講話 1 – 51
気づきもしあなたたちが、自己を、永遠にして常在なる“神のキリスト”であり、「 "御心"の内なる生気を与え、“創造する力”」(the animating and Creative Power within the Mind)であると、本当に理解しているならば、時間も空間も、存在するはずがないのです。
(ヨハネによる福音書 8:58、10:30、14:6,20、コリントの信徒への手紙二 3:18、5:17、コロサイの信徒への手紙 1:27、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、ヘブライ人への手紙 13:8、ヨハネの手紙一 3:2、創世記 1:1、 詩編 82:6、90:2、102:27、ヨハネの黙示録 1:8、21:6、22:13)
講話 1 – 52
気づきあなたたちは、時間も空間もない状態に達することができ、あなたたちの魂の内に住まわれる、“主なる神”(the Lord thy God)の完全無欠さに入ることができるのです。“主”(the Lord)こそ、唯一の“力”です。“わたし”は、“主”なのです。
(ヨハネによる福音書 14:6,10,20、17:21、マルコによる福音書 12:29-30、コロサイの信徒への手紙 1:27、2:9-10、ヨハネの手紙一 4:16、コリントの信徒への手紙二 3:18、エフェソの信徒への手紙 4:6、出エジプト記 3:14、イザヤ書 43:10、45:5、箴言 19:21、詩編 46:1-2,10、90:2、103:19、139:7-8、ヨハネの黙示録 1:8、21:6、22:13)
講話 1 – 53
気づき“愛”は永遠に存在し、“今”ここにある、栄光に輝く“命”なのです。それは安らぎであり、喜びです。“愛”が、“今”ここにある“命”であることを理解するならば、満ち足りた充実感のあまり、後ろを振り返ることも、前を見ることもなくなります。これを認識した魂は、“満たされた臨在”の中で働くようになります。決して過去や将来ではなく、常に、現在に働きかけるようになるのです。
(マタイによる福音書 6:25-34、マルコによる福音書 12:30-31、ルカによる福音書 10:41-42、ヨハネによる福音書 4:8、15:11、22:37-39、フィリピの信徒への手紙 4:7、コリントの信徒への手紙一 13:4-8,13、エフェソの信徒への手紙 3:19、ヨハネの手紙一 4:8、イザヤ書 26:3、箴言 3:5-6、詩編 16:11、118:24、139:7-8、ヨハネの黙示録 21:4,6)
講話 1 – 54
気づきこれについて、深く想いを巡らしてみなさい。そうすれば、あなたたちは完全な喜びに満たされるでしょう。“わたし”は、“永遠に存在する愛”です。わたしがはっきりと見たのは、この“愛”でした。わたしは神が“愛”であること、そして、わたしが“神の子”であるためには、わたしも、“愛”でなければならないことを悟りました。わたしには、もはや“愛”以外には何もないことがわかり、どのような仕打ちがなされようとも、自分は神の子であり続けなければならないこと、過去も未来も知らず、罪も死も知ることのない、“永遠にして常在の完璧な愛”であり続けなければならないことを悟ったのです。
(ヨハネによる福音書 4:8、14:20、15:5,9,11、マタイによる福音書 5:44-45、ヨハネの手紙一 4:8,16-18、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、コリントの信徒への手紙一 13:4-8,13、エフェソの信徒への手紙 3:19、申命記 6:5、レビ記 19:18、箴言 3:3-4、詩編 23:1-6、103:17、ヨハネの黙示録 1:8)
講話 1 – 55
気づき「ラザロよ、出て来なさい」という言葉は、永遠に存在する“命”のみを認識した、“霊的次元”から発せられた言葉だったのです。もしあなたたちが、これらの言葉を理解することができるならば、あなたたちも、永遠にして常在なる、“命”を認識することができます。あなたたちの意識が、その“実在”を認識することができるならば、あなたたちも、その“言葉”を語ることができるのです。そして、あなたたちが話すことは、実現するのです。なぜなら、それは、“今”の中で創造されるからです。
