによる福音書 3:8、14:16-17、16:7-8,13、使徒言行録 2:1-4,17-18、ローマの信徒への手紙 8:22-23、コリントの信徒への手紙一 2:10、12:4-13、コリントの信徒への手紙二 3:18、ガラテヤの信徒への手紙 5:25、エフェソの信徒への手紙 4:4,23-24、フィリピの信徒への手紙 2:13、コロサイの信徒への手紙 1:27、テモテへの手紙一 4:12、エゼキエル書 36:26-27、ヨエル書 2:28、箴言 1:23、 16:9、詩編 85:7、104:30、ヨハネの黙示録 1:4、5:6、12:9、22:17)
講話 10 – 43
気づき“霊”は、休むことなく、不断に、自らを展開しています。しかし、多くの人びとが無智なままに展開が進んでいるため、自らと他者を傷つけているのを目にします。もしすべての人びとが、内から展開される“真理”に気づくならば、“平安”が訪れます。しかし、言っておきますが、“平安”はここにあるのです。なぜなら、世の礎は、“愛”だからです。
(マタイによる福音書 5:9、マルコによる福音書 7:21-23、12:31、ルカによる福音書 17:21、19:42、ヨハネによる福音書 3:16、14:16-17,27、16:7-8、使徒言行録 2:17、10:36、ローマの信徒への手紙 5:5、8:6、コリントの信徒への手紙一 13:2-8,13、コリントの信徒への手紙二 3:17、4:6-7、ガラテヤの信徒への手紙 5:22-23、エフェソの信徒への手紙 2:14、4:15、フィリピの信徒への手紙 4:7、コロサイの信徒への手紙 3:14-15、ヨハネの手紙一 4:8,16、箴言 3:3,19-20、詩編 85:9-11、119:165、ヨハネの黙示録 5:1-14、6:1-17、8:1-12、21:1-10、22:1-5)
講話 10 – 44
気づき初めにあったものは、今もあります。初めに定められたものは、今も存在しています。しかし、人類は、いまだに“命の木”を手にすることなく、いぜんとして、“善悪の知識の木”の実を食べ続けています。その木の根は、自分自身の中にあるのです。
(マタイによる福音書 13:35、19:17、マルコによる福音書 10:6、ルカによる福音書 8:11-15、10:25-28、ヨハネによる福音書 1:1-4、14:6、使徒言行録 17:24-25,28、ローマの信徒への手紙 5:12-14、コリントの信徒への手紙一 15:22、コリントの信徒への手紙二 4:6、5:17、ガラテヤの信徒への手紙 6:8、エフェソの信徒への手紙 1:4、4:22-24、フィリピの信徒への手紙 2:15-16、コロサイの信徒への手紙 1:16、ヨハネの手紙一 5:11-12、創世記 2:9,16-17、3:6,22-24、箴言 3:18、詩編 1:1-3、36:10、ヨハネの黙示録 2:7、22:2)
講話 10 – 45
気づき“わたし”の内に入ることによって、あなたたちは、自らの状態から引き上げられます。“わたし”は、あなたたちの内なる王座に就いているのに、あなたたちは外に目を向け、“わたし”を見出さなかったのです。心を、内に向けなさい。そうすれば、そこに、神を見出します。「心の清い者は、神を見る」のです。
(マタイによる福音書 5:8、マルコによる福音書 7:21-23、12:32-34、ルカによる福音書 17:21、ヨハネによる福音書 14:20,23、17:21、使徒言行録 17:27-28、ローマの信徒への手紙 8:10-11、コリントの信徒への手紙一 3:16、コリントの信徒への手紙二 3:15、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、エフェソの信徒への手紙 3:17、フィリピの信徒への手紙 2:13、コロサイの信徒への手紙 1:27、エゼキエル書 36:27、箴言 20:27、詩編 24:3-4、27:8、73:25-26、139:7、ヨハネの黙示録 3:20-21、21:3、22:1,17)
講話 10 – 46
気づき心が混乱しているときには、安らぎはありません。“わたし”には、混乱はありません、“わたし”は、“命”であることを知っています。もしあなたたちの心が、分離や対立を招くさまざまな考えや信念によって、混迷しているならば、あなたたちは、“唯一”の永遠なる神を知ることは、決してできないのです。