(ヨハネによる福音書 1:1-3、11:43-44、マタイによる福音書 8:16、17:20、マルコによる福音書 11:23-24、ヘブライの信徒への手紙 11:3、創世記 1:3、箴言 18:21、詩編 33:9、ヨハネの黙示録 21:5)
講話 1 – 56
気づきあなたたちは、周囲の状況によって暗示をかけられ、外部のさまざまな意見や考えに、さまざまな影響を受けています。あなたたちは、死や腐敗を信じていますが、“実在”には、死や腐敗は存在せず、ただ変化があるだけなのです。これが、“命”です。もしあなたたちが、一切の変化の背後に、この常在の“命”を見ることができ、それを意識的に認識することができたならば、言っておきますが、あなたたちの全身の細胞が、その “命”で満たされることになるのです。
(マタイによる福音書 22:32、マルコによる福音書 12:27、ルカによる福音書 20:38、ヨハネによる福音書 3:16、11:25-26、14:6、コリントの信徒への手紙一 15:51-54、コリントの信徒への手紙二 5:17、ローマの信徒への手紙 8:6,11、コヘレトの言葉 3:1、イザヤ書 40:28-31、箴言 12:28、詩編 16:11、23:4、90:3-4、102:25-27、103:5、ヨハネの黙示録 21:4)
講話 1 – 57
気づき『わたし』は“主”であり、『わたし』は不変である。目を開き、あなたたちの自己の内に、この偉大なる“真理”を見よ。
(ヨハネによる福音書 8:58、マタイによる福音書 24:35、ヘブライ人への手紙 13:8、ヤコブの手紙 1:17、マラキ書 3:6、出エジプト記 3:14、イザヤ書 40:8、箴言 19:21、詩編 90:2、102:25-27、ヨハネの黙示録 1:8、21:6、22:13)
講話 1 – 58
気づきあなたたちは、神を現そうと、準備ができている分だけ、神になることができます。人類の心の中に宿る神の子“キリスト”は、人びとに手を差し伸べ、“神聖なる意識”に目覚めるように、促しているのです。“キリスト”は、一人ひとりの内におられ、永遠に生きているのです。この“真理”を認めるならば、その心には、永遠の平和が訪れるのです。
(ヨハネによる福音書 10:30,34、14:6,20,23、コロサイの信徒への手紙 1:27、ガラテヤの信徒への手紙 2:20、コリント信徒への手紙一 3:16、コリントの信徒への手紙二 3:18、ローマの信徒への手紙 8:10,16、ヨハネの手紙一 3:1、4:16、エフェソの信徒への手紙 2:10、箴言 3:5-6、詩編 46:10、ヨハネの黙示録 1:18、3:20、7:16-17)
講話 1 – 59
気づき「“わたし” は、“主なる汝の神”である。“わたし”は、“父”と一つであり、“父とわたし”は、決して離れることなく、常にあなたたちの中で、共に働いているのである」
(ヨハネによる福音書 5:19、10:30、14:10-11、17:21、マタイによる福音書 11:27、マルコによる福音書 12:29-30、ルカによる福音書 10:22、コロサイの信徒への手紙 1:19-20、コリントの信徒への手紙一 3:16、エフェソの信徒への手紙 2:18、創世記 1:26、出エジプト記 3:14、20:2-3、申命記 6:4-5、箴言 3:5-6、詩編 46:10、90:2、ヨハネの黙示録 1:8、3:21、21:6、22:13)
講話 1 – 60
気づきキリストの七つの行為(誕生、献身、目覚め、誘惑、十字架、復活、昇天)は、過去の出来事ではなく、今この瞬間に、あなたたちにとって、現実のものとなるのです。“キリスト”は、人の手によって造られたのではない神殿(体)の中で、“命”の誕生を、経験するのです。
(ヨハネによる福音書 1:14、2:19-21 、14:23、マルコによる福音書 14:58、マタイによる福音書 27:51、ルカによる福音書 1:35、コリントの信徒への手紙一 3:16、コリントの信徒への手紙二 5:17、ヘブライ人への手紙 9:11-12、エフェソの信徒への手紙 2:19-22、ペトロの手紙一 2:5、エゼキエル書 36:26-27、箴言 18:10、詩編 118:22-23、127:1、ヨハネの黙示録 3:12、21:3,22)