(マタイによる福音書 5:9、6:25、マルコによる福音書 3:24-25、ルカによる福音書 11:17,34-35、17:21、ヨハネによる福音書 14:6,27、使徒言行録 4:32、17:26-27、ローマの信徒への手紙 8:6、12:2,16、コリントの信徒への手紙一 14:33、コリントの信徒への手紙二 10:5、13:11、ガラテヤの信徒への手紙 3:28、5:15、エフェソの信徒への手紙 4:3-6、フィリピの信徒への手紙 4:6-7、コロサイの信徒への手紙 3:15、ヤコブの手紙 3:17、イザヤ書 26:3、箴言 3:5-6、12:22、15:33、詩編 4:8、23:1-6、46:11、90:2、119:165、133:1、ヨハネの黙示録 21:6)
講話 10 – 47
気づき心の清い者は、すべての人の内に、神を見ます。信念、考え、イメージ、これらは心の産物にすぎませんが、“実在”は“永遠”であり、今この瞬間にも、絶えず、“ご自身”を顕現されているのです。
(マタイによる福音書 5:8、6:22-23、マルコによる福音書 7:21-23、12:32-33、ルカによる福音書 17:21、ヨハネによる福音書 1:9,18、14:9,23、17:21、使徒言行録 17:28、ローマの信徒への手紙 1:20、コリントの信徒への手紙一 2:9、13:12、コリントの信徒への手紙二 3:16-18、4:18、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、エフェソの信徒への手紙 4:23-24、フィリピの信徒への手紙 4:8、コロサイの信徒への手紙 3:11、イザヤ書 55:8-9、箴言 8:17、20:27、詩編 36:10、139:7-10、ヨハネの黙示録 1:8、5:6-14、7:9-17、21:6)
講話 10 – 48
気づき人類は、“聖なる悟り”と“愛”を通じて、自らの“神的支配性”(Divine Mastery)を悟ることによって、高められます。こうして、心の清い者は、神を知るのです。
(マタイによる福音書 5:8、6:22-23、マルコによる福音書 12:29-31、ルカによる福音書 6:45、10:27、ヨハネによる福音書 14:21,23、17:3,21、使徒言行録 17:28、ローマの信徒への手紙 8:14、コリントの信徒への手紙一 2:12、コリントの信徒への手紙二 3:16,18、ガラテヤの信徒への手紙 5:22-23、エフェソの信徒への手紙 1:17-18、3:17-19、フィリピの信徒への手紙 1:9、コロサイの信徒への手紙 3:10、箴言 2:6、3:5-6、詩編 24:3-4、25:9、73:24、139:7、ヨハネの黙示録 3:21、5:6-14、7:9-17、21:3-4、22:1-2,14)
講話 10 – 49
気づきこれらのことについて、かつて弟子たちに説いたように、今、まったく同じことを、あなたたちに説いているのです。なぜなら、あなたたちは、今日、この世での “わたし” の弟子であり、 “わたし” は、あなたたちの中で働いているからです。
(マタイによる福音書 28:19-20、マルコによる福音書 3:14-15、16:20、ルカによる福音書 10:16、24:45-49、ヨハネによる福音書 15:15-16、17:18、使徒言行録 1:1-2,8、ローマの信徒への手紙 8:9-11,28、コリントの信徒への手紙一 3:9、コリントの信徒への手紙二 6:1、13:5、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、エフェソの信徒への手紙 2:22、フィリピの信徒への手紙 2:13、コロサイの信徒への手紙 1:27、ペトロの手紙一 2:9、箴言 8:17,31、詩編 46:6、73:23-24、ヨハネの黙示録 1:8、2:7、3:20)
講話 10 – 50
気づき人が神の意識に到達するまでは、知識は、苦悩から生まれます。自らの内に、唯一の“実在する力”が臨在しているという真実 ―― これをあなたたちが意識することができたとき、それまでの苦悩は、この悟りを紐解くための手段であったことがわかり、苦悩は止むのです。
(マタイによる福音書 5:4、マルコによる福音書 8:34-35、ルカによる福音書 24:26、ヨハネによる福音書 16:20-22、使徒言行録 14:22、ローマの信徒への手紙 5:3-5、コリントの信徒への手紙一 10:13、コリントの信徒への手紙二 4:16-18、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、4:19、エフェソの信徒への手紙 3:16-19、フィリピの信徒への手紙 3:10、コロサイの信徒への手紙 1:24-27、ヘブライ人への手紙 12:1-2、ヤコブの手紙 1:2-4、イザヤ書 48:10、ヨブ記 36:15、箴言 3:11-12、詩編 34:19、119:71、ヨハネの黙示録 1:18、21:4)